柏木真樹 音楽スタジオ

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最初に、指導法研究会用の資料に目を通してください。

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音感を鍛えること、音程矯正法

1)音感とは何か

まず、音感とは何かということを定義する。音感とは、音を判定する能力のことである。音には、高さ、強さ、音質などのさまざまな要素がある。複数の音になると、音の間隔を判別すること、協和するかしないかを判定することなどの要素も増える。これらを聞き分け、何らかの判断(音の高さが合っているか、はもっているか、強弱の差を認知するなど)をすることが音感である。

日本では、音感というと音の高低を判別することのみを指すことが多い。多くの音感教育と称するものの中には、ピアノで単音を叩いて音を言わせるなどという、全く意味のないことを延々と繰り返しているものすらある。こうした「音感教育」がはびこることにより、音を当てられないと「音感がない」とされて掃き棄てられる結果となる生徒が多いのである。

音の高低を判別することとは、音の周波数の違いを認知することである。この能力は、ほとんどの人が当たり前に持っているものだ。二つの音を続けて聞かせて同じに聞こえる人は非常に少ない。前にも述べたが、耳が聞こえない人ではないのに周波数差を認知できない人が存在するかどうかも、私は知らない。この周波数差を「どちらが周波数が多いか」というレヴェルで判定できることが、音の高低を判断する能力である。この能力には個人差があり、声域外でも1ヘルツの差を(楽器など何もやっていなくても)たちどころに判定できる人もいれば、声域内で10ヘルツの違いを識別できない人もいる。この能力差がどのようにして身につくかはよくわかっていない。幼児期の経験値だという主張もあるし、それ以前に決まる能力だという説もある。しかし、最終的な到達点に若干の差はあっても、ほとんどすべての人にとっては、鍛えればより微小な差を判定できるようになる。

二音以上の協和、不協和を判定する能力は、単音の差を認知する能力よりやや高度だが、ほぼ誰にでもできるものだと言える。高度である理由は、音程の差を判定する能力だけでなく、ある種の経験値が必要だからである。

いわゆる「絶対音感」「相対音感」についても説明しておこう。絶対音感とは、特定の周波数の作る音を「すべて」覚えられる能力である。この能力は、3~4歳(研究者によっては6歳、10歳など諸説がある)で完成し、それ以降はつくことがない。この能力があると、繰り返された音の高さは頭の中にデータとして正確に格納され、聞こえてきた音を瞬時に「何ヘルツ(実際には音名)」と判定することができる。能力がついた後から繰り返し聴かされた音も、多くの場合有効なデータとなる。例えば、絶対音感を持った子どもが442ヘルツでチューニングされたピアノを使い続けた場合、ピアノの音程を絶対音として脳に格納する。この子どもにとっては440ヘルツのA音はA音ではない。つまり、この能力は楽器を演奏する場合に害になる可能性が強い。

(私は、生涯で3人、正確な絶対音感を持った人に出会った。一人は同世代の男性で声楽家。彼はあるCis音を聴いて、例えば「その音は440ヘルツのA音を基準にとった平均律のCisよりやや高い」などの判定ができる(もちろん、442を基準にしたCis音よりは低く、その差も前者より大きい)。この能力は、曲芸の世界で使われるならともかく、音楽の世界で必要とされることはほとんどない。チューナーも音叉もないところで絶対値を規定されているチューニングをする、というような特殊な必要性がなければ。もう一人は、出会った当時小学生だった女の子である。彼女はピアノの絶対音を持っていた(音を覚える訓練もしたという)。ヴァイオリンを始めて4年後(小学校4年生)、先生を替わって、この子がチューニングができないことが判明した。単音で合わせると、完璧な平均律で合わせることができるのに、二つの音を弾いた時の協和、不協和を判定できなかったのだ)

これに対し、多くの人が「曖昧な絶対音感」と呼ぶべき能力を経験値として持っている。私はこの能力を「擬似絶対音感」と呼んでいるが、絶対音感とは似て非なるものである。例えば、道を歩いていて聞こえてきた音が「Gよりちょっと高い」(442ヘルツを基準にして平均律で取ったG音ではなく443ヘルツを基準にしたG音より高い、というレヴェルではない)と判断できる能力である。これは、経験を重ねることによって、程度の差はあってもほとんどの人が獲得することができる能力である。この能力でサンプル音をいくつか脳に格納できると、その音との対照で(音の間隔の経験値を利用して)何の音に近いかを判断することができる。この能力は絶対音感とは違って1ヘルツ差を判別できないことがほとんどである(442・・場合によっては440・・のA音だけはわかる人も少なくない。何千回も繰り返された刷り込みだからである)。

(私もこの能力を、中学から高校時代に身につけた。当時の私に上記のような知識があるわけはなく、自分が絶対音感がないことだけを認識していたのだが、ある日、A音が経験値による知識として頭に残っていることに気がついた。「これを増やせば絶対音感になるのだろう」と「勘違い」して、それからは音を覚えることに夢中になった。最初は単音を覚えようと努力したが、ほとんど成果が無く諦めかけた。そんなある時、頭の中で「春の祭典」を鳴らしていて、冒頭のC音がいつもほぼ正確であることに気づいた。あのファゴットの独特のC音が頭で鳴るのだ。試してみると、ピアノでC音をイメージしても全くできない。それから、頭の中でイメージしたオーケストラの曲やヴァイオリン曲の冒頭や有名な旋律を片端から歌ってみて音程を確かめてみた。メンデルスゾーンの協奏曲の出だし、交響詩「英雄の生涯」の冒頭など、音程を「覚えている」ものがたくさん見つかった。それ以来、ほとんどの音をある特定の曲を思い出すことで呼び出すことができるようになった。これは「多くの情報を覚えれば正確になる」という認知のシステムによる。

こうした「擬似絶対音感」ですら、楽器の演奏にとって有効であるかどうかは疑わしい。持っていると便利である場合もあるが、ないならないで済むだろう。これに対して、音の相対関係を判別する能力は、楽器演奏において欠かせない。相対音感という呼び方で呼ばれている能力である。

相対音感は、複数の音の関係を判断する能力である。同時に鳴る二音に対してこの能力が発揮されると協和・不協和の判定ができ、この判定にさらに経験値による「二つの音の間隔の記憶」を利用すると、与えられた二音の関係(何度の関係であるか)を判断することができる。さらに、ある種の和音の響きを記憶として覚えることもある。一方で、時間差がある二音の関係を判断する能力が発揮されると、旋律をつなぐことができる。

これらの「音程を判断する能力」に加えて、他の要素(強さ、音質)などを判定する能力を総称して「音感」と呼ぶことは述べたが、この「他の要素」は、音程よりも手軽に数値化しにくく、求められる判定が曖昧である場合が多い。単純な強弱でも、楽器が変わると正確に判断することは困難である。音質になるとさらに曖昧で、個人的な嗜好に左右される面も大きい。ただし、これらの要素を判定する能力も、訓練によって精度を上げたり、明らかな誤り(の記憶)を正したりすることは、多くの場合可能である。

2)音感のベースになるもの

音感と呼ばれる能力を持ったり、その能力を発揮するためには、いくつかの前提条件がある。この前提条件を理解しないと、「音感がない」と感じられる生徒の「耳を良くする」作業は困難になる。それは順に

  • ・音の高低、強弱などを感知できること
  • ・音を短時間記憶しておくこと
  • ・頭の中で記憶された音を再現できること
  • ・音の相対関係や音質などを(ラベルをつけて)記憶すること
  • ・耳で聞こえる音と頭の中で再現される記憶を比較すること
  • ・記憶を意識して修正すること(ラベルの張替えも含む)
  • ・記憶だけを組み立てて新たな記憶を作ること

これらの能力に加えて「出力」である演奏や歌うことを覚えて、個々人の音感が判定される。

上記の能力は、基本的には番号順に作られていくべきものである。何かを落として成長すると、長い間苦労することになる可能性がある。例えば、鈴木メソッドのような「耳コピー」で幼児期に訓練を始めると、・の「ラベルをつける」作業をしないで先に進んでしまう。すると、記憶された音の関係は「ラベルのないまま雑多な箱の中に放り込まれた」状態になって、しまいこまれた記憶を呼び起こすことができなくなる。結果として、楽譜が読めない(頭で音の関係を再現できない)ことになる可能性が強い。

(発想記号などを音と無関係に覚える(英語の単語カードを覚えるかのような覚え方をする)ことが音楽的には無意味(もちろん、音大を受けるためには必要だが)である理由もここに求めることができる。ばらばらに記憶された単なる記号としての文字と音を頭の中で再現する作業を結びつけることは非常に困難であるのがその理由だ。これに対して、発想記号を音と結びつけて理解した場合、非常に有効な記憶として利用することができる)

「音感がない」とされる生徒を判定すると、この過程のどれかが欠落している(十分に訓練されていない)場合がほとんどである。その場合、そこまで戻ってトレーニングすることが必要になる。

3)生徒の音感を判定すること

生徒の音感を判定することは意外に難しい。表面的なヴァイオリンの「音程の悪さ」だけでは正確な診断を下せないことがほとんどである。それは、生徒自身が正しいと信じる音程で演奏できないことが大きな理由だ。

生徒自身が自分のイメージと違う音程をとってしまう理由も、単純に「技術が伴わないから」と考えるべきではない。技術が伴わないだけであるならば、音程を間違えていることに必ず気がつくはずであるが、実際は生徒が音程を間違えたことに気がつかないことも多い。一方で、音程を間違えたことに気がつかないことをもって、直ちに正しい音程のイメージがないと判断することもできない。実際にヴァイオリンを弾いているときには、弾いている運動に意識が向いていて、聴覚が十分に使えていない可能性もあるからである。これらの差異を踏まえることなしに、生徒の音感を判断してはならない。

では、この「微妙な」差異をどのように判定したらよいのだろうか。

まず、生徒が自分の持っている音程を判断する能力を使えているかを判定する。そのためには、音程を間違えたことを「知って」いるかどうかをチェックする。音程の間違いを正しく認識していた場合、生徒は正しい音程をイメージする能力を持っていて、しかもそれを弾いているときに使えていることになる。この場合、問題はスキルに帰着する。

音程を間違えたことに気がつかない場合、生徒にイメージがないのか、聴覚に意識が向いていないだけなのかを判定するためには、生徒自身の演奏を録音して聞かせることでわかる。弾いている時には気がつかなくても、自分の演奏を耳で聞いている時なら判断できる場合も少なくない。この場合は、演奏しているときに聴覚が使えるように、頭の働きを強化する必要がある。単にスキルを上げるだけでは、解決しないか、または解決に非常に時間がかかることがある。

自分の演奏を聞いても判定ができない場合、生徒自身に音程のイメージがない可能性が強い。生徒が頭に音程のイメージがない場合は、さらに「頭で音程を作ることができるかどうか」をチェックする。この判定はかなり難しい。例えば先生がある音を弾き、同じ音、ないし隣の音などをイメージしてもらう。そのイメージした音を、先生は(できれば別の楽器を使って)弾いてみて、生徒が持っている音と同じかどうかを確認する。

このチェックを通過できない生徒には、頭の中で音が鳴ることそのものをチェックしなくてはならない。これは、生徒が歌を歌える場合は、歌うことと弾くことを交互に行ってもらって判定する。歌うことが困難な場合、頭にイメージしてもらった後で複数の楽器を鳴らして聞いてもらい、一致するものが存在するかどうかを確かめるのだが、かなりの判断力を必要とする。なぜなら、頭の中で音が鳴っているかどうかを生徒が誤解していることも少なくないからである。

次に、音程の縦方向の相互関係の判断能力をチェックする。要するに「ハモる」ことがわかるかどうかの診断である。ただし、聴いた二つの音が何度であるか、複数の音が何の和音を作っているかを判定する能力とは区別しなくてはならない。これらは、聴いた音を自分の記憶と参照する能力であり、「ハモる」ことがわかる能力とは別である。「ハモる」ことが判断できなくても、記憶と参照することで和音を答えることができる人も少なくない。特に、ピアノで和声聴音を訓練された場合、音程間隔、和声を答えられても協和・不協和を判定できない可能性は少なくない。

和音の協和・不協和の判定ができない場合、うなり、差音などが聞こえるかどうかをチェックする。うなりはほとんどの生徒がすぐに聞こえるようになる。どうしてもだめな場合、E線の開放弦とA線のH音(四度)をややずらしてうなりを発生させ、楽器のネックの端(E線側)を軽く指で触れさせる。うなりが楽器を振動させていて、耳で聞こえるのと同じサイクルで楽器が振動していることのだが、この振動を体感させることで耳でうなりのサイクルを捉えやすくなる。この方法でほとんどの場合、うなりを確認させることができるだろう。差音に関してはやや難しいが、やはりこの四度がもっとも判定しやすい。差音が重音の下の音と同じ(オクターヴないし2オクターヴ下)の和音より、上の音と同じほうが捉えやすいからである。仮に生徒の耳に差音が聞こえない場合、G線をE音まで下げて共鳴させて補助にしてみるとよい。こうしたチェックをレッスンで行い、生徒の音感を確認する。

4)音感を鍛えること

音感を鍛える場合、必ず段階を経る必要がある。第2項で述べた順序に従って行われることが大切である。

例は少ないが、音の高低、強弱などが感知できない場合、かなり特殊なトレーニングが必要になる。前述したように、音の高低の違いを判定できない例はほとんどないと考えてよく、経験値の欠如によって高低の判断力が欠落していることがほとんどである。この場合、音の高さの差異をたくさん聞かせることと歌わせることを併用して理解させる。非常に忍耐の要る作業になるが、全く改善されないということはないはずである。

次に、音を短時間記憶しておくことができない場合(または非常にこの能力が劣っている場合)の訓練法を述べる。

まず、簡単な発声法を理解させることが必要である。小さい頃であれば、耳から入ってくる音を自然に記憶することができるようになるのが普通だが、大人になってこの能力が欠損している場合、特殊な方法でトレーニングを積むことが必要になる。

まず、声域内で単音を弾いて聞かせ、同じ音程で声を出せるように練習させる。これはレッスンでやることが不可欠で、一致した状態をいちいち確認しなくてはならない。耳で聞いた音と発声した音程が一致しているかどうかは、初めのうちはなかなか判断できないからである。この状態を通過したら、簡単な二音を続けて聞かせて歌わせる。初めは関連性の強い二音(オクターヴ、五度、四度や三度、六度)を利用する。このトレーニングもレッスンで確認したい。関連性の低い二音でも音程を記憶することができるようになれば、三音、四音と進む。この段階になれば、レッスンで方法をしっかり認識させた上で、一人で練習させてもよい。ランダムな四音が難なく歌えるようになれば、かなりの記憶力がついたことになる。経験的には、1ヶ月から数ヶ月ほどの訓練で、ほとんどの場合この能力はつく。

この時注意したいことは、生徒が旋律を覚えているかどうかのチェックを忘れないことである。ランダムな3,4音を記憶できない場合でも、ある程度の歌を覚えて歌ってしまうことがある。人間にとって心地よく聞こえる旋律を繰り返し聞かせると、その旋律だけはしっかりとした記憶として格納されることがあるが、これは音を短時間記憶しておく能力とは異なるものである。例に挙げたT.Y.さんは、かなりの難易度の曲(スマップなどの歌)を歌うことができるが、音を一時的にメモリーにおいておく能力は、完全に欠落していた。このような場合、音を記憶する能力が欠落していることに気づきにくい。

次に、頭の中で音が鳴ること(記憶された音を再現すること)である。頭の中で音を鳴らす能力がない場合、上記の「音を短時間記憶しておく能力」のトレーニングをする時に、実際に発声するのではなく頭の中でイメージさせ、その後で再びその音を弾かせてみることで訓練することができる。この後、記憶した音を頭で再現できるようにトレーニングする。上記の訓練に加えて、比較的覚えやすい音列(短いスケールや分散和音、短い旋律など)を「弾く、イメージする」ことを繰り返させる。確認するためには、イメージした後に弾かせることとイメージ抜きで弾かせることを比較する方法をとる。この二者の音程が明らかに異なる場合、イメージしている音程を指導者の側が判断することができる。実際には、音を短時間記憶するためのトレーニングを繰り返している間に、音をイメージする(頭の中で鳴らす)ことを覚えていくことができるケースが多い。

音の相対関係や音質などを「ラベルをつけて」記憶することは、経験値の蓄積ができるようにすることである。大人になってこの能力が欠落している場合、ここまでのトレーニングのようにシンプルなものでは身につけることは難しい。音の相対関係を記憶させるためには、記憶させるべきものとそうではないものをまず区別することから始める。

この段階になると、完全五度を純正にチューニングすることが不可欠になる。楽器の持っている音程を利用することが、音の相対関係を理解させるためには一番効果的なことだからだ。幸いにして、現在は純正をとることができるチューナーがある(コルグのOT-12)ので、楽器を常に純正に調弦しておくことを心がける。「初めのうちは大体の音程を覚えて、そこそこになったらきちんとすればよい」と主張する指導者が多いが、これは明らかに誤りである。「初めはピアノで音をとって大体のスケールを覚えさせる。その後ピタゴラスの音程を教えればよい」という主張が、ネットで有名なチェロ奏者のサイトに書かれているが、音感がない状態で大人になってから楽器を始めたこの先生の生徒がピタゴラスのスケールを教わる日は、恐らく来ないだろう。なぜなら、平均律のスケールには、人間が記憶できる相対関係がなく、「大体の音程が安定する」ことはありえないからである。これができるということは、無条件に絶対音感をつけることができることと同じである。

音程の相対関係の記憶は、ピタゴラスの進行と純正の二音、和音を判定することからスタートする。ピタゴラスの進行を理解させるためには、指導者が正確なピタゴラスの進行でスケールとわずかにずらしたスケールを聞かせて、どちらが心地よいかを判断させることから始める。同時に、純正な四度を正確に判定する能力もつけさせる。その後、スケールや分散和音の練習を繰り返す。そのときに、正しく音程が取れるように、楽器が持っている純正の五度と、生徒自身が判断した純正な四度とオクターヴを上手に利用する必要がある(以前、上記のチェロ奏者と議論したことがあるが、私のトレーニングを「できない、無駄」と一蹴された。しかし、この訓練法に効果があることは、私の生徒やアズールのメンバーの成長の過程を見れば明らかである)。

和音の判定は、六度を使った純正な和音(差音と実音で構成されるドミソの和音)および、実音の長三度(先生が弓を逆さに使って実際に和音を出してみると効果的)を用いて始める。純正な長三和音は非常に美しく、ほとんどの場合、聞いて判定することはすぐにできるだろう。その後、指導者の音に対して純正な各間隔の音を弾かせたり、逆を体験させたりすることで、判断力を高めることが可能である。

楽譜上の音(音名ではなく階名が望ましい)を繰り返し再現することで、この判断力をラベルをつける能力に昇華させることができる。このトレーニングも非常に忍耐力の要る作業であるが、特に鈴木メソッド出身者などには不可欠な訓練である。

これ以降の訓練は、実際にスケールやエチュード、曲などを練習する中で平行して行う。

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上記の文章は、音感に大きな問題がある場合の矯正法ですが、音感を鍛えるための訓練は、基本的に同じように考えることができます。音程の修正は、本来音感を十分に鍛えてから行った方が楽ですが、実際にヴァイオリンを弾いている場合、同時並行的に行うこともでき、現実的にはそうしていることがほとんどです。

音程を矯正するために最も重要なことは、耳が持っている特性を十分に発揮できるような練習方法でトレーニングすることです。耳が持っている特性とは、いつも言っている「気持ちが良いか悪いかを判別する能力」です。この能力を発揮するためには、能力に磨きをかけると共に、磨かれた能力をできるだけ素直に使えるような練習方法を採用することが大切になります。訓練の順序もこの考え方に従って考えましょう。

耳の能力を磨く練習は、純正な二音を取ること、レッスンで私と一緒に弾くこと(聞くこと)、共鳴を聞くことなど、耳で判断できることを増やしていくことから始めます。その際、判断がつかないケースが出てくれば、補助的な方法を加味して練習することもできます。例えば、純正な二音がわからない状態であるとき、単に純正な二音を聞くのではなく、うなりを利用してある範囲内に二音が収まるようにします。ある範囲内の音程をたくさん聞くことができると、耳の精度は次第に上がっていきます。純正な音の響きは、そのような練習を積み重ねることによって理解できるようになります。

横の音程(時間経過による音の変化)についても、同様の方法をとることができます。気持ちの良い状態とそうではない音程(ピタゴラスと平均律が一例)を聞いてもらい、その差が理解できるかどうか、ということは、初期のレッスンで必ずやっているはずですが、聞いて判断する能力をつけることが最初のステップです。

正しい音程進行で弾けるようになるためには、耳で判断できること、頭で再現できることと、正しい位置で指を押さえて音程を安定させる(ボウイングの問題も含む)ことが必要ですが、必ずこの順で訓練します。そのときの練習方法の組み立て方は、鍛えた成果を十分に利用することがポイントになります。耳で判断できない間は頭で再現することは不可能で、頭の中で正しい音程が鳴らなければ、ヴァイオリンで音程を正しく取ることはできないからです。

もう二点、追加しておきます。

音程を矯正する前提として頭を訓練するためには、頭が音を鳴らす状態をコントロールすることが必要になります。この訓練は、音の短期記憶を利用して、それを応用することで導くことができます。最も有効な方法は、シュラディックの2番のような複雑な音列を、弾くことと歌うことを交互に繰り返す方法です。弾いたところを歌うのではなく、一拍ずつ「弾く、歌う」を交互に続けます。一拍目を弾くと、頭はその4つの音を短期記憶として覚えます。次の拍を歌うときには、その記憶を利用できますが、全ての音が使えるわけではなく、新しい音が入ってきます。この音を正確に歌うことができると、短期記憶が有効に応用できるようになります。

もう一つは、ほぼ正しい音程を捉えることができた時に、それを定着させるために必要なポイントです。音程を修正するときに、ほぼ正しい音程が取れるまで練習して、「正しい」と感じたらそこでやめてしまう人が多いようです。しかしこれでは、正しいと感じた音程の精度は上がりません。「正しい」と感じたら、その音程でしばらく繰り返して弾いてみます。すると、繰り返された音程は、より心地よい方向に微調整されて定着します。この練習ができるかどうかは、音程の精度を上げるために決定的な意味を持ちます。