柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > レイトスターターのためのヴァイオリン講座 > 〈 講座04 〉音感について 1

まずは、「音感」がテーマです。楽器を実際に演奏する事の前に、練習するということが何のためなのか、どのようなことを考えるべきか、知っていただくためです。「大人になって始める楽器・どんな曲が弾けるようになるのでしょうか」でも簡単に触れているのですが、少し詳しく書いてみようと思います。なお、これから書く文章群は、「大人になって始める楽器」を前提にしますので、そこで説明されている言葉は説明なしに使われていることがあります。ご了承下さい。

◎ 音感って何だろう ◎

「音感」という言葉は、ネット上では様々な意味で使われているようです。いわく、「音感がない」「音感を鍛える」「音感を持っている人」などなど・・・使われているそれぞれの意味は、どうもはっきりしません。言葉の定義自体も問題ですが、使われ方、才能なのか鍛えられるのか、といったことも、非常に「混乱して」言われています。そこで、私なりの定義付けと説明をしようと思います。

「音感」という言葉を、「ある音程を聴いて名前の付いたどの音か判断できる」という意味に使っている方がとても多いようです。これと同じ意味で「絶対音感」という言葉を使っている方もいらっしゃいます。果たしてそれだけなのでしょうか? 比較のために、平凡社の百科事典の定義を引用してみます。

【音感】

音あるいは楽音の性質(音高、音価、音色、強弱など)を聞き分ける能力。この能力をたかめて音楽の学習に役立てることを音感教育という。(中略)音感教育は単音の性質を識別 するだけでなく、さらに音の相互関係に対する鋭敏な感覚(フレーズ感、和声感、調性感、リズム感、楽器法など)を養うまでに発展するが、現在の音感教育はほとんど音高の識別 能力の開発のみに集中している。音高に関する音感には、絶対音感と相対音感とがある。絶対音感とは、音高を楽器などの助けを借りずに識別 する能力で、先天的な素質の差はあるが幼児期に訓練しないとつきにくい。相対音感は、与えられた音からの距離(音程)によって音高を識別 する。(後略)

(平凡社大百科より引用)

これに対し、あるチェロの先生のサイトですが、「スケールはピアノかチューナーで正確に合わせて覚えること」という記述があります。ここでは「音感」という言葉を、単に「単音の音高を識別する能力」という意味に使っています。これと同じ意味で「音感」という言葉を使っていらっしゃる方はとても多く、いろいろな掲示板でのやりとりなどを見ていても、プロの先生がそのように使われていることも多いのです。そして、「音高を判別 する」ことに偏った指導をされる先生がとても多いことも事実です。(その指導の内容にも問題があることがあります。その点については後述します。)

私が「音感」と言うときには、引用した百科事典の定義と近いと考えてください。「音感」にはいろいろな要素があります。音高を識別する能力もそうですし、強弱を理解すること(これが案外難しい)、音色の差を理解することなど、全て音感を鍛えることによってできることです。さらに、和声感、フレーズ感などと音感が結びつくと、「音楽を理解し楽しむための感性」になっていくのです。「音の高さを識別 する能力」は、音感の一つのアイテムに過ぎません。

◎ 音高を識別する能力 ◎

音高を識別する能力は、「絶対音感」という言葉として定義されることがあります。この「絶対音感」という言葉も、くせものです。「私には絶対音感がないからヴァイオリンは弾けない」とか「絶対音感があるかないかは、その人の演奏能力に直結する」という議論をよく見ます。さて、これは本当でしょうか?

絶対音感とは、音高の差を「全て」認識できる能力です。例えば、440HzのA音に対して純正な五度上のEと、441HzのA音に対して平均律で取ったE音の差を「単音で音を出したときでも」理解できる能力です。「あ、これは441HzのA音に対して平均律で取ったE音よりやや低い音ですね」なんていうことができちゃう能力です。(純正と平均律についてご存じない方はアンサンブルのレッスン「lesson1-2純正調と平均律の基礎知識」を参照してください。)この能力を持っている人は極端に少ないといっていいでしょう。先天的な鋭敏さとおよそ3才までに出来上がる脳のネットワークによってその能力が付きそれ以降は発達しない、と考えている人もいます。ですから、大人になって始めようと言う人にねだっても仕方ありません。もちろん、私もこんな能力は持っていません。そして、こんな能力はヴァイオリンを弾くために全く必要ありません。

これに対して、例えば道を歩いていて聞こえてきた音が「大体何の音か」ということを識別 する能力は、比較的多くの人が持っています。もちろん、ピアノを単音で叩いて何の音かを判別 することなどもそれと同じことです。この能力に「絶対音感」という言葉を当てはめている方がとても多いですね。こんな言葉は一般的ではないのですが、きちんとした理解をしていただくために、私はこの能力を「疑似絶対音感」と呼んでいます。この能力は、訓練次第でほとんどの人が使うことができるようになります。

自分のことを例に取ると、中学生くらいまで、私は「和声や響き」で音を覚えていました。だから、ある曲を歌い始めるとき、違う音高で始めてしまうことがしばしばありました。ヴァイオリンを始めたのが比較的遅い(10才)ということもあり、音高を判断する能力を十分訓練できていなかったからだと思います。中学生の後半からヴァイオリンが面 白くなり、いろいろと考えながら(もちろん、今から考えると幼稚なものですが)練習するようになると、まず、自分のヴァイオリンのA音が「いつもより高いか、低いか」ということがわかるようになりました。「僕には絶対音感がない」とそのころは思っていましたから、それから結構夢中になって「音が覚えられるか」ということを実験した記憶があります。初めのうちは、「音高」だけでなく他の要素を借りて音の高さを判別 していました。例えばメンデルスゾーンのコンチェルトのオケの出だしの和音。あの独特の雰囲気はあの調でないと出ません。それがわかると、ヴァイオリンの出だしの音は自然に頭の中でなります。これで、Hの音を覚えたわけです。「英雄の生涯」の出だし。あの腹に響くような感覚を感じると、Esの音を覚えたのと同じ効果 があります。こんなことを積み重ねていくあいだに、単音で鳴った音を「何という名前の付いた音に一番近いか」ということを瞬間的に識別 できるようになりました。

この「疑似絶対音感」は、練度によって非常に大きな差が出ます。それが、世の中の人が「音感がある人とそれが無い人には絶望的な差がある」と思ってしまう原因です。しかし「練度によって差がある」ということは、「練習すればなんとかなる」というものでもあります。ただし、それにはかなりの訓練が必要ですが。また自分の例で申し訳ありませんが、私と会って合奏をしたり話をしたりした方の多くは、私が絶対音感を持っていると「勘違い」なさいます。それは私の「疑似絶対音感」が比較的練度が高いからです。これに対して「自分の好きなこの歌ならいつもほぼ同じ音程で歌い始められるのだが、あとはさっぱりわからない・・・」というのが、「いちばん練度の低い」疑似絶対音感の例でしょう。(もちろん、声帯の形で偶然その音高が歌いやすいということではなく、「頭の中で鳴る音程」の話です。)

というわけで、世の中の多くの人が「絶対音感」と呼んでいる「単にある音高が名前の付いた音のどれに当てはまるのか・近いのか、ということを判断する能力」とは、鍛えることのできるものなのです。しかし、「ヴァイオリンを演奏するためにそんな能力をつける訓練をわざわざする必要はとりあえずありません」。もっていれば楽ですし、プロになるならどうしても必要な能力ではあります。それよりも大切なものは、「音の相互関係を識別する能力」です。

◎ 音の相互関係を識別する能力 ◎

音の相互関係を識別する能力は、いわゆる「相対音感」や和声感、フレーズ感などを指します。これは「音高を識別する能力」(絶対音感)と違い、ヴァイオリンを練習するためには必要不可欠なものです。

わかりやすくするために、いつものように「料理」を例にとって説明してみます。(簡単な話は、コラム「絶対食感と相対食感?」で述べました。)

みなさんは、好みのビールの銘柄がありますか? ビールでなくても何でも結構です。目隠しをして飲まされた時、「あ、いつも飲んでるあのビールだ」と感じるものをお持ちでしょうか。おそらく、いくつかのものはそういった「好み」「慣れ」から来る確かな記憶を持っていらっしゃると思います。さらに、違う銘柄を飲んだとき、「いつものより甘さが強いなぁ」とか、「苦みが足りない」などと、記憶された味覚と比較することができるのではないでしょうか。この「記憶」が「音高を判断する能力」で、「比較」が「音の相互関係を識別 する能力のうちの一つ」にあたります。

優秀なソムリエは、無数にあるかのように思われるワインの銘柄・年度を「記憶」しています。さらにその記憶を「言葉として」伝えることすらできます。新しいものを飲んだときに、自分の記憶と参照して、どこのものかを「推測する」能力すらお持ちの方もいらっしゃいます。つまり、絶対的な味覚の記憶とそれを比較する能力とが組み合わさって、すぐれた仕事ができるわけですね。

音楽の場合、こう単純ではありません。なぜなら、「複数のワインを同時に飲む」という、食の世界ではあり得ないことが起きるからです。(敢えて食と比較するならば、こうでしょうか。ある人がお吸い物を飲んだとします。その人は「小豆島のどこのメーカーの醤油と伯方の塩、水は富士ミネラルウォーターで日本酒は菊水の純米酒、鰹節はどこどこで昆布は羅臼の特級品。さすがに美味しいねぇ」と感じます。これがある意味で「絶対音感」ですね。一緒に作られたときの「お吸い物としての味」よりこんな感じ方をしてしまうとしたら、「楽しみ方」としては不幸かもしれません。)

音楽では、「相対的な関係」がより重要になります。「この料理にはこのワインが合うね」とか、「この味の次にはこれが食べたい」という感性です。また、「この料理の塩加減はこのくらい」とか、「この素材にはこの調味料が合う」などといった判断をする能力です。世の中で食事を作っている旦那さん、奥さんのなかには、「結婚してから徐々に料理を覚えました」という人も多いのではないでしょうか。ソムリエのようになるのは無理かもしれませんが、それでもこの「相互関係」は、きちんとしたことをやっていれば、訓練することが可能なのです。「美味しい」「まずい」を判断する能力ですから。

さて、本題に戻ります。

音の相互関係は、時間をずらして横につながるときに旋律として作用し、同時に鳴って縦につながるときに和音として作用します。これを「美味しい」「まずい」と感じる能力が、ここで必要な「音楽的な感性」です。この感性は、実は料理や素材を美味しい・まずいと感じる能力より一般性が高く取得しやすいものだと思います。味蕾は習慣、体調などによる変化が大きく、個人差が圧倒的に大きいからです。音の関係は、比較的単純な物理の法則に従います。ですから、一流のプロもアマチュアも、「美しい」と感じるものにそれほどの差はないのです。(ただし、「知らない」と話は別になります。このことについてはこちらを参照してください。)

この相互関係は、「きもちいい・わるい」で表現しても良いでしょう。二つ以上の音が同時に鳴ったとき、「気持ちいい」と感じる関係か「気持ち悪い」と感じる関係かは、物理的に説明が可能です。ですから、合理的な訓練をすることによってこれらを判断する能力を鍛えることは、単純に音高を覚えることよりもはるかに易しいのです。

そうして鍛えられた感性は、単音の関係性では「相対音感」として、和声とその進行に関しては「和声感」として呼ばれ、説明されます。これらの感性は、人間の自然な反応に根ざしているものです。例えば、小学校で「お辞儀」をするときの和音を思い出してみてください。ドミソに戻ったとき、自然にまっすぐになりたくなるでしょ。そう感じるのが自然なんですね。

もう一つ、フレーズ感、についても少し説明しておきましょう。

フレーズを説明するのに、言葉を例にとってする先生が多いですね。「フレーズは句読点で区切られた固まりです。だから、変なところで句読点を打つと読みにくかったり意味が違ったりします。」という説明に代表されるものです。ある意味で正しいと思うのですが、少し補足が必要です。つまり、フレーズがどこまでかということは、その旋律線の行方自体が和声の進行によって決まったり、リズムによって影響を受けたりすることがあるのです。そういう全ての要素を含んでフレーズを感じることが必要です。

◎ 音感の訓練の実態 ◎

初めにも書きましたが、こんな文章を書く必要性を感じたのは、最近インターネットで「ヴァイオリンの先生」と称する人たち(これも本当かどうかはわかりませんが)が本当に無責任なことを書いているのをたくさん目にしたからです。その一番の例が、「音感の訓練」です。

二つの音が同時になるとき、人間の耳は「二つの音の周波数比が単純であるほど美しく聞こえる」という性質を持っています。旋律についても、原則的に「進行する場合はより広く、反対の場合はより狭く(スケールで言うと全音は広く、半音は狭く)」音の間隔をとると自然に聞こえます。(原則的に、と書いたのは実は大変重要です。そのことは違う項でゆっくり説明します。)この「同時になる音」の関係を美しく捉えたものが「純正律」で、旋律線を美しく聴かせるための基本的な音同志の間隔が「ピタゴラス」と呼ばれているものです。(ここでは周波数比などの物理的な説明はしません。ご存じない方は、こちらを参照してください。)

さて、問題は、この「人間の耳に心地よい音」をどうやって覚えるか、ということです。これが「音感を鍛える」ことにつながります。スケールを例にとって説明します。

多くの先生達が、「初めはピアノやチューナーに合わせなさい」という指導法を取ります。この指導法には、致命的な欠点があります。以下にその理由を述べます。(ここで言うチューナーとは、市販されている比較的安いもの、つまり平均律しか判定できないものを指します。今はピタゴラスであろうと純正であろうと再現できるものもありますから、それらを使った場合、話は若干違ってきます。)

まず、調弦からスタートします。調弦を「耳に心地よい」純正な五度で覚えるとします。この段階で、すでにA線以外の開放弦はチューナーとは乖離します。その差は、A線から離れれば離れるほど、より大きくなります。ですから、純正な五度で調弦をすることを覚えると、「そもそもチューナーを使ってスケールの音程を確認すること」はできません。それでは、調弦をチューナーに合わせる、すなわち平均律にしたらどうでしょうか。そうすると、ピアノと同じ音程のスケールを練習することはできます。こうするとしかし、「本当に美しい音」を耳にする機会は、オクターブ以外、完全に失われることになります。これでは耳を鍛えることができないのです。完全に純正な2音は、時として「一つに」聞こえます。平均律の間隔だけを聴いて育つと、音が一つに聞こえてしまう純正なオクターブが気持ち悪くなります。それだけが特殊ですから。私の教えた生徒さんの中にもこういう人がいました。真面目に練習すればするほど、人間の耳に心地よくない間隔が正しいと錯覚してしまうのです。

ピアノやチューナーを使ってスケールの練習をさせる先生達は、その理由を「初心者はどこを押さえて良いかわからない。だから大まかなガイドがないと練習のしようがないからだ。」と説明することが多いようです。先生によっては「進度が上がれば、きちんとしたスケールを教える」ともおっしゃいます。私はここに、非常に大きな問題を感じてきました。

まず第一に、「耳を鍛える」という発想がないことです。あるのは「音高を覚える」という意識だけです。(それも平均律の音高ですから、覚えて何の役に立つのかよくわかりませんが・・・)ある先生はこうも仰っています。「初心者は最初は音感がない。純正な関係やピタゴラスを理解することはできない。だからピアノやチューナーで平均律の音を覚えることが重要。もし本人が望めば、そのときに純正やピタゴラスを教えればよい。」これを読んで、この先生に教わっている生徒さんが気の毒でなりませんでした。

まず、レイトスターターは「音感がない」から、純正な関係やピタゴラスを理解する能力に欠けている、と断じています。このこと自体に疑問はあるのですが、それはともかく、その「耳が鍛えられていない初心者」に「平均律の音高を覚える努力をしろ」と言っているのです。ご本人はこの矛盾に気がついていないようですが。平均律の音高を覚えるというのは、実は恐ろしく難しいことなのです。なぜって、頼りにするものが全くありませんから。純正な五度ならば、うなりを聴き、響きの差を理解する訓練ができます。(アンサンブルのレッスン「lesson 1-1チューニング」をお読み下さい。)しかし、頼りになるものが何もない平均律の音程を「記憶する」ことは、大変に難儀なのです。そういう「訓練」をさせて置いて、なかなか上達しないレイトスターターに、「やはり子どもの頃からやらないと音感はつきませんねぇ」という結論を出してしまう。こういう先生に習ってしまったら、本当に美しいヴァイオリンの音程を知るチャンスは永久にやってこないでしょう。弦楽器はとても魅力的で、不思議な楽器です。同じ名前がついた音でも、全く違うところを押さえなくてはならない場合があります。(「同じEでも場所が違う」参照・Thanks to 大三元さん)その差は、肉眼で見ても認識できるほど違います。しかし、そうすれば美しい響きを得ることができるのです。そのことを、大人になってから始める人にはきちんと理解してもらって、耳を鍛えることが絶対に必要なのです。

さらに、「もっと弾けるようになったら」ないし「本人が希望すれば」純正な和音やピタゴラスを教える、というスタンスにも大きな問題を感じています。まず後者の場合ですが、「知らなければ要求のしようがない」のです。どうも自分の弾いている音程は素敵なソリストと違うようだ・・・と感じても、「下手だからだ」としか思えなければ、ソリストが平均律とは全く違う発想で音程をとっていることなどわかりようがありません。それと、「もっと弾けるようになったら」のケースです。

これも私の実例ですが、そういった音程を知らずに上達すると、後から修正することはものすごく大変なことなのです。きちんと練習して平均律がしみつけばしみつくほど、音程を直すことには大変な苦労が生じます。多くの先生は、この苦労を理解していません。なぜかというと、先生達は子どもの頃から弾いているので、「その音は少し高めに」とか「もっと低めに」という修正に慣れているからです。それは、小さい頃から弾いているために耳が鍛えられているからでもあります。しかし、そういった耳を持っていないレイトスターターが音程を修正することは、全く違う困難が伴うのです。私のところにレッスンに来たメンデルスゾーンのコンチェルトが難なく弾けるくらいまで上達したレイトスターターでも、音程を修正するのに何年もかかりました。もちろん、初めは何のことを言われているのかも理解できません。そういったことを、多くの先生は誤解しているか、ご存じないようです。ですから、「自分の限界まで楽器を上達したい」と思っている方は、絶対に平均律でスケールを練習してはいけません。あとで大変な苦労をして音程を修正しなくてはならなくなります。

多くの先生がこういった問題意識を持たない背景には、「どうせ大人になってから始めたってたかがしれている」という「安心感」があるのではないかと思います。しかし、先生が「どうせこの人はここまでしか伸びない」と考えているようでは、生徒は絶対にそこまですらたどり着けないでしょう。もちろん、「そんなことは要求しない。鈴木の三巻くらいがなんとか弾ければよい」と思っていらっしゃる方にとっては、そういった先生の指導法は、先生にとって楽であり、生徒にとって安直であります。もちろん、「私はそんなことを知らなくてもかまわないんだ」という考え方を否定するものではありません。あくまでも、「本当に上手になりたい」と思っている人たちへの問題提起です。

◎ 音感の訓練の実例と可能性 ◎

多くの先生達が「ピアノやチューナーでスケールを練習しなさい」という理由の一つに、「レッスン時間が短い」ということがあるかもしれません。30分やそこらのレッスンでは、先生が実例をじっくり聴かせたり、生徒ができるまでねばり強く待ったりすることができないからです。多くの先生達が「初めのうちはレッスンは30分、弾けるようになったら一時間」というやり方をしているようです。(ないし、もっと短いかもしれない)

こういったレッスン形態になるのには、普通 の子どもたちのレッスンがこのように行われることが多いことに、理由の一つがあると思います。子どもは飽きてしまったり集中力が続かなくなってしまうことが多く、初めからあまり長い時間のレッスンをしても意味がないことがあります。子どもたちを多く教えてきた先生はその経験に縛られて、「初めのうちは短い時間で十分」という意識をお持ちなのではないでしょうか。

また、レッスンを職業とされている先生は、それなりの人数をこなさなくてはなりませんから、一人にかけられる時間がとても限られてしまうでしょう。残念ながらこういったレッスンでは、音感を訓練することはとても難しいと思います。だから、「音感を訓練することはできないからピアノで練習しても同じ」という結論を引き出してしまっているのだと思います。

大人の場合はむしろ逆で、初めのうちは時間をかけたレッスンをし、自分で考えられるようになれば自然にレッスンの時間は短くなるものだと思っています。(ということをある先生に言ったら、「初心者をそんなに長い時間レッスンしたらいらいらして大変よ」と言われてしまいました。これも一つの理由なのかもしれません。)

幸いにして私はヴァイオリンを教えることが専門ではなかったので、レッスンの時間は自由になります。「基本的にはその日のテーマが終わるまで」です。ですから、生徒には最低でも2時間は空けてくるようにお願いしています。複数の生徒のレッスンがあるときには、他の人のレッスンもできるだけ見学するように言います。そうすることによって、より多くのことを学び、より「正しい音」を聴く時間を増やすことができるからです。

初めてのレッスンから、チューニングを聴かせます。アジャスター付きのヴァイオリンを使って、いろいろな音を聴かせるのです。徐々に変えていって「一番気持ちのよいところで手を上げて」などということをくり返したりもします。もちろん、音感が全く訓練されていない人には、初めはオクターブを徹底的に聴かせます。五度はその後ですね。実際に楽器を持ってやってもらうこと以外にこんなことを毎回やっていると、その人の音感が変わってくることが実感できます。こんな訓練は複数でもできますから、弦楽アンサンブルの練習でも取り入れることができます。

このスタンスは、曲を練習するときでも同じです。旋律を奇麗に聴かせるということを実例でみせ、実際にどのような差があるかを知ってもらうのです。平板に平均律で演奏したときと、きちんとしたヴァイオリンの音程で演奏した時を比べてもらうのです。もちろん、その差がわかりやすい曲を選んだり、場合によっては若干強調して演奏するという「ずる」はしますが、それまで平均律になれてきた人たちでも、以外に早く「あ、こっちの方がきれいだ」ということに気がつきます。要するに、その方が自然なのですね。

レッスンはこのくり返しでもあります。レイトスターターは特に、耳を鍛える鍛え方を知りませんから、先生が実例を示してレッスンの場も訓練する場にしなくてはなりません。(この発想にたどり着くには、私も随分時間がかかりました。レッスンでは練習法を習い実際の訓練は家でするもの、という「レッスンの常識」に長いこと縛られていたからです。)そのことを認識すれば、音感を鍛えることはレイトスターターにも十分できることなのです。

幾つか、私の実例を挙げます。ただし音感という点に限った例ですのでお間違いないように。

実例1)20代後半。楽器を始めたのは大学生の時。それ以来ずっと弾いてはいるもののレッスンはいいかげんで、音律の差も知らない状態でレッスンを始める。エチュードはクロイツェルに入ったばかり。最初は全く音程のない状態。驚いていろいろと話をし、チューニングからやり直し。あまり真面目に教える先生でなかったことが幸いして、それほど厳密に「間違ったこと」が染みついていなかったので、正しい和音、旋律の進行はすぐに「聞き分けられる」ようになった。しかしここからが大変。技術的な問題(体にあった弾き方をしていなかった)も同時に解決しなくてはならず、ファーストポジションでスケールをきちんと弾けるようになるのに二年かかってしまった。(でも、二年でできました。)この間は、所属しているオケもほとんどお休みの状態。

技術論は後で書きますが、間違ったことをやっていると、修正するのがものすごく大変である、という一つの例。(この例は他にも幾つかあります。ローデまで進んでから私の処に来て修正した人もいました。この方の場合、ボウイングの修正も同時に行いながらということもありますが、スケールをきちんとひけるようになるのに丸三年かかりました。)

実例2)20代前半。全く楽器を触ったことがない状態から。初めは歌も歌えない状態。オクターブを「聴いて理解する」ようになるのに、レッスンにして3回ほど。五度はほぼ三ヶ月。その間、ボウイングの練習や基本的な体の使い方を模索。レッスン2年目でチューニングが「完璧に」できるようになる。その頃からは、三度・六度などの難易度の高い二つの音の聞き分けもできるようになる。スケールは、ファーストポジションでのト長調がほぼわかるようになるのに一年。実際に弾けるようになるのにさらに数ヶ月かかる。

もちろん、レッスンの頻度、練習時間の取れ方などで全く結果は違いますから、だれがやっても同じように伸びるというわけではありません。ですが、私が今まで出会った(直接教えた)レイトスターターで、音感が「進化」しなかった人は、一人を除いていません。ですから、今でも「そういう厳密なことをやる必要があるのですか?」という問いには、「やった方が最終的には面 白くなります。いい加減にやると限界が早くくるし、きちんとやろうと思ったときにやり直しになる部分が多く大変な苦労をします。」と答えています。

この項の最後に、面白いサイトをご紹介します。「古典調律によるMIDIききくらべ」というサイトで、ここにはいろいろな調律をした楽器が置かれています。まずは「アラビア音階」を平均律と聴き比べてみてください。「スケールって、音の取り方でこんなに雰囲気が違うんだ・・・」ということが一発でわかるはずです。