ボウイングについてきちんとしたことを書こうとすると、それだけで一冊の本になってしまうでしょう。また、ボウイングは一人一人違うものであり、ある記述がすべての人に役に立つとは限りません。ここでは、そのことを前提として、右手の考え方について知っておいてほしいことを書いておこうと思います。
ボウイングのシステムについて
「ボウイングは一人一人違う」と書いたのには、二つの意味があります。一つは、ボウイングの発想そのものが一通りではないということです。私は、「ボウイングのシステムの違い」という言い方をしますが、発想が違うと、弓の持ち方も腕の使い方も全く異なるのです。まず、ストリング誌に書いた文章に加筆したものを読んでいただきましょう。
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(1)ボウイングに対する固定観念を排除する
ボウイングの練習の前提としてとても大切なことを述べておきましょう。ボウイングは人それぞれであるということと、とくにレイトスターターはプロの演奏家のボウイングをそのまま真似しようと思ってはいけないということです。
名手といわれる人を比べても、ボウイングはさまざまですね。プロのオーケストラをみていると、奏者一人一人のボウイングが非常に違っていることにも気がつくでしょう。小さい頃からヴァイオリンの練習を積んできた人たちは、長い間に体の使い方を覚えていきます。ですから、その人その人に合ったボウイングが可能になっていきます。とはいえ、プロ奏者ですら体を痛めてしまうことも決して少なくありません。アマチュア、特に大人になってからヴァイオリンを始めた人が、特定の奏者のボウイングを真似することは困難なのです。
このことから次の結果を必然として得ることができます。つまり、教える側は自分のボウイングだけを信じて大人の生徒に強制してはならないということです。体つきや運動の仕方が異なる人に自分の体の動きを真似して覚えさせようとする教え方は、多くの場合不適切です。このことは、昨年4月号で取り上げた斉藤さんだけでなく、私のところへ「かけ込んできた」生徒さんの実例をたくさんあげることができます。また、先生がとても良い楽器を使っていらっしゃる場合、生徒に同じ奏法や力のかけ方を求めることが無理である場合もあります。これも、比較的気がつきにくいことです。
例えば「人差し指は弓に重さをかける指、小指は弓の重さのバランスを取るために使う指」という「よく見る」記述がすべての方に当てはまるとは限りません。この考え方が当てはまるボウイングスタイルをしている方は確かに多いと思いますが、当てはまらない人もいます。さまざまな「指摘」が必ず自分に当てはまるのだ、と思わないでいただきたいのです。
ということは、自分にとっての「正しいこと」をどのように知るか、ということが問題になります。もちろん、レッスンについていてそれぞれの指導を受けていれば「その人に合った」指摘を受けることができる可能性が高いのですが、そうでない場合、「自分で、体の使い方を音が出る物理にまでつながって考えられるか」ということがキーポイントです。自己検証する方法を身に付けることが、ボウイングを身に付けるためにも必要なことなのです。この点は、私の連載の中で繰り返し述べてきたことです。
(2)ボウイングをトータルに捉える目の必要性
昨年12 月号でご紹介したTさんの実例です。Tさんは、小さい頃ほぼ10年間ヴァイオリンのレッスンに通っていました。当時の彼女の先生は、ロシアンタイプ(注)のボウイングで、手首を柔軟に使い、小指がほとんど弓に触れていない状態で弾くことが普通でした(もちろん、Tさん自身が「ロシアンタイプ」と認識していたわけではなく、どんなボウイングをしていたか、どんなことを教わっていたかを検証した結果得られた結論です)。
Tさんは、一昨年ある大手の音楽教室で20 年振りにヴァイオリンを再開しました。そこで、タイプの違うボウイングの先生についてしまったことが苦労の元となりました。先生は、Tさんのボウイングシステムを理解できずに、ただ「小指はしっかりと弓に付けてバランスを取らなくてはなりません」とだけ指示したのです。ある種のロシアンスタイルで弾いている状態で単に小指を弓に付けることには、非常に大きな無理があります。肩、肘、手首、などの使い方が全く違いますから、「できるわけがない」のです。結果的に、腕をどう使って良いのかわからなくなり、あちこちに力が入ってしまうようになってしまいました。まじめに練習される方だけに悪影響も深刻で、一年間の間についてしまった悪い癖を取るのに三ヶ月ほどもかかりました。
これは、ボウイングをトータルで考えられないために起きてしまった残念な事例です。特に、Tさんはグループ形式のレッスンに参加していたため、画一的な指導しか受けられなかったのでしょう。しかし、先生がご自分の経験だけしか知らない場合、注意しないと、このようなことが通常の形態のレッスンでも簡単に起きてしまいます。特に、ボウイングを見て、手のある一部分だけを修正しようとすると、生徒の側が混乱を来してしまうことは珍しくありません。途中で先生を変わった場合などによく起こることでもあります。
もう一つ、実例を挙げておきましょう。事情があり、お名前を書くことができませんが、ある若い優秀なヴァイオリニストの例です。この方もやはりボウイングで迷路にはまった事例です。
この方は、名前を聞けば誰でも知っている有名な先生に師事していました。ところが、ボウイングに悩み始め、ついには体を痛めて、ヴァイオリンを続けられるかどうかという瀬戸際まで追いつめられてしまいました。原因は、複数の先生から順に部分的な改造をほどこされ、それぞれの先生の考え方の根本を理解することができないままにボウイングに工夫を重ねてしまったことでした。初めて拝見したとき、私はこの方のボウイングを「右手に何人もの亡霊が付いているよ」と表現しました。肘、手首、弓の持ち方、肩の動き方などの統一がとれておらず、楽器を全く鳴らせない状態だったのです。
Tさんのケースもこの方のケースも、先生がそれぞれのボウイングにおける体の動きと音が鳴る物理を理解していれば起きなかったことです。ここに挙げた実例以外でも、私のところに相談に来られた方で同じようなケースが何件かありましたが、どれも「持ち方」「手首」など、ある部分にこだわって修正を加えた結果、全体としてバランスを失した状態になったために起きたことでした。
ボウイングを練習するときに、自分がどんな流派か、などということを知る必要は全くありませんが、特に先生を変わったときなど、ボウイングを体の動きと楽器が鳴る物理でトータルにとらえることは忘れてはなりません。
(注)ロシアンタイプとベルギータイプ
このような呼び方が正確かどうかわかりませんが、ボウイングのタイプの二つの大きな流れです。前者は写真1のように弓を持ち、写真2〜4のように運弓します。ハイフェッツのビデオなどを見るとよくわかるかもしれません。後者は写真5のように弓を持ち、写真6〜8のように運弓します。フランコ・ベルギー派の流れを汲む現役の有名なソリストは、デュメイです。
ロシアンスタイルの場合、小指、場合によっては薬指も弓から離れていることが珍しくありません。手首を柔軟に使うのも特徴で、「手の甲を顔の方に近づけるように」などと指示された場合、このタイプが基本である可能性が強いと思います。ベルギータイプの場合は、指は基本的にすべて弓についています。
30年以上前は、日本でヴァイオリンを教えている方は前者が大変多かったと思います。私も、小野アンナ先生の流れを汲む先生に手ほどきを受けましたので、完全にロシアンスタイルでした。私の昔の写真を見ると、現在と全く異なり、小指が完全に離れているのがわかります。
ボウイングスタイルを意識して学ぶことは希です。また、説明した「ロシアン」「ベルギー」にしても、たくさんのバージョンがあります。そして、現代では実際には純粋に伝統的なタイプは珍しく、両者の中間のどこかに位置する方が多いはずです。
また、近年のジュリアードなどで教えられているボウイングの考え方などの、過去のカテゴリーにはあてはまらないボウイングスタイルもあります。特に最近は、弓をしっかりと持つボウイングが増えているように思います。
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お読みの通り、ボウイングはそもそもの発想が違うと、アドヴァイスが全く役に立たないだけでなく、害になったり体を痛めたりする可能性すらあります。ですから、「親指はこう使う」「人差し指の深さはこれくらい」などという、具体的な話を、ウェッブではすることができないのです。さらに、個体差によって指の位置や手首の角度は違って当たり前という、もう一つの問題もあります。
自分のボウイングを考えるための思考法を獲得するための前提
それでは何を書くのか、というと、自分のボウイングを判断できるようになるための思考法です。
まず、音をどのように作るのか、という意識を持つことが思考の出発点です。漫然と弓を楽器の上で運動させていては、しっかりした美しい音を出せるようにはなりません。音を作る意識を持つために、音がどのようにできているかを知ることが大切です。少しだけ、自分の考え方を検証してみてください。
レイトスターターの多くが、教則本を順に学んでいると思いますが、音を変化させる(強くする、弱くする、硬くする、やわらかくするなど)ことを学ぶはずです。その時に何を考えて、どのように練習しているでしょうか?
音を強くするためによく言われていることは
- 1)圧力を強くする
- 2)弓のスピードを上げる(弓の量を増やす)
- 3)駒の近くを弾く
- 4)ヴィブラートをかける
でしょうか。こうしたことは、どこにでも書いてありますし、どの先生も教えてくださるものでしょう。しかし、実際にやってみるとどうしても上手な人のような変化がつかずに悩んでいる人が多いでしょう。なぜでしょうか?
大きな理由は二つあります。一つは音色や強さの違いをつけるためには楽器をよく鳴らさないとダメだという視点が欠落していることが多いことと、音のイメージを奏法の違いとして意識することができないでいることです。
大きな音が大きな音として「役に立つ」ためには、それに対比する小さな音が必要です。楽器が鳴っていない状態で単に音を小さくしようとすると、「よく聞こえる小さな音」ではなく「単に聞こえない小さな音」になってしまいます。もちろん、楽器が鳴っていない状態で音を大きくすることもできません。つまり、一番最初に学ぶべきことは、楽器を十分に鳴らすこと、なのです。
自分のボウイングを考えるときに、楽器が鳴っている状態を最初に作って、それを基にさまざまな判断を加えていくことが大切なのです。
楽器を鳴らすこと
楽器が十分に鳴っているかどうかは、初めのうちはよくわからないかもしれません。特に、小さな部屋だけで練習していると、なかなか楽器が鳴っているかどうかを知ることができない人が多いようです。楽器を十分に鳴らすためには、かなりのG(駒の足にかかる加速度)が必要です。腕の重みや力を加える必要があるのです。「弓の重みで十分に楽器は弾けます」という主張を、アマチュアの方のサイトで何度か目にしたことがありますが、残念ながら真実ではありません。楽器が充分に鳴った、よく通る音にはならないのです。
問題は、負荷を強くかけるためには、弓の速度と柔軟性のバランスが取れていることが必要だ、ということです。負荷に対して弓の速度が遅いと、弓が滑らかに進行せずに「がりがり」という、「連続した子音(噪音)」が発生してしまいますし、柔軟性が不十分だと、音がゆがんだりつぶれたりしてしまいます。それを避けるために、負荷をかけることを恐れている人が多いのでしょう。
嫌な音がしたときに最初に考えるべきことは、腕全体の柔軟性をチェックすることです。つまり、腕全体を柔軟に使えるような右手を作るためのトレーニングが最初に必要である、ということです。トレーニング法に関しては、少しずつ書き足していくつもりです。
楽器が鳴っているかどうかは、いくつかの方法で確かめることができます。一つは、直接的に楽器の振動を知ることです。開放弦であれば、楽器をしっかり保持して(このこと自体が楽器の鳴りを減少させることではありますが)開放弦を弾いてみて、楽器が鳴っているかどうかを左手で楽器をさわることで知ることも可能でしょう。もう一つ、私が生徒にお願いしていることは、楽器がどのあたりで鳴っているかを注意深く感知することです。楽器が上の方で鳴っているような感じがしている間は、あまりよい鳴り方をしているとは言えません。楽器が鳴っている位置が下がっていくようなイメージができればしめたものです。よく、「裏板が鳴る」と言いますが、良い状態で楽器が鳴れば鳴るほど、楽器が鳴っている場所が下がっていくような気がするでしょう。
楽器がよく鳴っている状態で大きな音が出せるようになると、ボウイングの本当の練習が始まるのだ、と思ってください。
奏法、という考え方
音の違いを表現するためには、「なんとなくそんな感じ」で弾くだけではダメです。「イメージを作ることが大切だ」とよく言われますが、イメージだけでは表現力を付けることはできません。
奏法(ガラミアンの本などでは「右手の型」とされているもの)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「こんな音を出したい」というイメージを具現化するものが、この「奏法」です。例えば、「鋭い音」というイメージがあったとします。この「鋭さ」をどのような物理的な作用で表現することができるのか、ということが、奏法を考える意味なのです。そして、奏法は、楽器がどのように音を出すか、という物理を知った上で、体の使いかを理解しなくては、獲得することができないものなのです。
残念なことですが、奏法に関しては、かなりの混乱があります。例えば「スタカート」と言ったときに、それが作曲者がある音の形をイメージして付けた記号を指すのか、フィジカルな奏法を指すのか、ということがしっかり分別できていないことが多いのです。「・」で表される記号を「スタカート」と呼ぶのが普通ですが、この音をどの奏法で実際に演奏するか、ということは、ある意味で「解釈」の問題に属します。作曲家や時代によって、記号が示す意味は違います。「・」という記号のついた音を、「デタシェ」で弾くことも「ソティエ」で弾くことも、「スタカート」で弾くこともあるのです。
右手のトレーニングは、さまざまな奏法を自分のものにしていく過程である、と理解していただきたいということが、この項の最大のテーマです。実際の奏法のトレーニング法に関しては、奏法研究のほうに順に上げていくつもりです。