柏木真樹 音楽スタジオ

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前々から書こうと思っていたことですが、アマチュアのトップ奏者の中に「勘違い」をしている人が多いことが気になっていました。何かというと、「トップとはザッツを出して演奏をリードするものである」と思い込んでいる人が多いことです。

アマオケを聴きに行くと、それこそ自分のパートが出るたびに大きく振り付けをして指示するトップに出会うことがあります。これ、ほとんど意味がないんですね。

先日、知人があるオーケストラに参加したときのこと。コンサートマスターは、現職のプロオケのコンサートマスターを務めている方でした。この方、ほとんどといっていいほどザッツを出さないそうでした。しかし、後ろで弾いていた知人は「とっても弾きやすかった」と言っています。何ででしょうか?答は簡単。体の動きが音楽的なんですね。だから、周りの奏者も簡単に従うことができるのです。

それに対して、大きなザッツをこれでもか、これでもか、と出してしまうと、とても鬱陶しいことになってしまいます。第一、ザッツを見て合わせること、ほとんど不可能なんです。これは、実験してみるとすぐにわかることです。

アンサンブルでも事情は同じこと。よく、指揮者のように体を使っているファーストヴァイオリンがいますが、これはあまり喜ばしいこととは思えません。リーダーは、他の奏者が自然に合うように体が使えるように導く必要はありますが、自分の体の動きに「従わせる」必要はないからです。こんなことも、ちょっと考えて欲しいことだったりします。

最近、オーケストラのトレーナーが何をする人か、ということがあるところで話題になりました。トレーナーとは一体何をする人なのか、少し考えさせられました。僕自身、アマチュアオーケストラの弦トレーナーをやっていたこともありますし、今はストリング・アズールの「トレーナー」を名乗っていますが、オケでトレーナーとしてやっていたことと今とではコンセプトが違います。今回は、「どんなトレーナーがよいのだろうか」ということを考えてみます。

僕が「トレーナー」という存在を認識したのは、大学オケでのことです。僕のいたオケでは、弦楽器のトレーナーと金管のトレーナーが「常任」で、木管楽器は複数の先生が見えていました(あとから打楽器のトレーナーも加わりました)。この方たちの「やり方」が、まず僕の「トレーナーとは何か」という原点です。

弦のトレーナーは、玉置勝彦先生(ヴィオラ奏者。アマデウス管弦楽団指揮者など)で、ドイツや日本でのオーケストラ経験が長く、独自の主張を持っていらっしゃる先生でした。(先生には、オーケストラのことだけではなく、ボウイングなどについても様々なアイデアをいただきました。)しかし先生は、指揮者(早川正昭先生、三石精一先生)がオケの音楽を実現するために必要なことをトレーニングする、という明確な目的意識がありました。楽曲のテンポや解釈ではなく、指揮者が求めることを(またはオケとして基本的なことを)実現できるための練習をなさったのです。必然的に、指導は、音程、リズム、音の出し方などの技術論やアンサンブルの修正が中心になりました。楽曲の解釈は指揮者に任せて、ご自身はオケをまさに「トレーニングする」という立場を守られていたのです。

このオケでの「役割分担」は、非常にうまく機能していたと思います。他のトレーナーの先生たちも、恐らく同じように考えていらっしゃったのではないかと思います。現役のオーケストラプレーヤーであれば、たくさんの指揮者の様々な考え方に触れてこられたはずですから、場合によっては指揮者の解釈が「気に入らない」ことがあったかもしれません。しかし、メンバーが「船頭多くして舟なんとやら」にならないよう、それぞれ考えてトレーニングをされていたのだと思います。僕の「トレーナー観」はこれが原点です。

これに対して、音楽そのもの、解釈を指導する「トレーナー」もいらっしゃいます。近年一時期だけ在籍したオケ(あんまりうるさいんで首を切られました(^ ^;;)にいらっしゃったトレーナーさんは、「こう弾いて欲しい」という、ある意味では「指揮者の領域」の指導にご熱心でした。もちろん、その内容はとても面白いものではあったのですが、指揮者と全く違うことを指示されてしまうことも何回かありました。僕自身は「それは指揮者の指示と違います」とその場で言いましたが、多くの団員は「違うことに気がついていない」か、気がついていても「そんなもんだ」と思っていたようです。団員が皆さんお若いことも理由の一つだったかもしれません。また、積極的に「違う解釈も聞いてみたい」と考えていた人もいました。解釈の多様性はもちろん重要ですが、アマチュアオケのように演奏会に向かって限られた回数の練習で曲を完成させることを目指さなくてはならない場合、こういったケースでは問題が生じることがあります。先のケースでは、トレーナーの先生がご自分のイメージ通りに演奏するためのお話が長くなってしまい、他の必要なことができなくなるという事態になってしまいました。こうなると、トレーナーをお願いする意味がわからなくなってしまうような気がします。

「解釈」にまつわることだけでなく、トレーナーとしての立場を疑わせる問題もあります。

少し具体的に言うと、「どうしてほしい」ということを指示するトレーナーの方は多いのですが、「だからどうすればよい」ということを具体的に指示してくださる方が少ないように感じることです。

一緒に室内楽をやっているヴァイオリン弾きが在籍するオーケストラでのこと。トレーナーにいらっしゃったのはプロオケのコンマスをなさっている方で、もちろん「有名な」人でした。ご自分はもちろんオケの経験が豊富ですから、「こういう音にしてください」「このように弾いてください」という指示は納得のいくものだったそうです。しかし、具体的にどう弾くかという点について全く説明もアドヴァイスもなく、「これじゃ指揮者の要求と一緒だね」という感じを持ったそうです。

いろいろと話を聞いてみると、こういうトレーナー、多いんですね。トラに行った先でこういう先生に当たると、休憩時間が大変です。後ろの方で、即席の講習会が始まってしまう。「先生がおっしゃったのはこういうことで、こうやって弾けばいいんですよ」という具体的・技術的な説明をしなくてはならないはめになったことも一度や二度ではありません。トレーナーの言葉を実現するためにもう一段階必要になってしまうのです。もちろん、オケのトップが十分にパートをトレーニングできる力量 があれば問題ないのでしょうが、そうでない場合には、せっかくのトレーナーの指示が実現されずに終わってしまういます。こういうオケをいくつも見てきました。

オーケストラやアンサンブルのトレーナーをうまくこなすことは、ある意味では個人レッスンをするより難しいかもしれません。一人一人の力量や技術に応じたアドバイスではなく、何通りかの解決策を示したり実現可能な「最大公約数」を語らなくてはならないからです。もちろん、イメージを作るためには、実際に音を出して理解してもらうことも必要になるでしょう。求められるものはたくさんあります。それに加えて、経験に裏打ちされた「秘技」を教えていただければ、言うことありませんね。

オーケストラの態勢や指揮者とトレーナーの連絡体制に問題がある場合もあります。以前呼んでいただいたオケで、僕のトレーニングが物議をかもしたことがありました。指揮者の先生と打ち合わせをする時間がなく、僕の「常識」に沿ってトレーニングをしてしまって事は起きました。僕がある曲で「スラヴの三拍子は三拍を均一に感じてはいけません」という「常識」に従ってトレーニングをしたら、指揮者の先生が「正確に三拍がとれていない」と指摘されてしまったのです。指揮者の先生にしたら、トレーナーが正確な(均一な)三拍を取る練習をしているものと思い込んでいたのでしょうから、行き違いが起きてしまうのは当たり前です。こういったことも注意しないと、トレーナーや指揮者の持っているものを得ることができない結果 になってしまいます。

楽器を始めたばかりの人には、すぐには関係ありませんが、思い立ったことは書いておかないとわすれちゃうので、書いちゃいます。

アマチュアのオケでモーツァルトを聴くと、とても気になることがよくあります。それは、「スピッカート」いわゆる「飛ばし弓」です。これは、歯切れよい音を出すのにとても便利なツールなので、指導者も、しばしば「ここは飛ばして」と要求することがあります。飛ばし弓の技術や、どんなときに本当に「飛ばす」のか、ということは別 項に譲りますが、ここでは、多くのアマチュアが陥っている誤りを、一つだけ書いておきます。

弦楽器は本来、弓を弦に直行させて引くことで音を得ます。これに対して、スピッカートという奏法は、弦に対して縦向きの運動を加えて、弓を弦からはなす作業を加えたものです。すなわち、音を得るための「弓を引く」作業に加えて、弓をはなして実音を終了させ、音の「切れ目」を作ったり、次の音の立ち上がりをクリアにしたりするのです。当然、弦から離れた弓は、次のスタートの時にはきちんとした立ち上がりで音が出るように、弦に接触してスタンバイすることになります。速いパッセージで使うスピッカートの場合、「離す」「引き始める」という作業を分離して行うことができないので、作業は一連の動きになりますが、あくまで「離す」と「引き始める」という二つの作業を行っているのです。

これに対して、多くの人が、弦に対して縦向きの運動を加えて、弓を弦の上でバウンドさせてしまっています。これは似ているようでも全く違う結果 を生みます。(何年か前に、数人の「スピッカート」をヴィデオでとってみたことがありますが、この差は、見ていてもはっきりわかります。)

バウンドさせるとコントロールしにくい、という技術的な問題点もありますが、それよりなにより、「音が汚い」んです。それには、二つの原因があります。

一つは、音の立ち上がりができないことです。弓を上方から弦に「ぶつけて」しまうと、弦は「たわんで」しまい、きちんとした音が出にくくなります。そして、次に弓が離れるまで、弓はまるで「弦を掘っているような」動きをします。

もう一つは、「弦を振動させる、弓を引く、という作業がなくなってしまいがちになる」ということです。題名の「その場飛び」とは、まさにこのことを意味します。

弓を弦に当てその場で飛ばしてみると、擦過音がします。少し「引く」要素を加えてみても、擦過音が大きくなるだけで、弦は振動を始めません。なんとしてでも音にしようとすれば、弓をたくさん使うか、激しく上下運動を加えて、「上下運動の結果弓が弦をこすった時間が生じ」るようにするしかありません。こうなると、引いている本人にはかろうじて音程が聞こえますが、周りの人には、単なる擦過音の固まりが聞こえるだけです。

一人で弾いていてもこうなるものを、30人の弦楽器でやってみるとどうなるか・・・

ステージの上を、無数のゴキブリがはい回っているような光景になります。モーツァルトの序曲によく出てくる速い8分音符の進行など、効果 はてきめんです。「がさごそがさごそがさがさがさごそ・・」

スピッカートには十分注意しましょうね。 (^-^;)

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