前回、旋律と和音で、なぜ、どのように音程が違うのか、という仕組みの基礎を書きました。今回は、これを使って、「正しいスケールの音程とは何か」ということを述べます。
まず、下の表を見てください。右の三つの数値は、主音からどれだけ離れているか、ということを、オクターブの間を1200でとった対数値で示したもの(セント、と呼びます)です。和声の時に気持ちよく聞こえる幅、平均律、旋律の時に気持ちよく聞こえる幅、の順で記述してあります。
音階上の音 | 主音(ドレミのド) | レ | ミ | ファ | ソ | ラ | シ | ド |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
和声の時 | 0 | 182ないし204 | 386 | 498 | 702 | 884 | 1088 | 1200 |
平均律 | 0 | 200 | 400 | 500 | 700 | 900 | 1100 | 1200 |
旋律(音階)の時 | 0 | 204 | 408 | 498 | 702 | 906 | 1110 | 1200 |
平均律は、よく調律されたピアノの音だと考えてください。ドに対して、ファやソは比較的差が少ないことがわかると思いますが、絶望的に差があるのが、ミとシですね。 (さらに…)
音に形があるの?一体何のことだかわかりますか。
音・・・これはとても不思議なものです。よく使われる言葉でも、「音の形」(そんなもん、見えるんですかぁ?)「速い音、遅い音」 (音速は温度などの条件次第で一定でしょ?)「深い音」(音は波でしょ?深さって何ですかぁ?) などなど。どのような意味なのか、ちょっと考えてしまうことがありませんか。
かくいう私も、トレーニングをしているときに、イメージしていることをなるべく正確に伝えるためにどのような言葉を使ったらよいのか、言葉遣いで悩むことがよくあります。音を表す言葉のニュアンスとは、とても「広くて」「深い」ものだと思います。
さて、今回のテーマは、「音の形」です。といっても、波の波形のことではありません。一つの音符の音が、実際にどんな音になっているのか、どのような音にしたらよいのか、という問題です。 (さらに…)
やっと「アンサンブルのレッスン」らしい題名になりました。まず、「合わせる」ということについての根本的な私の考え方を述べてみます。
よく、「指揮を見る」とか「ソロに合わせる」「トップに合わせる」などという表現を使うことがあります。これらの言葉が持つ意味は、一体どのようなことなのでしょうか。
まず、二人でする演奏について考えてみましょう。「ヴァイオリンソナタ」などのようなものでもいいですし、同族楽器のアンサンブルでもかまいません。さて、この二人が「息のあった」演奏をするためにはどうしたらよいのでしょうか。(たくさん練習すればよい、という答えは正解じゃないよ)
ピアニストと二人で演奏するときに、「合わせてくれる」人はたくさんいます。それにもレヴェルがあります。慣れていないと、実際に演奏した「音」に合わせようとしてしまいます。これが最低レヴェル。音を聞いてから反応したのでは、物理的にも合うわけがありません。遅れてしまいますね。
次の段階になると、体の動きや呼吸などの情報を処理して合わせてもらえるようになります。 (さらに…)
以前のドレ会のときにも、「指揮者とオケの関係」についてたくさんの質問を受けました。このような簡単な「紙上レッスン」で語れるようなものではないのですが、基本的なことを述べておきます。
まず、指揮者がオーケストラをどう考えているか、ということを知ってください。
指揮者がオーケストラを振るとき、おおざっぱに言って二通りの考え方があるようです。一つは、指揮者は音楽を創る「独裁者」である、というもの。極論を言えば、楽曲全体のことは指揮者だけが認識していればよい、そしてその音楽を実現するために、できるだけ正確な指示をオケにすることが最大の仕事、というところでしょうか。もう一つは、指揮者は「音楽を知っている」プレーヤーの能力を引き出し、自分の思う演奏へもっていく、というもの。
この二つのタイプの指揮者は、練習の時の指示の仕方で簡単に見分けることができます。前者は、具体的な指示(ここはもっと弱く、もっと激しく、など)がほとんどです。それに対して後者は、(特にアマチュアに対した場合)、説明的な指示が多くなります。プレーヤーがその音楽を十分理解していない場合、それを浸透させることに重点を置くからです。
どちらが指揮者のあり方としてよりよいか、という議論はしません。現実に両者が存在しているし、「誰それが好き」という個人差を無視することになりかねませんから。ただ、指揮者がオケに「何をしてほしいと思っているか」ということは、知っておいてください。
さて、オーケストラ側としてはどう指揮者を見たらよいのでしょうか。
もちろん、指揮者の言うことは「絶対」ですから、「指示」には従うしかありません。しかし、我々アマチュアにとっては、指揮者だけがプロフェッショナルである場合がほとんどですから、その経験や知識を利用しない手はありません。ですから、単に曲を「指示通りに演奏する」ことを練習するだけでなく、楽曲の意味を知るために、指揮者を積極的に利用したいものです。
「何故」という質問は、とても「有効」なものです。何かを理解した上でやることと、単に言われたからやるのとでは、結果 が異なることが多いと思います。アマチュアのオケの中には、「指揮者になんかおそれ多くて質問なんかできない」と思っている人が、特に弦楽器のプレーヤーに多いような気がします。確かに、トップを差し置いて直接質問することが良いかどうかは場合によるでしょう。(昔あるオケでリーダーをしていたとき、後ろに座っていた大先輩が練習中に直接トレーナーに質問やら意見やらを言っていて、とても胃の痛む思いをしたこともあります)そんなときには、トップの人に質問して、その上で指揮者に質問してもらえばよいでしょう。ですが、疑問を自分の中にとどめて置いてはいけません。
アンサンブルをしていると、「走るな!」とか「伸びてる!」と怒られることがありませんか?そういったとき、どうやって解決しようとしているでしょうか?多くの指導者は、「ちゃんと細かく数えて!」と指示するようです。場合によっては、手を実際の音符より細かく叩いて、テンポを一定にする練習をします。果 たしてこれは良い方法でしょうか?
「どんかま」という言葉をご存知ですか?スタジオで録音をするとき、テンポを一定に保つために、メトロノームのように音を出したり、一定の間隔で点滅(交互に点灯)するライトを使ったりすることがあります。この「テンポの基準の音(光)」を「どんかま」と呼ぶのです。これと同じように、「ちゃんと頭の中で一定のテンポでリズムを刻まなければならない」という指導をすることも多いですね。さて、これも良い方法なのでしょうか?
僕が出会った指揮者・トレーナーのほとんどが、テンポが崩れてしまうときに、こういった作業をくり返しました。もちろん、それでうまくいく場合もあります。しかし、どうしてもそれではダメな場合も多いのです。これが僕の大きな疑問でした。僕自身、テンポを一定に保つために頭の中で「どんかま」を鳴らしていた時期が長かったですし、若い頃は、オケの練習をつけるときにそのようにしていました。しかし、ダメなところはダメなのです。そして自分のやり方を棚に上げて、「ああ、こいつらテンポ感ないんだから・・・」と言って嘆いていました。
そんなある時、ある指揮者でモーツァルトを演奏しました。ある場所にさしかかると、お約束通りチェロが走り始めました。(よく走るのはチェロなんですねぇ・・・どこのオケに行っても。何故なのか、この点については、いろいろな理由を言う方がいらっしゃいますが、僕としては納得のいく答を得ていません。)そのフレーズが終わると指揮者はオケを止め、「運動会じゃないんだけど・・・」と一言。そしてやりなおしです。くだんの場所にさしかかると、一回目は二つに振っていたのに、やおら一つ降りにしてしまいました。すると・・・チェロ君たち、走らないのです。まるでマジックを見ているようでした。
「どんかま」型のテンポの取り方や、必要以上に細かくリズムを叩いて(感じて)テンポを調整しようとする方法に大きな問題点があることは理解していました。それは、「音楽的じゃない」ということです。例えば、二拍子の曲なのに四つに分けてテンポを取ると、音楽的に非常におかしなものになってしまうのです。しかし、こういった作業は「テンポが安定するまでの必要悪」だと割り切っていました。ところがその指揮者の答は違いました。「音楽を安定させなさい」ということだったのです。
その後、僕自身もいろいろと実験をしてみました。すると、楽曲の進行をこちら側(指揮者側)がきちんと理解し、音楽の進行をオケ側と共有できると、オケはほとんど走ったりしないことに気づきました。これは発見でした。
人間はそれほど器用ではありません。以前どこかのテレビで「60秒を正確に数えられたら100万円」とかいう「実験?」をしていましたが、なかなか難しそうです。昔ムキになって挑戦したこともありますが、「ほぼ」正確にはできますが、それでも60秒あたり1秒ほどの誤差は出てしまいました。つまり、「なんの基準もなく単にテンポを取ることはとっても難しい」ことなのです。それに気がつくと、「ちゃんと自分の中でメトロノームを鳴らして!」という指示が如何に大変なことか、よくわかりました。
それからは、全く正反対のトレーニングをするようになりました。走ってしまうところは「音楽の流れに沿って」なるべく大きな拍を感じるようにするのです。すると、効果 てきめん。以前は手を叩くのをやめると元に戻ってしまうことも多かったのですが、そんなこともほとんどありません。演奏する側にとっても、一定のテンポを頭できざむことより、はるかに理解しやすいし自然なのですね。
という話をあるプロの演奏家にしたら、「それじゃだめ。演奏するときには細かく数えていないと正確にできない」という反論を受けました。彼は決して「非音楽的な」演奏をする人ではありません。あれこれと話をしているうちに、どういうことなのかが理解できました。彼は「ほぼ正確にリズムを刻む能力がある」と同時に、「頭の中のメトロノームが音楽に合わせて伸縮している」のです。つまり、音楽の進行のリズムの要素だけが取り出されて、頭の中で鳴っているのです。なるほど、これなら「リズムを細かく刻む」ことが役に立ちそうです。
というわけで、結論です。
単に「訓練だから」と思ってそういった練習をさせる指導者は論外ですが、ご自分が「できる」ことでみんなができるものだと誤解している指導者は多いのかもしれません。つまり、「走ってしまう」場所で細かくリズムを刻むことは、上記のようなプロが持っている能力が必要になるのです。そうでないと正確にはできませんし、非音楽的になってしまうのです。テンポが安定しないところは、音楽をよく理解し、大きな流れを身体で感じることによって、音楽を安定させることが必要なのです。
ただし、「物理的に弾けないから走ってしまう・遅れる」という場合は事情が異なるのは当然です。こういった場合は、まず弾けるようになることが先決なのは言うまでもありません。その過程の中で「細かく刻んで少しずつ速くしていく」という練習があっても良いでしょう。その点、誤解なさらないでください。