柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > レイトスターターのためのヴァイオリン講座

まず、遠くない将来の話から入ります。発表会で、何かの曲を弾くことにしましょう。さて、何を考えて練習したらよいでしょうか。もちろん、「音程をしっかりとって」「リズムを正しく」「強弱をつけて」「フレーズをしっかり」等々、いろいろな要素があるでしょう。そういったことに加えて、「音楽を体で感じていますか?」ということを、ここでは話題にします。

ヴァイオリンを演奏している人を見て、「かっこいいなぁ」と感じるのはどういう演奏をしている人でしょうか。五嶋みどりやヴェンゲーロフ、クレーメルといった「技術的にあちらの世界にいる人」でもいいですし、もちろん、周りにいる「腕達者なアマチュア」でもかまいません。かっこいいと感じる人たちは、弾いている姿が大きく見えませんか?

素敵な演奏をしてくれる人は、必ずといっていいほど体の使い方が上手です。それは、椅子に座って演奏するパールマンだって同じこと。体や顔が、とても「音楽をしている」のです。そして「体が音楽をしている」ということには、幾つかの要素があります。

1)体がやろうとしていることに対して合理的に動いている

ヴァイオリンのダウンボウで速くて力強い音を出すとき、弓と楽器は反対方向に動きます。弓だけの運動ではなく、楽器の動きを加えることによって、より速く、反応の良い音を出すことができるのです。反対に、弓をとても長く使いたい場合に、弓先に来たときに楽器を弓の進行方向に少し傾けると、長い音をしっかりとしたままのばせることがあります。こういった運動が合理的に行えていると、格好もいいし、音にも反映します。

2)体がリズムを感じている、ないし、体がリズムを作っている

あるリズムを音楽的に表現するとき、楽器と弓の運動だけでできることとできないことがあります。できない、というと語弊があるかもしれませんが、少なくとも「体を使った方がよりよく音楽的なリズムを表現できることがある」のは間違いありません。例えば、踊りの曲(ガボットでもメヌエットでも結構です)を演奏するとき、実際に踊りながら演奏することはありませんが、体の動きがその踊りの曲と同じように感じられると、とても素敵な踊りの演奏ができるのです。

3)表現しようとすることを体の動きが援助する・より大きな表現にする

力強い音を出すために、楽器をいつもよりやや高く上げる、ステージから客席に音をより聴かせたいときに、すこし客席の方に向かって動くような運動をする、などです。

まだまだありますが、このような動きを「どうやってやるか」ということが本題ではないので、例示はこのくらいにしておきます。こういった体の動きは、もちろん合理性を無視しては効果 が無くなります。ただやみくもに動けばよい、というわけではありません。この合理性は、ヴァイオリンの練習をしていく間に、いろいろとレッスンを受けることになるはずです。ここでの本題は、「体で音楽を感じましょう。」ということです。こういった「体の動き」全ては、体で音楽を感じることがスタートだからです。

踊りの曲を演奏するときに、実際にその踊りの動きを知り、できれば「やってみる」ことは、音楽の理解と体とをシンクロさせる、とても貴重なアイテムになります。しかし、大人から始めた方は、なかなかこれができません。大人としての「常識」が、このような動きを阻害するのです。

私は自分が見ている合奏団で、メンバーを立たせて体を動かすことをよくやります。(オケのトレーナーをやっていたときもそうでした。「振り付け分奏」なんていう呼び名をつけられたこともあります。)すると、「えー、できないー」という人が必ずいます。リズムに合わせて運動する、ということだけでなく、表現することも「恥ずかし」かったりすることもあるようです。

しかし、こういったことができるかどうかは、音楽の表現力に直結します。特に日本人は、感情を表に出さないことが美徳とされてきましたから、どこかに「そんな、みっともない」という意識があるのかもしれません。結果 としてどういうことが起きるのか、というと、いつも「表現力不足」の演奏が残ります。外人の演奏家にレッスンにつくと、この点はとても強調されます。体を使ったアピール、音楽を楽しんで演奏し、それを客席と共有すること、そういったことが、ステージでのとても重要なポイントになるのです。

これは、もっと「現実的な」問題ともからんできます。例えば、強弱を一生懸命つけた気になっていても、実際に客席にはほとんど伝わらないことが多いのです。プロの演奏家のダイナミックレンジは、多くのアマチュアとは根本的に違います。多くの人にとって、ステージでの表現は「強調して強調しすぎる心配はない」のです。

さて、レイトスターターのみなさんを念頭においてこんなことを書いたのには理由があります。それは、普段から表現を大きくする習慣を付けましょうということです。もちろん、会社で役者のような振りをすれば変人扱いされてしまうかもしれません。しかし、喜怒哀楽をさらに大きく表現できる場所はあるはずです。話をするとき、欧米人がよくやるように、ボディランゲージを加えても良いかもしれません。そういった「ちょっとした工夫」が、後になって大きな成果 になることも多いのです。レイトスターターにとって「表現力不足」は、とても大きな問題です。「素人臭く」見えるのも、これが原因であることも多いです。そういうことを、ヴァイオリンを始める最初から、少しずつ慣らしていってもいいだろうと考えています。

楽器を持つ前に、もう一つだけ加えさせてください。それは、ヴァイオリンという楽器の音程の不思議さと、音楽を奏でる上で如何に音程が重要か、ということです。

音程、これは、とても難しいものです。特に楽器を持ったばかりの人にとっては、「大体このあたり」に指を持っていくことでも大変ですね。初めのうちは、何回弾いても同じところに指が行かずに苦労します。それなのに、楽器を持つ前から音程の話なんて・・・恐らく、多くのヴァイオリンの先生が顔をしかめることでしょう。しかし私は、楽器を始める前だからこそ、知っておいて欲しいと考えています。自分の練習を、ヴァイオリンとして美しい音程を再現できるようにするために。特に、日本では音程教育が「なっていない」と思っています。音程教育とは、すなわちどれだけ正しく「耳」を使えるか、ということに他なりません。テクニック重視、曲数をこなすことを優先して、肝心の耳ができていない音楽家(プロ・アマ問わず)を大量生産しているのが、残念ながら現在の音楽教育の実態です。(耳の訓練といえば「平均律の音程を覚えさせること」という勘違いをしている先生も相変わらず多いです。そろそろ気がついて欲しいのですが・・・)

◎ 音程は表現する力であり、根本である ◎

まず、音程がいかに重要なものであるか、ということについて考えてみます。これは同時に、世間一般 で言われている・教えられている音程の考え方へのアンチテーゼでもあります。

1)音程は表現する力である

「表現力」という言葉があります。アマオケで練習していても、指揮者・トレーナーがこれと同じ意味の言葉をしばしば使います。いわく、「表現を大きく」とか「もっと旋律をはっきりと」などなど。さらにこんなことを言う場合もあります。「音程のことは多少目をつぶりますから、そこの旋律はもっと引き立つように大きく弾いてください。」 ちょっと待ってください、と僕なら練習を止めてしまいます。「まず音程を合わさせてください。それでも旋律が聞こえなかったら、大きく弾きましょう。」

「音程を合わせる」ということには、二つの意味があります。一つは「全員の音程を揃える」、もう一つは「正しい音程で弾く」ということです。

みんなの音程が合っていないということは、いわば「みんなで音を殺し合っている」状態です。ご存知のように音は波ですから、てんで勝手なばらばらな波が発生していては、相殺してきちんとした音が聞こえるはずがありません。そんな状態で音を大きくしても、雑音が増えるばかりで聞かされるお客さんはたまったものではありません。

もう一つ。実はこちらのほうが僕の主張の中心なのですが、正しい音程で弾く、ということを意識している人は、特にアマチュアプレーヤーの中にはほとんどいないといっても言いすぎではないかもしれません。仕方ありませんよね、アマチュアを教えるプロが、きちんとしたことをしていない・教えないのですから。(僕が学生になるまでついていた某有名私立音大の先生も、ほぼ6年間のレッスンで音程の本質を口にしたことはありませんでした。先生を変わって音程を指摘されるまで、僕もとんでもない音程でスケールを弾いていました。)

アマオケの指揮者・トレーナーの場合、和音を合わせることをする方は多いようです。旋律より気持ちの悪さがすぐわかるので、なんとかしなくてはならない度合いが高いからだと思われます。しかし、旋律線の音程のことをきちんとおっしゃる指揮者・トレーナーには、ほとんど出会ったことがありません。(わずか二人・・・おおまけにまけても三人だけです。出会った指揮者・トレーナーの数は、正確にはわかりませんが、100人より多いことだけは確かです。)

先程の例ですが、実は「正しく旋律音程でとれば、自然と旋律が浮き上がる」というのが正解である場合がとても多いのです。強弱で処理する必要などないのですね。音程にそんな力があるということを知らない人が多すぎると思います。「音程は表現する力」です。

2)フレーズのつながりも音程次第

音にはそれぞれの個性があり、役割があります。一番わかりやすいのが、「導音」でしょう。

(まだ知らない人のために:「導音」とは、音階の第七音のことです。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの「シ」のことです。これは「固定ド」ではなく「音階」の中でのことですから、何の調でも同じ音というわけではありません。ハ長調なら実音のH、ト長調なら実音のFis(F#)になります。)

導音は、「半音先の主音に行きたいよぉ、そこまで行って落ち着きたいよぉ」という性質を持っています。そこで「導く音」という名前がついているわけですね。この音は、旋律の中で「次の主音(ド)にとても近い音高の時」その性質がはっきりでます。ところが、この音を低めにしてしまうと十分にその個性が発揮されません。すると旋律の進行がぎこちなくなってしまいます。ぎこちなさをさけるために不必要なリタルランドをしたりクレッシェンドをしたり・・・結果 としてできる音楽は、とても「いびつな」ものなってしまうのです。音程をきちんととらないと、こういうことはいつでも起こりうるのです。

和声の進行で、フレーズのつながりがはっきりすることもあります。この時も、和声を作る和音の音程が正しくないと、フレーズがどこでどうなっているのかわからなくなってしまうことは、旋律の場合と同じです。

3)過剰な味付けは感覚を麻痺させる

ふぐの刺身にワサビじょうゆをどばどばとかけて真っ黒にして食べる人、いるでしょうか。いくらマヨネーズが好きだからといって、野菜が見えなくなるほどマヨネーズをかけて食べる人はいないでしょう。

述べてきたように、音程というのは音楽の進行に深く関わっています。と同時に、音程は表現の大きさにも直接関係があります。音程をきちんとすれば発揮される「メリハリ」が、曖昧な音程ではでてこないからです。その音程で表現をつけようとすると、過剰な強弱の変化など音楽的に不自然な変化にたよらなくてはならなくなるのです。必要もないのにfを三つも四つもつけたような演奏をするのは、まるで真っ黒になったふぐの刺身を食べるようなものです。

音程・・・それは、一番基礎的な表現力なのです。

◎ 音程感を身につけるために ◎

以上のように書くと「わぁ、難しそう・・・自分にはできない」と思われるかもしれません。しかしそんなことは決してないのです。「やっぱり、音程は適当でいい普通の先生がいいわ」と思った方、もう少し先まで目を通してください。

「音感について」でも簡単に述べましたが、多くの先生は、「音高を覚える」ことには大変執着します。ヴァイオリンを始めて間もない人に対しても、「そこ、さっきと同じ音程で弾いて」などと要求することは普通 です。これは、日本の音楽教育が「音高記憶教育」に偏ってきた弊害でもあります。

同じことは、一般の受験産業にも言えることでした。(過去形にしたのは、受験産業の方が音楽教育よりははるかに「当たり前のことを考えている」人が多いからです。)英単語を覚えるために分厚い単語の本を持ち歩いた経験は、多くの人が持っていると思います。多くのヴァイオリンの先生は、無意識にこんなことを要求しているのです。平均律で音程を取ってそれを記憶しろ、というのは、全く孤立した周波数を覚えなくてはならないわけで、その難しさは想像を絶するものがあります。(はっきりいって、絶対音感があるとまわりから誤解される私でも、全くできないことです。)そして、こんなものを覚えても何の役にも立ちません。基準のA音が違うオケ・アンサンブルに行けば、覚えた音全部が邪魔な音になります。

「だいたいそのくらい、というのを覚えるんだからそれでいいの」という先生もいらっしゃいました。しかしこれも、人間の記憶のシステムを理解してないとしか思えない発想です。例えば、442Hzの音を記憶する替わりに439~445Hzの音を記憶する、ということであれば、かなり記憶する事を楽にする手段はあります。ただし、これでは使い物はならないのです。「441.2~442.6」なんていう幅であれば、すでに「だいたい」ではないのです。ヴァイオリンのレッスンで要求しなくてはならない「だいたい」は、実はこのようは幅の中に入っているのです。それを要求して置いて、「大体だから覚えすいはず」と思い込んでいると、「この生徒は音感(もちろん、単なる音高の記憶力)ないわねぇ」ということになって、お終いです。

そんな音程記憶訓練より、純正な和音の響きをまず覚えるべきです。オクターブ、五度、四度、六度、三度、という具合に次第に「難しい」感覚の2音に進んでいくわけですが、この「純正な響き」を覚える作業は、「平均律の音高を記憶する」作業に比べれば、「白ワインか赤ワインかを当てる」ことと、「ワインの産地と生産年を当てる」ことくらい、難易度が違うのです。そして素晴らしいことは、この純正な和音を聞き分けることができると、スケールで使われるピタゴラスの音律が楽器の上で再現できるということなのです。つまり、「純正な音を判断する能力をつけることは、旋律の音程感覚を身につけることの準備になる」のです。これがヴァイオリンの素晴らしさであり、不思議さでもあるのです。

はっきり言えば、初めからやるのであればきちんとした音律で音を覚えた方が楽だ、ということなのです。ただし、教える方はとても大変です。自分が耳をきちんと持っているだけではなく、生徒に対して「耳に心地よい音程」をたくさん聞かせなくてはなりませんから。

実は、こういった経験を積めたのは、自分が「プロではない」ことが役に立ちました。生徒さんがある種の「音楽仲間」のような人たちだった頃、いろいろと「試して」みることができたことが、音感のいろいろな個人差を認識するチャンスになったのです。「ドレ会」でのみなさんの変化を見られたことも、とても大きい経験でした。平均して何ヶ月ぐらいで調弦ができるようになるか、とか、いろいろな「個人差」も体験することができました。

◎ ヴァイオリンの音程の秘密とその利用法 ◎

(純正律、平均律、ピタゴラス音律の原則についてご存じない方は、「アンサンブルのLesson 1-2純正調と平均律の基礎知識」と「平均律の話」を別ウィンドウに開けておきながらお読み下さい。)

五度調弦の楽器は、とても不思議な性格をもっています。それが、純正な和音とピタゴラスの共存なのです。完全に純正に調弦された楽器で、GDurのスケールを練習します。五度調弦では、隣り合った五度は完全に純正ですが、隣り合っていない弦は純正ではありません。ところが、旋律で利用できる音になっているのです。

最初はG線の開放弦、次はA音です。ピタゴラスの旋律音程のなかでこの音は、開放弦のA音と同じ(オクターブ下ですが)です。ですから、純正なオクターブを聞き分ける耳を訓練しておけば、開放弦のG音を主音に取ったGDurのピタゴラス的第2音のAは、開放弦と合わせることによって取れます。次のH音も実際にはない開放弦のH(Eの五度上)と同じで、開放弦のEと純正なA線上のHを取る(純正な四度を聞き分ける事ができればよい)ことで得られます。次のC音は、ストレートに基準になる開放弦がありませんが、とても「低い」音なので、Hとの間隔を狭くとることで、非常に近い音を得ることができます。(ヴィオラがあれば、純正に調弦したC線が基準になります。)Dは開放弦。EはE線の開放弦。さいごのFisは、E線とはもるHをとり、それに対して四度ではもるところ。実際には、G音にかなり近く取ることで得やすい音です。

もちろん、楽器を持ってすぐにこのように音程が取れるわけではありませんが、「耳」を作れば、意外と早くから「正しいピタゴラス進行」を楽器の上で再現することができるのです。これが、「人間の耳に自然で覚えやすい二音の関係に慣れれば、比較的再現しにくいピタゴラスの進行を再現することができる」という、弦楽器の大きなアドヴァンテージなのです。

純正な間隔(自然倍音列)と非常に異なるピタゴラスの進行が、「全く違うものであり、表裏一体のもの」と書いたのは、実はこのような理由なのです。「弦楽器のイントネーション」などの詳しいものをいろいろ読んでいただくともっと理解が深くなると思いますが、それはヴァイオリンの練習がある程度まで進んだころに考えればいいでしょう。

現実には、こういった練習方法を使いながら、レッスンでの先生とのやりとりの中で音程感を鍛えていくことになります。初めからこのような方針でレッスンを進めると、何年か後にとてもしっかりした音程感を得ることができます。それが、ご自分の演奏の音程を修正する力になるのです。

さて、とうとう一番書きたくない話題に到達してしまいました(^ ^;; 本当ははしょろうかと思ったのですが、そういうわけにもいきません。ただし、目次のページにも書きましたが、これは「こうしたら持てる」というものではなく、あくまで考え方を述べたものです。レッスンやお持ちの教材の検討材料としてお読み下されば幸いです。

◎ 楽器や弓を持つ時に何を考えたらよいか ◎

楽器の持ち方、弓の持ち方に「正しい唯一の形」は存在しません。そして「楽器の持ち方は進化する」のです。まずそのことをしっかり覚えておいて欲しいと思います。

初めてヴァイオリンを持ってもらうときのやり方は、概ね次のようなものです。

  • 1)左手の手のひらを右の肩に置く。やや深めに。ただし、左肩が不自然に上がらないように。
  • 2)先生が生徒の左肩と首の間に楽器を突っ込む。
  • 3)肩に置いてある左手を下ろす。あら不思議、ヴァイオリンが持てちゃった。

実際にこんなに簡単にいくことは希ですが、肩当てをいじったりいろんな作業をすることにより、最終的には、初めてのレッスンでなんとかなるようです。こうして楽器を「手に頼らないで」保持することにより、左手は自由に動くことができます。その自由度が、左手の訓練にはどうしても必要だからです。

この時点で、楽器の位置にも高さにも個人差が出ます。肩の作り、首の長さ・太さなどの条件により楽器が収まる位置が異なるからです。さらに、こうして持てた場所がその人にとって一番良い位置かどうかは、まだわかりません。その人にあった楽器の持ち方・位置を決めるには、手の長さ・柔軟性も大きな要素だからなのです。

まず左手です。楽器を持つ前にこんなことをやってみましょう。最初に手のひらを顔の正面 よりやや下に持ってきます。肘の位置がどこにありますか? 肩から手のひらまでがほぼまっすぐであれば、肘は体の中心よりもかなり左側にあるはずです。そのまま肘を体の中心まで持ってきてください。この段階で、肘・肩に違和感を感じる人がいるはずです。(肩・肘の関節の柔軟性と腕の長さによるようです。)この場合、初めから楽器を「理想的な」位置では持てない可能性が強いです。肩を回して楽器が体の正面から「やや」左にあっても、その位置では手を痛めてしまう可能性があります。少し楽器を「外側に」しなくてはなりません。(もちろん、弾いている間に柔軟性ができて楽器の位 置が変わることはあります。)

肘が体の中心に来た人は、次に手のひらを「小指が顔の正面に来るように」回転させてください。この作業には、かなりの人が「違和感」を感じるはずです。(しかし、最終的にはこの形になるように「徐々に」トレーニングされていくのが理想です。)この時、「腕全体が回転しているか」「肘から先だけが主に回転しているか」を確かめてみてください。前者の場合、当初は楽器を持つ位 置を工夫しなくてはならないばあいがあります。全体が回転していると、左手の指の自由度が減ってしまう場合があるからです。

次に右手です。「長さ」と「主に手首の柔軟性」によって、楽器の位置に影響を与える可能性があります。
「長さ」のことは誰でも気がつくはずです。腕の長さが十分なら、どうやって持っても弾けますが、長さがないと楽器の位置によっては弓先が使えないことがあります。この場合、「右手の事情で」楽器の位置を調整する必要があるのです。

手首の柔軟性も、実は大きな問題です。こんなことをやってみましょう。

テーブルについて、体の中心から30センチほど離れたやや前方に手のひらを置きます。そして肘を左右に動かします。普通 の人なら、肘を外側に開くのは楽ですが、内側に曲げるのは大変だと思います。多くの人が腕をやや上げないと、手のひらより腕が内側には曲がりません。この「内側に曲がる」曲がり方は、弓を動かすときの「動かしやすさ」に大きな影響があります。腕が短い上にこの手首の柔軟性が無い場合、楽器の構え方、弓の持ち方(さらにはボウイングシステム)をよく考えないと、かなり「しんどい」ことになってしまう可能性があります。

最後に、「ボウイングシステム」の問題です。

先生が教えるボウイングがどのようなものか、ということで、個人の体型や体の柔軟性によって大きな問題を引き起こすことがあります。現代は、ヴァイオリンの「指導法」はたくさん書かれており、100年前のように「先生が生徒に口移しで教える」状態ではありません。フレッシュやアウアー、ガラミアンなどの教授法は、多くの先生が必ず読まれるものです。その中で相応しいと思った教え方をするわけですが、残念ながら「個人的な体の差」は見過ごされている場合が多いような気がします。

子どもから始める場合、どんなシステムを教えてもそれなりに上手くなります。体の成長が自分のシステムにあって行くということが一つ。もう一つは、大人より「気持ちいい」方向に行きたがるので、自然に形が変形することも大きな理由です。(大人は持ち方を教わると、体に不自然であってもかたくなにその通り練習してしまうことが多い。)特に手首の柔軟性の差は、ボウイングをどのように捉えるかに決定的な差になってくると思います。

一番大きな問題は、背の低い、腕の長さが十分でない日本人の女性に、特に多く発生します。弓を使いやすく楽器を構えると、左手に無理が来る。左手に一番優しく楽器を構えると、弓が弦と直交しない。楽器の位置と弓の使いやすさがお互いに反対の関係にあるので、楽器の構え方、弓の持ち方、ボウイングシステムを慎重に選ばないと、いつまでたっても弓先が使えなかったりする、というケースがあるのです。

レッスンでは、先生はここまで考えて持ち方の指導をすべきだと考えています。楽器・弓の持ち方が「暫定的に」決まるまで、レッスンにして4,5回はかかると覚悟した方が良いと思います。

◎ 楽器の持ち方・弓の持ち方は進化する ◎

さて、楽器を持ち、弓を持って音を出す段階に達したとします。この段階での持ち方は「進化します」。

レッスンでは、先程述べたような体の条件を色々考慮した上で、ヴァイオリンや弓の持ち方を決め、楽器の練習をスタートさせます。初めのうちはとてもぎこちなく感じることと思いますが、体の柔軟性が子どもとは大違いの大人でも、しばらく弾いている間に色々な体の変化が起こります。それに連れて、楽器の持ち方、弓の持ち方も少しずつ変形していきます。基本的な発想さえ間違えていなければ、その変化は当然の結果として起こるもので、心配することではありません。

一番先に気になるのは、弓先が使えない、という事ではないかと思います。もちろん、初めから弓先までばっちりと使える体を持っている人もいらっしゃいますが、概ね身長160センチ代前半までだと、多くの人が初めは弓先が使えません。しかし、前項で書いたようなことが守られている場合、心配する必要はないでしょう。レッスンで先生におうかがいしたら「弓先はその内使えるようになります」とおっしゃるはずです。ただし、一年以上たっても使える弓幅が変わらない場合、どこかに無理が来ている可能性があります。

多くのレイトスターターが悩むことに、「右手の親指」があります。初めのうちは、親指の位置がなかなか定まらなかったり、突っ張ってしまったり、バネ指のようになったりすることがあります。これを「先生のように」美しくやわらかく自然に曲げようと思うと、ひどいときには弓を落としてしまったりします。

これも、自然に治る可能性があります。特に、親指が人差し指の方へ寄りすぎている場合など、しばらくすると自然に「中に」入ってくれることがあります。手に柔軟性ができてくるからです。ただし、関節を固めて持ってしまっていると、そのまま変な癖になってしまうでしょう。レッスンでのチェックが必要です。

左手の位置も、当然ですが変化します。ただし、これは「十分変化する」場合も「不十分である」場合もあります。レッスンが進むにつれて、変化が不十分であった場合苦労することになります。先生と対策を考えられることが必要です。

◎ 楽器の位置は体の条件だけで決めるべきものか ◎

楽器を始めたばかりの時は、体の条件である程度決まってしまうものだと思います。ただし、「どうやって持ちたいか」というイメージを持つことは重要だと思います。

楽器を持つ位置は、演奏者の思想に直結すると言ってもいいかもしれません。思想、というより「頭の使い方」と言った方が正確かもしれませんが。

楽器を左に寄せ、肩の上に完全に乗せるようにして、さらに楽器を傾けてみます。すると、左耳はほとんど楽器に「くっついた」状態になります。この状態がもっとも極端ですが、演奏者は、左耳と右耳で全く違う音を聞くことになります。反対に、なるべく楽器を体の正面 で持つと、自分の音を比較的「冷静に」「客観的に」聞くことができます。これはどちらが正しい、というものではなく、演奏者の「考え方」「好み」でしょう。

右手と左手の関係も、楽器の位置と微妙に影響します。体の正面に楽器を構えると、楽器と弓を同時に視界に入れることができます。楽器をからだの外側に構えると、意識を二つに分けなければ、右と左を同時に意識することが難しくなります。しかし、これも「好み」です。

僕は、レイトスターターには、なるべく楽器を正面に構える方向に努力することを勧めています。自分で実験してみた結果 、その方が、音程・響きを鍛えるのには良いのではないか、と考えているからです。しかし、楽器を立てて左側に寄せている状態のレイトスターターを「個人的に」教えたことがないので、比較をしたことはありません。ですから、ひょっとしたら「勘違い」しているかもしれないことをお断りしておきます。

もちろん、体の条件が許さなければ限界はありますが、こういった見方も持って、楽器の持ち方を考えてみてください。

◎ メニューインのシステムについて、および鎖骨を使った保持法について ◎

メールで質問を頂いたこともあり、メニューインのシステムについても触れておきます。

僕がこの項で書いた持ち方は、いろいろとお尋ねした結果、多くの先生が実際にレイトスターターを教えるときに取られている方法だと思います。これに対し、「肩をフリーにする」楽器の持ち方があります。メニューインのシステムに代表されるものです。実際にこのシステムを採用されている先生も少なくありませんので、簡単な説明と注意点を上げておこうと思います。

メニューインのシステムは、首と鎖骨、及び左手で楽器を保持する方法です。初めに楽器を鎖骨と首ではさみます。(肩当ては原則としてしません。)楽器は当然「だらっと」前に下がるように保持されます。そして左手で「楽器の位置をコントロールする」のです。

この持ち方の基本的なコンセプトは、「左肩を自由にする」という点にあります。鎖骨で楽器を支えると、鎖骨より身体の外側にある肩には、楽器が全く触らない状態が生まれます。この状態が、左手の自由度を上げ、身体にとって楽な状態が生まれて、困難な演奏を可能にすると考えるものです。 楽器を左手で「持ち上げる」ために、自然に楽器は左の方に大きくそっぽを向くことになります。

この持ち方自体は、出来てしまうと非常に合理的なものだと思います。肩当てが肩に当たることによって起こる肩への負担をなくし、左腕を上げるために背中の筋肉を自然に使えるようになるからです。ただし、実際には、幾つかの問題点が生じることがあります。

まずは「顎当て」の問題です。首にいわば「ひっかかる」ような形を求めるために、通常の顎あてではかなり苦しむ方もいらっしゃるようです。そのために、少し淵の高くなった形の顎あてをする必要があることがあります。

顎あての問題は解決可能ですが、根本的な問題は、

  • 1)鎖骨の形によって上手く持てないことがある、
  • 2)右手が届かなくなる可能性がある、

という二点です。

鎖骨で楽器を保持する場合、肩当てを使って肩で楽器の保持を分担するよりも、楽器が「奥に」入らざるを得ません。これが、肩当てなしでも楽器を保持できる理由でもあるのですが、逆に鎖骨の形と首の長さによっては、楽器の保持が全くできなくなる場合があるのです。鎖骨の発達状況に比べて首の長さが長い場合、楽器の厚みが足りないためにこの持ち方ができません。かといって、楽器の淵だけを厚くする、「鎖骨当て」というものは、ヴァイオリンの形状からいって作ることが困難です。肩当てをすると楽器が鎖骨より首から遠いところで安定しますから、どうしても肩を使ってしまうことになってしまいます。

左手の問題は、場合によってはもっと深刻です。腕が短く、手首に柔軟性がない場合、そっぽを向いた楽器に対して弓を垂直にあてることが、特に弓先で難しくなる場合があるからです。楽器の持ち方が、ボウイングシステムを規定してしまうのです。メニューインの教則本(Six Lessons with Yehudi Menuhin)では、左手を使って楽器の位置を自由にコントロールすることが前提になっていますが、右手に注意を払いながら楽器の位 置を調整することは、特に始めたばかりの人にはかなりの困難が伴うので、現実的でない場合があります。

実は、僕の持ち方は、このメニューインの変形です。基本的には楽器を首と鎖骨の間に挟んでいますが、楽器の基本位 置は、メニューインのものとはかなり違って、身体の正面に近いものです。そのために、メニューインが想定しているよりもかなり左手にかかる負担が大きく、特に困難な曲を弾く場合には、楽器の位置を変えるか、肩当てをする必要に迫られてしまいます。(もっとも、最近はそういう曲自体をあまり弾かないので、肩当てをすることもほとんどありませんが。)自分の形をじっくり観察してみると、それが可能なのは、やはり「左肩が前の方に湾曲している」からなのです。この変形がない場合、僕の楽器の保持法ができるかどうか、自信がありません。

このように、メニューインの保持法はとても合理的ではあるが、楽器を大人になってから始める方が採用するには、いろいろな問題点があると思います。それを解決できる場合には、もちろんこの保持法を使うことに異論はありません。

「楽器を持つ前に」でも少し触れたのですが、もう一度「脱力」について書いてみようと思います。最近のレッスンで大きな問題になって、さらに細かく説明する必要性を感じたからです。「脱力」と一言で言ってしまうのはとても簡単ですが、本当に脱力できているのかどうかということを確認しないと、とんでもない勘違いをしてしまうことがあります。それは、生徒だけでなく、先生にも起こり得ます。それを知らないと、ヴァイオリンの上達にとって、大きな阻害要因になってしまうのです。

特に「肩」の問題を取り上げたいと思います。

ヴァイオリンを弾くときには、右手も左手も「脱力している」形が基本になります。この時、弾いている人の意識はどこにあるでしょうか?多くの場合、手首、肘、さらに肩に意識があるはずです。この三点に力が入っていないと、「脱力が出来ている」と判断されることが多いと思います。はたしてこれで良いのかどうか、幾つかの実例から問題意識を持ちました。

まず、腕を上げる動作を「肩の変形」で行っている場合があることです。肩に力が入っていると、肉眼でもよくわかります。ですから、レッスンの時に先生が「力が入っているわよ!脱力して!肩を上げないで!」などと叫ばれることもあるはずです。同様に、肘・手首に力が入っている場合も、腕をよく見ているとすぐにわかります。(僕がレッスンするときには、冬でも半袖を着て弾いてもらっていたことがありました。最近は洋服の上からでもほとんど判断できるようになりましたが。)こうした修正は、レッスンでも自宅での練習でも比較的「わかりやすく」行えます。(わかりやすい、ということと「簡単だ」ということは別 です。)

問題は、肩そのものの変形で弓を保持・動かしたり、左手を上げたりしている場合です。この動作は、人によっては全く「無意識に」行われます。ですから、「脱力して」いる状態自体が「肩が変形している」上に起こります。この場合、肩から先を脱力しても、全く別の話になってしまうのです。

この状態は、日常生活の延長で起こります。手や腕を使うとき、肩を常に変形しながら使っている人は、肩の無理矢理の変形をした状態で、他の部分の脱力だけをしようとしてしまいます。御菓子の袋を開ける、ビールの栓を抜く、椅子を移動する、などといった日常生活でいつも起こる動作が、常に肩の変形を伴っている場合です。体質的な問題は別にしても、「何をやっても肩が凝る」人には、この疑いがあるように思います。

肩の変形を伴って「脱力しているような気がしている」場合、ボウイング筋はほとんど使えません。ボウイング筋は、もちろん左手を上げるときにも使われるべきものですが、この筋が使えないと、二つの大きな弊害が出てきます。一つは、「腕、指が速く動かない」ことで、もう一つは「腕の重さが使えない」ということです。

速く動かないことを実感していただくのは簡単です。パソコンの前でタイプを叩いてみて、その時に手首や肘に順に力を入れてみます。指先の運動性能が、明らかに落ちるはずです。手首や肘ほど顕著ではありませんが、肩に力が入っている場合でも、運動性能は落ちます。第一、長続きしないでしょう。

腕の重さを十分に使えない状態の認識は、これに比べて少々難しくなります。ふだんの生活で「腕が重い」のは「不正常な」状態だからです。次のような実験をしてみて下さい。

まず右手で弓を持ってみます。実際に演奏する位置まで右手を上げ、左手で下から肘を支えてみます。そこで右手を弓を持っている部分以外、完全に脱力してみます。(楽器を始めたばかりの人は、弓を落としてしまう可能性がありますから、落としてもかまわない同じくらいの重量 のものを持ってやってください。)脱力した瞬間、支えきれないほどの重量が一気に左手にかかるはずです。そうではない場合、「正しい脱力になっていない」と判断できます。

一人でやるのは少々怖いので、できれば他の人とやってみることをお勧めします。もちろん、先生にお願いしても良いかもしれません。右手を支えてもらって、脱力したときに相手が顔をしかめるくらい重量 がかかれば正解。人間の腕は結構重いもので、背の低い・腕の細い女性でもかなりの重量 になります。ちなみに、僕は多くの女性より腕の骨格が細く、手首を握ると爪が完全に隠れてしまうほどですが、生徒に腕を持たせると「すっごく重い!」と言ってびっくりします。逆に、体格のよい男性でも、やってみると驚くほど腕が軽い人がいます。これは、「肩で変形している」場合がほとんどだと思います。

右手も左手も実験してみましょう。「右はできるけど左は出来ない(ないし反対)」という可能性もあるからです。

これができないと、右手では「重みが弓に伝わらない(楽器が鳴らない・大きな音が出ないなど)」、左手では「運動性能が落ちる(指が速く動かない・ポジション移動がスムーズに行かない・ヴィヴラートがかけられない、固いなど)」という症状が出てしまうことがほとんどです。無理にやろうとすると、音をつぶしてしまったり肘を痛めたりしてしまう可能性があります。

対策はいろいろ考えられますが、基本的には「肩をフリーにする」感覚を覚えることにつきます。上記の実験で腕の重みに自信がない方は、次のような実験もしてみましょう。

まっすぐに立ち、なるべく身体を楽にします。そして腰を少しずつ前に曲げていきます。肩と首は力を入れないように注意してください。顔が真下を向くぐらいまで傾けます。その時、腕も首も「重力に従って」真下に向かおうとしているはずです。この時点で、腕が変な方向を向いていたらアウトです。初めからやり直してください。(人によっては、まっすぐ立っている時点ですでに肩が固定されている場合があります。むしろ、初めから腰を曲げて、腕が地面 に向かってまっすぐ落ちるようにすることから始めた方が良い場合もあります。)

顔が真下に向くほどかがんだら、腰から身体を左右に揺すってみます。腕が自由に・ランダムに動くはずです。肩に沿って平行に動いていたら、それは肩が自由になっていない証拠。こうして、「肩をフリーにする感覚」を理解します。続けて、下を向いたまま、手で何かを持ってみます。そして、同じように身体を振る。ものを持つことによって、肩や肘に力が入っていると、先程のようなランダムな動きが少なくなります。

こういったチェックを、今度は普通に立って行います。この「肩をフリーにする」感覚が身に付かないと、脱力の意味は半減し、ボウイング筋を使うこともできなくなります。特に右手は、十分な重みを使えないことになり、楽器がよく鳴りません。

このような脱力作業の確認は、実際のレッスンで先生が見ながらやるのがもちろん効率が良いので、自分でやってみてよくわからなければ、レッスンで見てもらってください。

ボウイングについてきちんとしたことを書こうとすると、それだけで一冊の本になってしまうでしょう。また、ボウイングは一人一人違うものであり、ある記述がすべての人に役に立つとは限りません。ここでは、そのことを前提として、右手の考え方について知っておいてほしいことを書いておこうと思います。

ボウイングのシステムについて

「ボウイングは一人一人違う」と書いたのには、二つの意味があります。一つは、ボウイングの発想そのものが一通りではないということです。私は、「ボウイングのシステムの違い」という言い方をしますが、発想が違うと、弓の持ち方も腕の使い方も全く異なるのです。まず、ストリング誌に書いた文章に加筆したものを読んでいただきましょう。

========================================

(1)ボウイングに対する固定観念を排除する

ボウイングの練習の前提としてとても大切なことを述べておきましょう。ボウイングは人それぞれであるということと、とくにレイトスターターはプロの演奏家のボウイングをそのまま真似しようと思ってはいけないということです。

名手といわれる人を比べても、ボウイングはさまざまですね。プロのオーケストラをみていると、奏者一人一人のボウイングが非常に違っていることにも気がつくでしょう。小さい頃からヴァイオリンの練習を積んできた人たちは、長い間に体の使い方を覚えていきます。ですから、その人その人に合ったボウイングが可能になっていきます。とはいえ、プロ奏者ですら体を痛めてしまうことも決して少なくありません。アマチュア、特に大人になってからヴァイオリンを始めた人が、特定の奏者のボウイングを真似することは困難なのです。

このことから次の結果を必然として得ることができます。つまり、教える側は自分のボウイングだけを信じて大人の生徒に強制してはならないということです。体つきや運動の仕方が異なる人に自分の体の動きを真似して覚えさせようとする教え方は、多くの場合不適切です。このことは、昨年4月号で取り上げた斉藤さんだけでなく、私のところへ「かけ込んできた」生徒さんの実例をたくさんあげることができます。また、先生がとても良い楽器を使っていらっしゃる場合、生徒に同じ奏法や力のかけ方を求めることが無理である場合もあります。これも、比較的気がつきにくいことです。

例えば「人差し指は弓に重さをかける指、小指は弓の重さのバランスを取るために使う指」という「よく見る」記述がすべての方に当てはまるとは限りません。この考え方が当てはまるボウイングスタイルをしている方は確かに多いと思いますが、当てはまらない人もいます。さまざまな「指摘」が必ず自分に当てはまるのだ、と思わないでいただきたいのです。

ということは、自分にとっての「正しいこと」をどのように知るか、ということが問題になります。もちろん、レッスンについていてそれぞれの指導を受けていれば「その人に合った」指摘を受けることができる可能性が高いのですが、そうでない場合、「自分で、体の使い方を音が出る物理にまでつながって考えられるか」ということがキーポイントです。自己検証する方法を身に付けることが、ボウイングを身に付けるためにも必要なことなのです。この点は、私の連載の中で繰り返し述べてきたことです。

(2)ボウイングをトータルに捉える目の必要性

昨年12 月号でご紹介したTさんの実例です。Tさんは、小さい頃ほぼ10年間ヴァイオリンのレッスンに通っていました。当時の彼女の先生は、ロシアンタイプ(注)のボウイングで、手首を柔軟に使い、小指がほとんど弓に触れていない状態で弾くことが普通でした(もちろん、Tさん自身が「ロシアンタイプ」と認識していたわけではなく、どんなボウイングをしていたか、どんなことを教わっていたかを検証した結果得られた結論です)。

Tさんは、一昨年ある大手の音楽教室で20 年振りにヴァイオリンを再開しました。そこで、タイプの違うボウイングの先生についてしまったことが苦労の元となりました。先生は、Tさんのボウイングシステムを理解できずに、ただ「小指はしっかりと弓に付けてバランスを取らなくてはなりません」とだけ指示したのです。ある種のロシアンスタイルで弾いている状態で単に小指を弓に付けることには、非常に大きな無理があります。肩、肘、手首、などの使い方が全く違いますから、「できるわけがない」のです。結果的に、腕をどう使って良いのかわからなくなり、あちこちに力が入ってしまうようになってしまいました。まじめに練習される方だけに悪影響も深刻で、一年間の間についてしまった悪い癖を取るのに三ヶ月ほどもかかりました。

これは、ボウイングをトータルで考えられないために起きてしまった残念な事例です。特に、Tさんはグループ形式のレッスンに参加していたため、画一的な指導しか受けられなかったのでしょう。しかし、先生がご自分の経験だけしか知らない場合、注意しないと、このようなことが通常の形態のレッスンでも簡単に起きてしまいます。特に、ボウイングを見て、手のある一部分だけを修正しようとすると、生徒の側が混乱を来してしまうことは珍しくありません。途中で先生を変わった場合などによく起こることでもあります。

もう一つ、実例を挙げておきましょう。事情があり、お名前を書くことができませんが、ある若い優秀なヴァイオリニストの例です。この方もやはりボウイングで迷路にはまった事例です。

この方は、名前を聞けば誰でも知っている有名な先生に師事していました。ところが、ボウイングに悩み始め、ついには体を痛めて、ヴァイオリンを続けられるかどうかという瀬戸際まで追いつめられてしまいました。原因は、複数の先生から順に部分的な改造をほどこされ、それぞれの先生の考え方の根本を理解することができないままにボウイングに工夫を重ねてしまったことでした。初めて拝見したとき、私はこの方のボウイングを「右手に何人もの亡霊が付いているよ」と表現しました。肘、手首、弓の持ち方、肩の動き方などの統一がとれておらず、楽器を全く鳴らせない状態だったのです。

Tさんのケースもこの方のケースも、先生がそれぞれのボウイングにおける体の動きと音が鳴る物理を理解していれば起きなかったことです。ここに挙げた実例以外でも、私のところに相談に来られた方で同じようなケースが何件かありましたが、どれも「持ち方」「手首」など、ある部分にこだわって修正を加えた結果、全体としてバランスを失した状態になったために起きたことでした。

 ボウイングを練習するときに、自分がどんな流派か、などということを知る必要は全くありませんが、特に先生を変わったときなど、ボウイングを体の動きと楽器が鳴る物理でトータルにとらえることは忘れてはなりません。

(注)ロシアンタイプとベルギータイプ

このような呼び方が正確かどうかわかりませんが、ボウイングのタイプの二つの大きな流れです。前者は写真1のように弓を持ち、写真2〜4のように運弓します。ハイフェッツのビデオなどを見るとよくわかるかもしれません。後者は写真5のように弓を持ち、写真6〜8のように運弓します。フランコ・ベルギー派の流れを汲む現役の有名なソリストは、デュメイです。

ロシアンスタイルの場合、小指、場合によっては薬指も弓から離れていることが珍しくありません。手首を柔軟に使うのも特徴で、「手の甲を顔の方に近づけるように」などと指示された場合、このタイプが基本である可能性が強いと思います。ベルギータイプの場合は、指は基本的にすべて弓についています。

30年以上前は、日本でヴァイオリンを教えている方は前者が大変多かったと思います。私も、小野アンナ先生の流れを汲む先生に手ほどきを受けましたので、完全にロシアンスタイルでした。私の昔の写真を見ると、現在と全く異なり、小指が完全に離れているのがわかります。

ボウイングスタイルを意識して学ぶことは希です。また、説明した「ロシアン」「ベルギー」にしても、たくさんのバージョンがあります。そして、現代では実際には純粋に伝統的なタイプは珍しく、両者の中間のどこかに位置する方が多いはずです。

また、近年のジュリアードなどで教えられているボウイングの考え方などの、過去のカテゴリーにはあてはまらないボウイングスタイルもあります。特に最近は、弓をしっかりと持つボウイングが増えているように思います。

======================================

お読みの通り、ボウイングはそもそもの発想が違うと、アドヴァイスが全く役に立たないだけでなく、害になったり体を痛めたりする可能性すらあります。ですから、「親指はこう使う」「人差し指の深さはこれくらい」などという、具体的な話を、ウェッブではすることができないのです。さらに、個体差によって指の位置や手首の角度は違って当たり前という、もう一つの問題もあります。

自分のボウイングを考えるための思考法を獲得するための前提

それでは何を書くのか、というと、自分のボウイングを判断できるようになるための思考法です。

まず、音をどのように作るのか、という意識を持つことが思考の出発点です。漫然と弓を楽器の上で運動させていては、しっかりした美しい音を出せるようにはなりません。音を作る意識を持つために、音がどのようにできているかを知ることが大切です。少しだけ、自分の考え方を検証してみてください。

レイトスターターの多くが、教則本を順に学んでいると思いますが、音を変化させる(強くする、弱くする、硬くする、やわらかくするなど)ことを学ぶはずです。その時に何を考えて、どのように練習しているでしょうか?

音を強くするためによく言われていることは

  • 1)圧力を強くする
  • 2)弓のスピードを上げる(弓の量を増やす)
  • 3)駒の近くを弾く
  • 4)ヴィブラートをかける

でしょうか。こうしたことは、どこにでも書いてありますし、どの先生も教えてくださるものでしょう。しかし、実際にやってみるとどうしても上手な人のような変化がつかずに悩んでいる人が多いでしょう。なぜでしょうか?

大きな理由は二つあります。一つは音色や強さの違いをつけるためには楽器をよく鳴らさないとダメだという視点が欠落していることが多いことと、音のイメージを奏法の違いとして意識することができないでいることです。

大きな音が大きな音として「役に立つ」ためには、それに対比する小さな音が必要です。楽器が鳴っていない状態で単に音を小さくしようとすると、「よく聞こえる小さな音」ではなく「単に聞こえない小さな音」になってしまいます。もちろん、楽器が鳴っていない状態で音を大きくすることもできません。つまり、一番最初に学ぶべきことは、楽器を十分に鳴らすこと、なのです。

自分のボウイングを考えるときに、楽器が鳴っている状態を最初に作って、それを基にさまざまな判断を加えていくことが大切なのです。

楽器を鳴らすこと

楽器が十分に鳴っているかどうかは、初めのうちはよくわからないかもしれません。特に、小さな部屋だけで練習していると、なかなか楽器が鳴っているかどうかを知ることができない人が多いようです。楽器を十分に鳴らすためには、かなりのG(駒の足にかかる加速度)が必要です。腕の重みや力を加える必要があるのです。「弓の重みで十分に楽器は弾けます」という主張を、アマチュアの方のサイトで何度か目にしたことがありますが、残念ながら真実ではありません。楽器が充分に鳴った、よく通る音にはならないのです。

問題は、負荷を強くかけるためには、弓の速度と柔軟性のバランスが取れていることが必要だ、ということです。負荷に対して弓の速度が遅いと、弓が滑らかに進行せずに「がりがり」という、「連続した子音(噪音)」が発生してしまいますし、柔軟性が不十分だと、音がゆがんだりつぶれたりしてしまいます。それを避けるために、負荷をかけることを恐れている人が多いのでしょう。

嫌な音がしたときに最初に考えるべきことは、腕全体の柔軟性をチェックすることです。つまり、腕全体を柔軟に使えるような右手を作るためのトレーニングが最初に必要である、ということです。トレーニング法に関しては、少しずつ書き足していくつもりです。

楽器が鳴っているかどうかは、いくつかの方法で確かめることができます。一つは、直接的に楽器の振動を知ることです。開放弦であれば、楽器をしっかり保持して(このこと自体が楽器の鳴りを減少させることではありますが)開放弦を弾いてみて、楽器が鳴っているかどうかを左手で楽器をさわることで知ることも可能でしょう。もう一つ、私が生徒にお願いしていることは、楽器がどのあたりで鳴っているかを注意深く感知することです。楽器が上の方で鳴っているような感じがしている間は、あまりよい鳴り方をしているとは言えません。楽器が鳴っている位置が下がっていくようなイメージができればしめたものです。よく、「裏板が鳴る」と言いますが、良い状態で楽器が鳴れば鳴るほど、楽器が鳴っている場所が下がっていくような気がするでしょう。

楽器がよく鳴っている状態で大きな音が出せるようになると、ボウイングの本当の練習が始まるのだ、と思ってください。

奏法、という考え方

音の違いを表現するためには、「なんとなくそんな感じ」で弾くだけではダメです。「イメージを作ることが大切だ」とよく言われますが、イメージだけでは表現力を付けることはできません。

奏法(ガラミアンの本などでは「右手の型」とされているもの)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「こんな音を出したい」というイメージを具現化するものが、この「奏法」です。例えば、「鋭い音」というイメージがあったとします。この「鋭さ」をどのような物理的な作用で表現することができるのか、ということが、奏法を考える意味なのです。そして、奏法は、楽器がどのように音を出すか、という物理を知った上で、体の使いかを理解しなくては、獲得することができないものなのです。

残念なことですが、奏法に関しては、かなりの混乱があります。例えば「スタカート」と言ったときに、それが作曲者がある音の形をイメージして付けた記号を指すのか、フィジカルな奏法を指すのか、ということがしっかり分別できていないことが多いのです。「・」で表される記号を「スタカート」と呼ぶのが普通ですが、この音をどの奏法で実際に演奏するか、ということは、ある意味で「解釈」の問題に属します。作曲家や時代によって、記号が示す意味は違います。「・」という記号のついた音を、「デタシェ」で弾くことも「ソティエ」で弾くことも、「スタカート」で弾くこともあるのです。

右手のトレーニングは、さまざまな奏法を自分のものにしていく過程である、と理解していただきたいということが、この項の最大のテーマです。実際の奏法のトレーニング法に関しては、奏法研究のほうに順に上げていくつもりです。