柏木真樹 音楽スタジオ

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最初に、指導法研究会用の資料に目を通してください。

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音感を鍛えること、音程矯正法

1)音感とは何か

まず、音感とは何かということを定義する。音感とは、音を判定する能力のことである。音には、高さ、強さ、音質などのさまざまな要素がある。複数の音になると、音の間隔を判別すること、協和するかしないかを判定することなどの要素も増える。これらを聞き分け、何らかの判断(音の高さが合っているか、はもっているか、強弱の差を認知するなど)をすることが音感である。

日本では、音感というと音の高低を判別することのみを指すことが多い。多くの音感教育と称するものの中には、ピアノで単音を叩いて音を言わせるなどという、全く意味のないことを延々と繰り返しているものすらある。こうした「音感教育」がはびこることにより、音を当てられないと「音感がない」とされて掃き棄てられる結果となる生徒が多いのである。

音の高低を判別することとは、音の周波数の違いを認知することである。この能力は、ほとんどの人が当たり前に持っているものだ。二つの音を続けて聞かせて同じに聞こえる人は非常に少ない。前にも述べたが、耳が聞こえない人ではないのに周波数差を認知できない人が存在するかどうかも、私は知らない。この周波数差を「どちらが周波数が多いか」というレヴェルで判定できることが、音の高低を判断する能力である。この能力には個人差があり、声域外でも1ヘルツの差を(楽器など何もやっていなくても)たちどころに判定できる人もいれば、声域内で10ヘルツの違いを識別できない人もいる。この能力差がどのようにして身につくかはよくわかっていない。幼児期の経験値だという主張もあるし、それ以前に決まる能力だという説もある。しかし、最終的な到達点に若干の差はあっても、ほとんどすべての人にとっては、鍛えればより微小な差を判定できるようになる。

二音以上の協和、不協和を判定する能力は、単音の差を認知する能力よりやや高度だが、ほぼ誰にでもできるものだと言える。高度である理由は、音程の差を判定する能力だけでなく、ある種の経験値が必要だからである。

いわゆる「絶対音感」「相対音感」についても説明しておこう。絶対音感とは、特定の周波数の作る音を「すべて」覚えられる能力である。この能力は、3~4歳(研究者によっては6歳、10歳など諸説がある)で完成し、それ以降はつくことがない。この能力があると、繰り返された音の高さは頭の中にデータとして正確に格納され、聞こえてきた音を瞬時に「何ヘルツ(実際には音名)」と判定することができる。能力がついた後から繰り返し聴かされた音も、多くの場合有効なデータとなる。例えば、絶対音感を持った子どもが442ヘルツでチューニングされたピアノを使い続けた場合、ピアノの音程を絶対音として脳に格納する。この子どもにとっては440ヘルツのA音はA音ではない。つまり、この能力は楽器を演奏する場合に害になる可能性が強い。

(私は、生涯で3人、正確な絶対音感を持った人に出会った。一人は同世代の男性で声楽家。彼はあるCis音を聴いて、例えば「その音は440ヘルツのA音を基準にとった平均律のCisよりやや高い」などの判定ができる(もちろん、442を基準にしたCis音よりは低く、その差も前者より大きい)。この能力は、曲芸の世界で使われるならともかく、音楽の世界で必要とされることはほとんどない。チューナーも音叉もないところで絶対値を規定されているチューニングをする、というような特殊な必要性がなければ。もう一人は、出会った当時小学生だった女の子である。彼女はピアノの絶対音を持っていた(音を覚える訓練もしたという)。ヴァイオリンを始めて4年後(小学校4年生)、先生を替わって、この子がチューニングができないことが判明した。単音で合わせると、完璧な平均律で合わせることができるのに、二つの音を弾いた時の協和、不協和を判定できなかったのだ)

これに対し、多くの人が「曖昧な絶対音感」と呼ぶべき能力を経験値として持っている。私はこの能力を「擬似絶対音感」と呼んでいるが、絶対音感とは似て非なるものである。例えば、道を歩いていて聞こえてきた音が「Gよりちょっと高い」(442ヘルツを基準にして平均律で取ったG音ではなく443ヘルツを基準にしたG音より高い、というレヴェルではない)と判断できる能力である。これは、経験を重ねることによって、程度の差はあってもほとんどの人が獲得することができる能力である。この能力でサンプル音をいくつか脳に格納できると、その音との対照で(音の間隔の経験値を利用して)何の音に近いかを判断することができる。この能力は絶対音感とは違って1ヘルツ差を判別できないことがほとんどである(442・・場合によっては440・・のA音だけはわかる人も少なくない。何千回も繰り返された刷り込みだからである)。

(私もこの能力を、中学から高校時代に身につけた。当時の私に上記のような知識があるわけはなく、自分が絶対音感がないことだけを認識していたのだが、ある日、A音が経験値による知識として頭に残っていることに気がついた。「これを増やせば絶対音感になるのだろう」と「勘違い」して、それからは音を覚えることに夢中になった。最初は単音を覚えようと努力したが、ほとんど成果が無く諦めかけた。そんなある時、頭の中で「春の祭典」を鳴らしていて、冒頭のC音がいつもほぼ正確であることに気づいた。あのファゴットの独特のC音が頭で鳴るのだ。試してみると、ピアノでC音をイメージしても全くできない。それから、頭の中でイメージしたオーケストラの曲やヴァイオリン曲の冒頭や有名な旋律を片端から歌ってみて音程を確かめてみた。メンデルスゾーンの協奏曲の出だし、交響詩「英雄の生涯」の冒頭など、音程を「覚えている」ものがたくさん見つかった。それ以来、ほとんどの音をある特定の曲を思い出すことで呼び出すことができるようになった。これは「多くの情報を覚えれば正確になる」という認知のシステムによる。

こうした「擬似絶対音感」ですら、楽器の演奏にとって有効であるかどうかは疑わしい。持っていると便利である場合もあるが、ないならないで済むだろう。これに対して、音の相対関係を判別する能力は、楽器演奏において欠かせない。相対音感という呼び方で呼ばれている能力である。

相対音感は、複数の音の関係を判断する能力である。同時に鳴る二音に対してこの能力が発揮されると協和・不協和の判定ができ、この判定にさらに経験値による「二つの音の間隔の記憶」を利用すると、与えられた二音の関係(何度の関係であるか)を判断することができる。さらに、ある種の和音の響きを記憶として覚えることもある。一方で、時間差がある二音の関係を判断する能力が発揮されると、旋律をつなぐことができる。

これらの「音程を判断する能力」に加えて、他の要素(強さ、音質)などを判定する能力を総称して「音感」と呼ぶことは述べたが、この「他の要素」は、音程よりも手軽に数値化しにくく、求められる判定が曖昧である場合が多い。単純な強弱でも、楽器が変わると正確に判断することは困難である。音質になるとさらに曖昧で、個人的な嗜好に左右される面も大きい。ただし、これらの要素を判定する能力も、訓練によって精度を上げたり、明らかな誤り(の記憶)を正したりすることは、多くの場合可能である。

2)音感のベースになるもの

音感と呼ばれる能力を持ったり、その能力を発揮するためには、いくつかの前提条件がある。この前提条件を理解しないと、「音感がない」と感じられる生徒の「耳を良くする」作業は困難になる。それは順に

  • ・音の高低、強弱などを感知できること
  • ・音を短時間記憶しておくこと
  • ・頭の中で記憶された音を再現できること
  • ・音の相対関係や音質などを(ラベルをつけて)記憶すること
  • ・耳で聞こえる音と頭の中で再現される記憶を比較すること
  • ・記憶を意識して修正すること(ラベルの張替えも含む)
  • ・記憶だけを組み立てて新たな記憶を作ること

これらの能力に加えて「出力」である演奏や歌うことを覚えて、個々人の音感が判定される。

上記の能力は、基本的には番号順に作られていくべきものである。何かを落として成長すると、長い間苦労することになる可能性がある。例えば、鈴木メソッドのような「耳コピー」で幼児期に訓練を始めると、・の「ラベルをつける」作業をしないで先に進んでしまう。すると、記憶された音の関係は「ラベルのないまま雑多な箱の中に放り込まれた」状態になって、しまいこまれた記憶を呼び起こすことができなくなる。結果として、楽譜が読めない(頭で音の関係を再現できない)ことになる可能性が強い。

(発想記号などを音と無関係に覚える(英語の単語カードを覚えるかのような覚え方をする)ことが音楽的には無意味(もちろん、音大を受けるためには必要だが)である理由もここに求めることができる。ばらばらに記憶された単なる記号としての文字と音を頭の中で再現する作業を結びつけることは非常に困難であるのがその理由だ。これに対して、発想記号を音と結びつけて理解した場合、非常に有効な記憶として利用することができる)

「音感がない」とされる生徒を判定すると、この過程のどれかが欠落している(十分に訓練されていない)場合がほとんどである。その場合、そこまで戻ってトレーニングすることが必要になる。

3)生徒の音感を判定すること

生徒の音感を判定することは意外に難しい。表面的なヴァイオリンの「音程の悪さ」だけでは正確な診断を下せないことがほとんどである。それは、生徒自身が正しいと信じる音程で演奏できないことが大きな理由だ。

生徒自身が自分のイメージと違う音程をとってしまう理由も、単純に「技術が伴わないから」と考えるべきではない。技術が伴わないだけであるならば、音程を間違えていることに必ず気がつくはずであるが、実際は生徒が音程を間違えたことに気がつかないことも多い。一方で、音程を間違えたことに気がつかないことをもって、直ちに正しい音程のイメージがないと判断することもできない。実際にヴァイオリンを弾いているときには、弾いている運動に意識が向いていて、聴覚が十分に使えていない可能性もあるからである。これらの差異を踏まえることなしに、生徒の音感を判断してはならない。

では、この「微妙な」差異をどのように判定したらよいのだろうか。

まず、生徒が自分の持っている音程を判断する能力を使えているかを判定する。そのためには、音程を間違えたことを「知って」いるかどうかをチェックする。音程の間違いを正しく認識していた場合、生徒は正しい音程をイメージする能力を持っていて、しかもそれを弾いているときに使えていることになる。この場合、問題はスキルに帰着する。

音程を間違えたことに気がつかない場合、生徒にイメージがないのか、聴覚に意識が向いていないだけなのかを判定するためには、生徒自身の演奏を録音して聞かせることでわかる。弾いている時には気がつかなくても、自分の演奏を耳で聞いている時なら判断できる場合も少なくない。この場合は、演奏しているときに聴覚が使えるように、頭の働きを強化する必要がある。単にスキルを上げるだけでは、解決しないか、または解決に非常に時間がかかることがある。

自分の演奏を聞いても判定ができない場合、生徒自身に音程のイメージがない可能性が強い。生徒が頭に音程のイメージがない場合は、さらに「頭で音程を作ることができるかどうか」をチェックする。この判定はかなり難しい。例えば先生がある音を弾き、同じ音、ないし隣の音などをイメージしてもらう。そのイメージした音を、先生は(できれば別の楽器を使って)弾いてみて、生徒が持っている音と同じかどうかを確認する。

このチェックを通過できない生徒には、頭の中で音が鳴ることそのものをチェックしなくてはならない。これは、生徒が歌を歌える場合は、歌うことと弾くことを交互に行ってもらって判定する。歌うことが困難な場合、頭にイメージしてもらった後で複数の楽器を鳴らして聞いてもらい、一致するものが存在するかどうかを確かめるのだが、かなりの判断力を必要とする。なぜなら、頭の中で音が鳴っているかどうかを生徒が誤解していることも少なくないからである。

次に、音程の縦方向の相互関係の判断能力をチェックする。要するに「ハモる」ことがわかるかどうかの診断である。ただし、聴いた二つの音が何度であるか、複数の音が何の和音を作っているかを判定する能力とは区別しなくてはならない。これらは、聴いた音を自分の記憶と参照する能力であり、「ハモる」ことがわかる能力とは別である。「ハモる」ことが判断できなくても、記憶と参照することで和音を答えることができる人も少なくない。特に、ピアノで和声聴音を訓練された場合、音程間隔、和声を答えられても協和・不協和を判定できない可能性は少なくない。

和音の協和・不協和の判定ができない場合、うなり、差音などが聞こえるかどうかをチェックする。うなりはほとんどの生徒がすぐに聞こえるようになる。どうしてもだめな場合、E線の開放弦とA線のH音(四度)をややずらしてうなりを発生させ、楽器のネックの端(E線側)を軽く指で触れさせる。うなりが楽器を振動させていて、耳で聞こえるのと同じサイクルで楽器が振動していることのだが、この振動を体感させることで耳でうなりのサイクルを捉えやすくなる。この方法でほとんどの場合、うなりを確認させることができるだろう。差音に関してはやや難しいが、やはりこの四度がもっとも判定しやすい。差音が重音の下の音と同じ(オクターヴないし2オクターヴ下)の和音より、上の音と同じほうが捉えやすいからである。仮に生徒の耳に差音が聞こえない場合、G線をE音まで下げて共鳴させて補助にしてみるとよい。こうしたチェックをレッスンで行い、生徒の音感を確認する。

4)音感を鍛えること

音感を鍛える場合、必ず段階を経る必要がある。第2項で述べた順序に従って行われることが大切である。

例は少ないが、音の高低、強弱などが感知できない場合、かなり特殊なトレーニングが必要になる。前述したように、音の高低の違いを判定できない例はほとんどないと考えてよく、経験値の欠如によって高低の判断力が欠落していることがほとんどである。この場合、音の高さの差異をたくさん聞かせることと歌わせることを併用して理解させる。非常に忍耐の要る作業になるが、全く改善されないということはないはずである。

次に、音を短時間記憶しておくことができない場合(または非常にこの能力が劣っている場合)の訓練法を述べる。

まず、簡単な発声法を理解させることが必要である。小さい頃であれば、耳から入ってくる音を自然に記憶することができるようになるのが普通だが、大人になってこの能力が欠損している場合、特殊な方法でトレーニングを積むことが必要になる。

まず、声域内で単音を弾いて聞かせ、同じ音程で声を出せるように練習させる。これはレッスンでやることが不可欠で、一致した状態をいちいち確認しなくてはならない。耳で聞いた音と発声した音程が一致しているかどうかは、初めのうちはなかなか判断できないからである。この状態を通過したら、簡単な二音を続けて聞かせて歌わせる。初めは関連性の強い二音(オクターヴ、五度、四度や三度、六度)を利用する。このトレーニングもレッスンで確認したい。関連性の低い二音でも音程を記憶することができるようになれば、三音、四音と進む。この段階になれば、レッスンで方法をしっかり認識させた上で、一人で練習させてもよい。ランダムな四音が難なく歌えるようになれば、かなりの記憶力がついたことになる。経験的には、1ヶ月から数ヶ月ほどの訓練で、ほとんどの場合この能力はつく。

この時注意したいことは、生徒が旋律を覚えているかどうかのチェックを忘れないことである。ランダムな3,4音を記憶できない場合でも、ある程度の歌を覚えて歌ってしまうことがある。人間にとって心地よく聞こえる旋律を繰り返し聞かせると、その旋律だけはしっかりとした記憶として格納されることがあるが、これは音を短時間記憶しておく能力とは異なるものである。例に挙げたT.Y.さんは、かなりの難易度の曲(スマップなどの歌)を歌うことができるが、音を一時的にメモリーにおいておく能力は、完全に欠落していた。このような場合、音を記憶する能力が欠落していることに気づきにくい。

次に、頭の中で音が鳴ること(記憶された音を再現すること)である。頭の中で音を鳴らす能力がない場合、上記の「音を短時間記憶しておく能力」のトレーニングをする時に、実際に発声するのではなく頭の中でイメージさせ、その後で再びその音を弾かせてみることで訓練することができる。この後、記憶した音を頭で再現できるようにトレーニングする。上記の訓練に加えて、比較的覚えやすい音列(短いスケールや分散和音、短い旋律など)を「弾く、イメージする」ことを繰り返させる。確認するためには、イメージした後に弾かせることとイメージ抜きで弾かせることを比較する方法をとる。この二者の音程が明らかに異なる場合、イメージしている音程を指導者の側が判断することができる。実際には、音を短時間記憶するためのトレーニングを繰り返している間に、音をイメージする(頭の中で鳴らす)ことを覚えていくことができるケースが多い。

音の相対関係や音質などを「ラベルをつけて」記憶することは、経験値の蓄積ができるようにすることである。大人になってこの能力が欠落している場合、ここまでのトレーニングのようにシンプルなものでは身につけることは難しい。音の相対関係を記憶させるためには、記憶させるべきものとそうではないものをまず区別することから始める。

この段階になると、完全五度を純正にチューニングすることが不可欠になる。楽器の持っている音程を利用することが、音の相対関係を理解させるためには一番効果的なことだからだ。幸いにして、現在は純正をとることができるチューナーがある(コルグのOT-12)ので、楽器を常に純正に調弦しておくことを心がける。「初めのうちは大体の音程を覚えて、そこそこになったらきちんとすればよい」と主張する指導者が多いが、これは明らかに誤りである。「初めはピアノで音をとって大体のスケールを覚えさせる。その後ピタゴラスの音程を教えればよい」という主張が、ネットで有名なチェロ奏者のサイトに書かれているが、音感がない状態で大人になってから楽器を始めたこの先生の生徒がピタゴラスのスケールを教わる日は、恐らく来ないだろう。なぜなら、平均律のスケールには、人間が記憶できる相対関係がなく、「大体の音程が安定する」ことはありえないからである。これができるということは、無条件に絶対音感をつけることができることと同じである。

音程の相対関係の記憶は、ピタゴラスの進行と純正の二音、和音を判定することからスタートする。ピタゴラスの進行を理解させるためには、指導者が正確なピタゴラスの進行でスケールとわずかにずらしたスケールを聞かせて、どちらが心地よいかを判断させることから始める。同時に、純正な四度を正確に判定する能力もつけさせる。その後、スケールや分散和音の練習を繰り返す。そのときに、正しく音程が取れるように、楽器が持っている純正の五度と、生徒自身が判断した純正な四度とオクターヴを上手に利用する必要がある(以前、上記のチェロ奏者と議論したことがあるが、私のトレーニングを「できない、無駄」と一蹴された。しかし、この訓練法に効果があることは、私の生徒やアズールのメンバーの成長の過程を見れば明らかである)。

和音の判定は、六度を使った純正な和音(差音と実音で構成されるドミソの和音)および、実音の長三度(先生が弓を逆さに使って実際に和音を出してみると効果的)を用いて始める。純正な長三和音は非常に美しく、ほとんどの場合、聞いて判定することはすぐにできるだろう。その後、指導者の音に対して純正な各間隔の音を弾かせたり、逆を体験させたりすることで、判断力を高めることが可能である。

楽譜上の音(音名ではなく階名が望ましい)を繰り返し再現することで、この判断力をラベルをつける能力に昇華させることができる。このトレーニングも非常に忍耐力の要る作業であるが、特に鈴木メソッド出身者などには不可欠な訓練である。

これ以降の訓練は、実際にスケールやエチュード、曲などを練習する中で平行して行う。

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上記の文章は、音感に大きな問題がある場合の矯正法ですが、音感を鍛えるための訓練は、基本的に同じように考えることができます。音程の修正は、本来音感を十分に鍛えてから行った方が楽ですが、実際にヴァイオリンを弾いている場合、同時並行的に行うこともでき、現実的にはそうしていることがほとんどです。

音程を矯正するために最も重要なことは、耳が持っている特性を十分に発揮できるような練習方法でトレーニングすることです。耳が持っている特性とは、いつも言っている「気持ちが良いか悪いかを判別する能力」です。この能力を発揮するためには、能力に磨きをかけると共に、磨かれた能力をできるだけ素直に使えるような練習方法を採用することが大切になります。訓練の順序もこの考え方に従って考えましょう。

耳の能力を磨く練習は、純正な二音を取ること、レッスンで私と一緒に弾くこと(聞くこと)、共鳴を聞くことなど、耳で判断できることを増やしていくことから始めます。その際、判断がつかないケースが出てくれば、補助的な方法を加味して練習することもできます。例えば、純正な二音がわからない状態であるとき、単に純正な二音を聞くのではなく、うなりを利用してある範囲内に二音が収まるようにします。ある範囲内の音程をたくさん聞くことができると、耳の精度は次第に上がっていきます。純正な音の響きは、そのような練習を積み重ねることによって理解できるようになります。

横の音程(時間経過による音の変化)についても、同様の方法をとることができます。気持ちの良い状態とそうではない音程(ピタゴラスと平均律が一例)を聞いてもらい、その差が理解できるかどうか、ということは、初期のレッスンで必ずやっているはずですが、聞いて判断する能力をつけることが最初のステップです。

正しい音程進行で弾けるようになるためには、耳で判断できること、頭で再現できることと、正しい位置で指を押さえて音程を安定させる(ボウイングの問題も含む)ことが必要ですが、必ずこの順で訓練します。そのときの練習方法の組み立て方は、鍛えた成果を十分に利用することがポイントになります。耳で判断できない間は頭で再現することは不可能で、頭の中で正しい音程が鳴らなければ、ヴァイオリンで音程を正しく取ることはできないからです。

もう二点、追加しておきます。

音程を矯正する前提として頭を訓練するためには、頭が音を鳴らす状態をコントロールすることが必要になります。この訓練は、音の短期記憶を利用して、それを応用することで導くことができます。最も有効な方法は、シュラディックの2番のような複雑な音列を、弾くことと歌うことを交互に繰り返す方法です。弾いたところを歌うのではなく、一拍ずつ「弾く、歌う」を交互に続けます。一拍目を弾くと、頭はその4つの音を短期記憶として覚えます。次の拍を歌うときには、その記憶を利用できますが、全ての音が使えるわけではなく、新しい音が入ってきます。この音を正確に歌うことができると、短期記憶が有効に応用できるようになります。

もう一つは、ほぼ正しい音程を捉えることができた時に、それを定着させるために必要なポイントです。音程を修正するときに、ほぼ正しい音程が取れるまで練習して、「正しい」と感じたらそこでやめてしまう人が多いようです。しかしこれでは、正しいと感じた音程の精度は上がりません。「正しい」と感じたら、その音程でしばらく繰り返して弾いてみます。すると、繰り返された音程は、より心地よい方向に微調整されて定着します。この練習ができるかどうかは、音程の精度を上げるために決定的な意味を持ちます。

まず、サイトに上げた文章を再掲します。

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速いパッセージを練習するために言われてきたことはたくさんあります。主に推奨されてきたトレーニング法は、

  • 1)ゆっくりからメトロノームなどを使って徐々に速くしていく
  • 2)限界より少し速いテンポで強引に弾いて動きを作っていく
  • 3)指を指板になるべく近づけて置いて、小さな動きではっきりとした運指ができるようにする
  • 4)同じ動きをくり返し練習して反応を速くする
  • 5)無駄な動きをとる、脱力を確認する

などでしょうか。どれも正しく、「トレーニング法」としてはやるべきことだと思いますが、今回はちょっと違った視点で考えてみます。「速く弾くにはどうしたらよいか」という発想を「速く弾けないのは何故か」という方向から考えてみたいのです。

速く弾けない、という悩みも、よく聞いてみると何通りかのパターンがあります。「左手がどうしても速く動かない」「あるテンポまで速くするとそれ以上はぱたっとできなくなる」「右手が速く動かない」「左手も右手も速く動いているのに同期しない」「左手も右手も速く動いているのに音にならない」等、じっくり検証してみるといろいろな原因があるようです。

弾けない原因を以下の三通りに分けてみました。

  • 1)もっぱら左手の問題
  • 2)もっぱら右手の問題
  • 3)右手と左手の問題

これをさらに分類します。それぞれについて小考してみます。

1)もっぱら左手が問題となって速いパッセージが弾けない例とその解決策

(1)まず、左手そのものが速く動かせないケースです。

これも大きく二通りに分けてしまいます。そもそも左手の指を速く動かせないケースと、他のこと(例えばキーボードを叩く)ならできるのにヴァイオリンになるとできなくなるケースです。

最初のケースの場合、かなりいろいろなタイプの訓練をする必要があります。まず、脱力ができているかを確認します。脱力ができていないと、指を速く動かすことはできませんから、日常的に「不器用」と判定されているケースがほとんどでしょう。この場合、脱力と手の使い方そのものから訓練しなければなりません。指を単に折るところからスタートして、脱力した状態で指が独立して動く感覚を磨くわけですね。こうした訓練をした後、次のケースと同様のトレーニングをします。

後のケースは、ヴァイオリンを弾くときに左手を動かない形にしていることが原因です。これは、今まで述べてきたような脱力・ボウイング筋などのチェックをして、次に進みます。

(2)次に、何となく速くは動くものの、正確に音程が取れない、きちんと指板を押さえられない、というケースです。

ヴァイオリンのトレーニングとして「速く弾くためのトレーニング」は、もっぱらこの部分に対応するものです。ですから、巷で言われているトレーニング法が当てはまるのも、主にこのケースに限られるのです。逆に言うと、僕が書く必要のない部分でもあります。

一つだけ、ヒントになることを付け加えておきます。それは、「指の開きを頭でコントロールできているか」ということです。ある程度速く弾けるものを録音してみて、音程の悪いところを見付けます。次に弾くときに、その音だけを注意して弾いてみます。速いパッセージの練習をするとき、全体を考えながらくり返し弾くことはかなり難しいのですが、気にする音を少なくすると意外と修正が効くものです。これをやってみてください。もし修正が効かないとすれば、その部分に指などに負担がかかっている可能性があります。ゆっくり弾き直してみて、そこだけに「結節点」がないかどうかを確認します。弾こうとするパッセージ全体について、このようなチェックができると、かなりの確度で「限界」を超えることができるようになります。

巷で言われている練習法の効果・難点などは、書き始めると大変ですので、また改めて書くことにしたいと思います。

2)もっぱら右手に問題がある場合

意外と多いのが、右手が問題で速いパッセージが弾けない例です。左手を速く動かす訓練は皆さんがなさっているので、ある程度解決されていることが多いからだと思います。これも二つに分けます。

(1)右手が速く動かないケース

多くの場合、右手を動かす筋肉を間違って使っています。基本的に、人間の運動は「実際に動いているところから関節一つ手前かその前」の筋肉を使っています。これができていない状態で、特に関節の変形で右手を動かしている場合、動きがかなり緩慢なものにならざるを得ません。幾つかチェック法がありますが、代表的なものを書いておきます。

まず、ヴァイオリンを弾くように右手を構えます。弓を持つ必要はありません。手を軽く握って、肘から先を速い弓を動かすようにくり返し動かしてみます。弓を返す運動をするときに、「がくん」という衝撃がどの程度感じられるか、ということをチェックしてみてください。返すたびに、返す前の進行方向にかなりの衝撃を感じるのであれば、動きを関節の変形で行っている危険性が大きいです。筋肉が正しく使われている場合、この衝撃はかなり緩和されたものになります。運動が動いた二つの終点に加速度を生じているか、中央に勢いを感じているか、と言い換えてもいいでしょう。前者だとかなり「がくんがくん」と感じるはずです。この区別が付けばしめたもの。

弓を持たずにこのチェックをした場合、関節の変形で動かしていてもかなりのスピードが出ます。ですから、一見関係ないように思われるかもしれませんが、弓を持って弾いてみると一目瞭然。関節の変形で動かしていると、弓の返しがスムースにいきません。それを気にしながら弾いていると、必然的にスピードが出なくなるのです。

このチェックは、手首・指などにも応用できます。ただし、紙上では限りがありますので、先生と相談してやってみてください。

(2)速い運動で腕の重みが利用できていないケース

右手に主な原因があって速いパッセージが音にならないケースのほとんどがこれです。要するに、速く動いているときに腕の重みが「死んで」しまい、弦を必死に擦りながら弾いてしまっているために起こることです。

チェックは簡単です。ゆっくり弾くときに腕の重みを十分感じて、次第に速くします。ある時点で、弾いている感覚がはっきりと変わるはずです。加速がついて浮き上がってしまうような感覚です。勿論、音でも判断できます。ゆっくり弾くときには脱力ができてボウイング筋が使えている人でも、速くなるととたんに肩や肘、手首などに力が入ってしまい、腕の重みが使えなくなる人がいます。上記の関節の変形と複合することもあります。

解決法は、腕の重みを使いっぱなしで速く弾けるように練習することです。徐々にテンポを上げていくしかありませんが、弓幅をなるべくたくさん使いながら練習すると効果が大きいですね。

3)左手と右手の複合的要因

1,2のケースが同時に起きることもありますが、それは「複合的要因」ではありません。それぞれの対策をとっていけば解決できるからです。ここで言う「複合的要因」とは、上記の問題を解決したにもかかわらず速いパッセージを練習しても弾けない、というケースです。「右手と左手がシンクロしない」ケースと、「両手にしたとたんにできなくなる」ケースです。

「右手と左手のシンクロ」の問題については、全く別に詳しく書くつもりですので、ここでは簡単にしておきます。

この問題は、僕は主に「頭の問題」だと思っています。(もちろん、異論はあるでしょう。)勿論、頭の良し悪しを問題にしているのではなく、「頭の使い方を知らない」ことを問題にしています。これは訓練することができるタイプのものです。

右手と左手に同時に頭が指令を出すことは、とても大変なことである場合があります。簡単なことはもちろん実生活でいつも使っていることで、(例えばお茶碗を持ってごはんを食べる、なんていうのもその例です)誰でもやっていることなのですが、やることが複雑化すると次第に困難になります。その様子をレッスンで見ていると、一昔前のコンピューターゲームを思い出します。

(知らない方のために・・・一昔前のコンピューターゲームは、処理能力が今とは格段に違い、複雑な操作になるととたんに画面が遅くなるのです。例えばインベーダーゲームで、敵がたくさん降ってきて、こちら側もたくさん弾を撃つと、画面がスローモーションのようになってしまいました。)

頭の訓練ですから、ヴァイオリンを持っていないときでも方法はあります。ヴァイオリンを練習しながらということであれば、右手と左手を違うリズムで弾いたりリズムの分割を変えたりして、「違うこと」をやってみればよいのです。ポイントは「初めは同じことをやっていて少しずつ違う役割を与えていく」練習をすることです。アクセントを意識する場所を変えるだけでも、やってみると結構大変なことがわかります。そんなことが自在にできるようになると、かなりシンクロの問題は解決されるはずです。

両手にしたとたんにできなくなるケースは、上記の「シンクロしない」極端な例だと思ってください。こうした場合、実は1,2が解決できていないケースがほとんどです。右手だけ、左手だけでやってみるとできたのに、両手にしたとたんに元の木阿弥になってしまった、ということが起きているのです。特によく見られるのが、楽器を持ち弓を動かそうとすると、体の意識が中央から両側に散ってしまう人です。典型的なのが肩に力が入ってしまうケース。両肩を上げてしまうと、体の指令は左右に完全に分離してしまい、右と左が「全く同じ動きしかできない」か「ばらばらにしか動かない」という状態になってしまうことがあります。「そんなばかな」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、意外に多いのです。ちなみに、僕はこれを「頭の脱力」と呼んでいます。

以上の問題が、今まで見てきた中で出会った「速いパッセージが弾けない原因」です。これを解決することがまずスタートです。上級編は別項にいたします。

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さらに付け加えてみたい。

速く弾けない原因の抽出法

まず、速く弾けない原因の探り方です。「左手が回らない」と感じた場合でも、真の原因の可能性は多岐にわたります。原因がわからないと対策が立てられないのは、いつも述べているように、病気と同じです。

左手にしろ右手にしろ、運動そのものができない場合がもっとも根本的なものです。左指が速く動かない場合は、まず運動そのものがそのスピードに達することができないのか、運動はできるが何か阻害要因があるのかの判別をしなくてはいけません。具体的な判別法は、どのような運動についてか、何が阻害要因になり得るかを推測して調べるのですが、具体例は次項以下に挙げておきます。

具体的な阻害要因が見つからない場合、運動能力が上がらない原因を見出しにくいことがあります。頭の指令そのものを速く出すことができない場合と、指令自体は速く出るのに伝達経路に問題があったり指令を具体的な運動にするところで速くできない場合などは、判別することが非常に困難です。具体例をひとつ挙げておきます。

ある速いパッセージが弾けない場合、一小節ごと、ないし1フレーズごとに小さな間を空けて断続的に弾き、その形でスピードを上げていく練習をしてみます。小さな間を空けることでスピードを上げることができる場合は、頭から出された運動の指令が指に伝達して実際の運動になる経過には問題がないことになりますが、それでも弾けない場合は、指令自体の問題、ないし運動そのものができないということになります。前者の例は「暗譜しないと速く弾けない」症状を持っている人に顕著なものです。

この他にも、それぞれのパターンによって判別法が考えられます。

運動能力を高める練習の一般論

速い運動ができるようなるために取られる一般的な方法は、以下の三つです。

  • 1)できる速さで運動し、次第に速くしていく
  • 2)とにかく無理やり速い練習をして、少しずつ調整していく
  • 3)他の運動で速さを作り、適用、応用していく

この三つの方法は、いずれも効果がある方法ですが、それぞれに利点、欠点があります。練習によって得られる効果と対応する問題点は

  • 1)安定した状態でテンポを少しずつ上げることができる。運動や体の使い方、音程などに気をつけることができる速さを、同時に鍛えることができる。
  • 2)速いスピードに対応する運動能力を高めることができる。
  • 3)速い運動を作りやすいものから始めるので、安定した状態で速いテンポを得やすい。リズム変化などを伴う練習は、リズムで運動を規定できるので、運動自体をコントロールする能力をつけることもできる。

 

  • 1’)速くすることに限界が来てしまうことが多い。ある速さ以上はどうしても進めなくなることが少なくない。しかも、その「ある速さ」が比較的速くないことが多い。
  • 2’)手の形、ボウイングなどが乱れてしまうことがある。音程の調整も難しく、調整することができるまでにやっていることがとてもストレスになる。
  • 3’)他の運動を作ることが易しくないことも多い。他の運動を練習することで、思いがけない癖がついたりすることもある。

こうした「通常の」練習方法を取るときには、この利点・欠点をよく理解して練習することが必要です。特に、1,2の練習は、利点と欠点が相互に補完関係になっているので、両方をやることで初めて効果が現れることも少なくありません。

頭の処理能力を上げる練習

適切な訓練によって頭の処理能力を上げることは不可能ではありません。前提として、頭の働きを理解するために、関連することを少し説明しておきます。

頭の働きの構造(感情的なこと、感覚的なことを除く)は、記憶することと考えることに大別できます。記憶することは、文字通り、出遭った事象を頭の中に格納する作業です。考えることとは、考える対象を格納された記憶と関連させて、ある論理を組み立てる作業です。この二つを簡単に説明しましょう。格納される形式はある種の電気信号で、「関連させること」は、この電気信号同士を結びつける作業です。この点では、コンピューターがやっている作業に近いといえます。

記憶は、短期記憶と長期記憶に分かれる。短期記憶は、ある事象を一時的に頭の中に置いておくもので、長期記憶は短期記憶をしっかりと頭の中にしまいこんだものです。コンピューターでデータをセーブする前のデータが短期記憶、セーブしたものが長期記憶であると比較して理解できます。パソコンの電源が落ちてしまったときに、セーブしていないデータは消滅してしまいますが、セーブしてあればなくなりません。短期記憶も、そのままではすぐに忘れてしまうシロモノで、どこにしまったかを示すタグを付けてきちんとしまわれた時に、初めて使い物になる記憶になります。この短期記憶は、音を短時間覚えておくことに使われるもので、音感トレーニングの基本となります。

運動能力を上げていく訓練で必要な頭の働きの向上は、直接的な運動の指令とその指令を出す判断との問題になります。直接的な指令の問題は単純な「運動神経の問題」と理解され、運動の指令を判断によって出す能力の問題は、頭の処理能力の問題に帰着します。前者は単純に「運動能力を高める」作業なので、ここでは取り上げません。

運動の指令を判断して出す脳の働きは、頭を訓練することによって高められます。もちろん、運動そのものを速くしていく訓練でも鍛えることは可能ですがが、頭を鍛えることを目的とした練習を行うことでその効果はアップします。そのための訓練法は、簡単に言えば脳に負荷をかけて能力を高めていくことに他なりません。

こんなことを言い切ると、「お前は脳の働きを完全に理解しているのか?」というクレームが来そうで怖いですね。もちろん、脳の働きはまだ解明されていない部分も大きく、簡単に言えるものではありません。しかし、これまで積み重ねられてきたトレーニング法(もちろん、ヴァイオリンに限った話ではない)や、頭の働きがわかってきた部分などから類推することは、ある程度可能です。ここでの話も、その範囲でのことであると了解してください。

楽譜の読み方による速さの問題

最後にもう一点付け加えておきます。速く弾くことができない、特に「指が回らなくなる」のではなく「あるところでぴたっと止まってしまう」症状がある場合、楽譜の読み方に問題があることが多いです。楽譜を読む時に弾いている音を見ていると、次の音の処理が間に合いません。常に、少し先を見られるように意識しましょう。

左手を先行させる訓練を徹底することで楽譜の少し先を見ることが可能になる人も少なくありませんが、テンポを上げる時に、いつでも楽譜の先を見る意識を持っていることが大切です。また、一つ先の固まりを一度に読むことができるようになると、処理能力は格段にアップします。ある程度のスキルが身に付いてからの話ですが、1フレーズずつ、「固まりで読む、弾く、固まりで読む、弾く」という練習も、とても効果があります。

スキルを上げることは一回の講座でできるようになる訳ではありませんが、今回はさまざまな問題点への対処法を示して、左手の訓練の考え方を構築する一助になれば、と考えています。

左手の訓練を大きく分類すると、

  • 1)手の運動自体の訓練
  • 2)頭の働きの訓練
  • 3)手と頭のコンビネーション
  • 4)耳との連動
  • 5)右手との連動

の五通りになります。それぞれ、練習方の考え方は異なるのは当然で、この峻別ができていないと的外れな訓練になってしまって効果が上がりません。

例えば、速いパッセージで指の運動が間に合わなくなったとき、どのようなトレーニングをすればよいのでしょう。メトロノームを使って、最初はゆっくり、次第に速くしていく練習をイメージする人が多いと思いますが、この練習だけで速く弾けるようになるのは非常に「幸運な」ケースでだけです。多くの場合、少し速くなったところで進歩が止まります。なぜなら、単に速くしていく過程では、多くの種類の処理を一度に向上させる必要があり、頭に対する負担が大きすぎるからです。こうした場合、二つのことを考える必要があります。一つは、運動を阻害している要因を見つけることで、もう一つは、運動を速くするトレーニングが必要な要素を把握して鍛えることです。もちろん、後者は複数の要因にまたがる可能性が高いですが。これらを分類して、練習法を構築する必要があります。

(1)運動の阻害要因を見つけること

左手に限ったことではありませんが、運動の阻害要因を見つけることは重要です。始めのうちは自分ではできないことなので、レッスンの場で行われることがほとんどですが、自分で判断できるようになると、練習の効率が格段に上がります。

運動の阻害要因を見つけることは、二つの点で非常に難しいといえます。一つは、運動の仕組みを理解しなくてはいけないこと、もう一つは、意識して運動してもその通りの運動になっていなかったり、無意識の運動が加わったりすることが多いからです。

運動の仕組みは、レッスンでほとんど説明されるはずです。それをよく理解して、表面的な運動方法だけで考えないようにしましょう。ここでは、阻害要因を見つける方法の一例だけを挙げておきます。

左手のスピードが上がらない理由を見つけるためには、できるだけ楽な状態で左指を動かしてみて、次第にヴァイオリンを弾く状態に近づけていきます。その時に、運動が遅くなったり、力が必要になったり、体に違和感を覚えたりしたら、その直前から違和感を覚えた形に移行する時に阻害要因が起こったことになります。その間に起きた形や運動の変化を見極めて、何が原因であるかを探ります。この阻害要因が見つからない状態で速く運動する練習を繰り返すと、成果が得られないだけでなく、体を痛めてしまうことすらあります。指を開くことも同じように考えられます。開くことができる状態とできない状態を比較することで、できなくなっている原因を特定することが有効なのです。できない原因があるのに無理に指を開く練習をすると、やはり指を痛める可能性が強いのです。

さらに今回指摘しておきたい問題は、意識と実際に起こる運動とのギャップを知ることの重要性です。

力が入ってしまう、という問題では、皆さんがこのギャップを認識しているはずです。力を入れているつもりがないのに入ってしまうことは、右手・左手を問わず誰にでも経験があることです。無意識に起こってしまうことを頭で理解することは、できている人も多くいます。もちろん、根本的な解決のためには時間が必要ですが、認識しているか、できていないかで、大きな違いが出てしまうことも少なくありません。

「こうしているつもりです」という運動が、意識した通りになっていないことはよく起こります。これも二通りに分けると、結果として違う状態になっていることと、意識した運動ができていないのに、「こうやっている」という感覚が正しい認識を邪魔してしまうことです。この錯覚の代表例は、「指を運動させる」という意識で手首に力が入ってしまう、などの運動させる直前の関節を固めて支点にしてしまう動きです。その他にも、こうした錯覚は多く、運動を阻害する要因となっていることも少なくありません。

(2)手の機能や運動自体の訓練

手を開くこと、伸縮すること、強くすることなどがこれにあてはまります。また、単純に速く動かす訓練も該当しますが、ヴァイオリンを弾きながら次第に速くしていくトレーニングは、頭の働きや頭と手とのコンビネーションである場合も多いです。手の機能を訓練する場合、鍛える場所を間違えると求める結果を得られないことがほとんどで、頭の働きを訓練すべきところで単純な運動を繰り返しても意味がありません。

手の機能や運動自体の訓練は、ヴァイオリンを離れたところでも行えますし、その方が効果的である場合も多いです。関節の柔軟性をつけたり、腱を伸ばしたり、また、単純に力を付けるといった訓練は、専用のトレーニングを行うことが必要になることも多くあります。こうしたトレーニングは、レッスンで必ず指示されているはずです。トレーニングをする時に注意することは、目的を見誤らないことです。また、鍛えるべきことを正確に認識する必要もあります。

例えば、指を開くトレーニングをする時に、指先を広げることばかりしていては、ほとんど効果がありません。左手を開くことは指先を単に開くことではなく、楽器を構えたときに相応しい方向で左手が広がることです。そのためには、指の付け根が開き、指の方向が自由になることが必要で、単純に指先を広げても仕方がありません。手の構造がわかっていれば、指の付け根が開く(手の甲が開くこと)ためには、指の腱結合が緩まなくてはならないことがわかるはず。そうすればトレーニング方法も自ずとわかります。

(3)頭の働きの訓練

前章で述べたとおり、運動機能は頭の働きと密接な関係があります。従って、左手の運動機能を上げるために頭の訓練が必要となることも多いです。

頭の働きを訓練する方法はたくさんありますが、いくつかの例をあげてみます。

  • 1)手を合わせて指を交互に回す運動
  • 2)指遊び、例えば「ウサギのダンス」
  • 3)各種のリズム・トレーニング
  • 4)アウアーやシュラディック、セブシクなどのやや複雑な音形をたくさん処理すること
  • 5)初見の練習など、反応を速くするトレーニング

ここに上げた5つの例は、一見してわかるように、単純なものから次第に複雑な運動になっています。これらは、鍛える目的が少しずつ違っていますが、どれも指を運動させるための頭の働きに必要なものばかりです。このような順で、またそれぞれの項目の中でも次第に難易度の高いものに進んでいくことで、頭の判断力(運動を選択してそれに応じた指令を出すこと)を鍛えることができきます。

これらのトレーニングに内在する最大の問題点は、トレーニングをしている間は成果を感じにくいということでしょう。それぞれのスキルがアップしていく過程では、どの程度頭の働きが強化されたのかを実感することは難しいです。そのために、練習を始めても途中で放棄してしまうことが多くなってしまいます。成果を認識できるとすれば、「あ、指が少し軽くなった」「何となくスムースに弾ける」という漠然としたものがほとんどです。ですが、この漠然とした感覚を持つようになると、新しい課題などを処理する時間が短縮していることに気づくはずです。こうした緩やかな進歩を積み重ねていく必要があるトレーニングもたくさんあることを知っておいてください。

(4)耳との連動

左手の技術のうち、音程の精度を最終的に左右するものは、耳との連動が必要になります。人間の運動は、ごく微小なコントロールをすることが困難で、指の位置や形で音程を完全に覚えることはできないからです。これは、右手にも通じることです。例えば、オーケストラのプレーヤーはチューニングをほぼ平均律に近くする習慣がありますが、その状態で開放弦の重音を弾くとき、無意識に右手のバランスを取って気持ちの良い音程を表現することがあります。こうした判断は、耳の補助なしではできないのです。

左手が音程を覚えるとは、最終的には「ほぼ正確に」無意識に音程が取れるようになることですが、そこに至るまでには、耳を使った微調整を繰り返すことが欠かせません。ここでテーマにしている「耳との連動」とは、一言で言えば自分の出した音程を耳が判断して瞬時に微調整する能力のことです。

この能力をつけるためには、音が合っている状態を判断する時間を短縮する必要があります。この点では、左手のトレーニングというより、むしろ音感トレーニングです。最初は、同音をただちに合わせることができるように訓練します。スケールや簡単なエチュードを、指導者と繰り返し一緒に弾くのは、このためなのです。

最初は、「何となく違っている」という状態からスタートしますが、音程の差異の方向と量(どちらに違っているか、どれほど違っているか)の判断が次第についてくるようになります。と同時に、判断するために必要な時間が短縮されます。この能力の向上は劇的に起こるわけではなく、少しずつの変化です。しかし、少しずつであるために、左手の調整能力の向上とパラレルに起こることが可能になるのです。

同じ音を判断する能力が向上してくると、同時に純正な音を判断する能力も向上します。この進歩の過程で左手の調整力が向上することも、同音の場合と同じです。こうした力がついてくると、音階や旋律での音感の向上に従った左手の進歩も期待できるようになるでしょう。

(5)右手との連動

右手と左手の連動の問題は、二つの方向性で考える必要があります。一つは右手と左手を完全に分離した状態でコントロールできるようにすることで、二つ目は右手と左手を適正な間隔で同時に運動させる能力をつけることです。前者は右手と左手がシンクロしてしまう問題を解決することで、後者は右手と左手を無意識に正しい運動で一致させることです。

「速いパッセージになると右手と左手が一致しません」という悩みを持つ人は多くいます。この人たちは、「右手と左手がシンクロしない」と感じていることがほとんどですが、実は、右手と左手がシンクロしてしまうために結果として得られる音がきちんとしたものにならないケースがほとんどなのです。

私がいつも強調していることですが、「左手を先行させること」は、上記の二つの問題を同時に解決するための入り口になります。右手と左手が同時に運動を開始すると、必然的に左手が遅れてしまいます。左手は右手より一瞬早く動き始めることが必要なのです。すなわち、右手と左手が運動の始点においてシンクロしてはだめで(右手と左手の分離)、求める音が正しい間隔で演奏できるようにコントロールされなくてはいけません(右手と左手の正しい一致)。

左手先行に関して、「左手が指板を押さえる瞬間と右手の始動が一致することを意識して練習すべき」という、有力な異論がありますが、結果として疑わしいと思います。左手が指板に到達する瞬間に右手の始動を合わせるためには、左手が運動を開始してから指板に到達するまでのタイミングを計って、それに見合う右手の始動が必要になります。こうしたイメージを持つと、右手の運動がある種の準備(予想)を伴うことになりますが、これはよくないです。左手の運動の速度は一定ではありえず、また、弦やポジションに大きく左右されるからです。この問題を回避しようとすると、左手が指板に到達する瞬間を感じて右手の運動を作ることになりますが、これは(左手の難易度が上がれば特に)右手の遅れの原因になります。この論者の大きな論拠は、「右手と左手をバラバラに運動させるより、ある基準があってそれに合わせるほうが現実的である」というところにあります。しかし、(アンサンブルなどでも同じことが言えるが)結果を合わせるためには準備が必要で、その準備とはこうした場合「遅れ」や「安定感の欠如」につながることがほとんどなのです。

右手と左手のシンクロを取り去るための練習は、運動の分離と頭の指令の分離という二つの側面を満たすものでなくてはいけません。前者は、体のセンターラインの脱力からスタートします(寄りかかりトレーニングなど)。後者は、左手を先行させた練習が入り口です。

左手の先行を練習する場合の注意点を述べておきます(これは、リズム・トレーニングの一番最初(単純なリズム分割)にも共通する留意点である)。

左手を先行させるとき、右手と一定のリズムを取っては効果がありません。左手、右手、左手、右手という運動を「左手、右手」のペアにしないようにしましょう。このような練習をしても、左手と右手の意識の分離にはなりません。単に「より細かい運動を左手と右手に振り分ける」練習にしかならないからです。

ピアノで、こうした間違いをしてしまう人も多いようです。例えば、ドビュッシーのアラベスク第一番にある「右手は2連符、左手は3連符」という形を練習するために、件の楽譜を6連符に捉えて、「左手は1,4、右手は1,3,5で弾く」という訓練をしてしまうことが代表例です。このような練習方法をとると、「左手が2連符、右手が三連符」という練習をしているのではなく、「6連符を右手と左手で分けて弾く」という訓練になってしまいます。これでは、右手と左手の運動を分離して別のリズムを作り出すことはできません。

右手と左手の分離が進んだら、次に右手と左手を適正な形で一致させるトレーニングを行いましょう。これは、スラーの分割や付点つきの音符、シンコペーションなどの特殊なリズム形態の練習をすることが効果的です。

(6)適切なトレーニングを見つけること

これまで取り上げてきた課題は、左手のトレーニングの基礎的なごく一部に過ぎませんが、トレーニング方法を見つけるための発想法は、難易度が上がっても同じです。繰り返しになるので簡単にすませますが、目的をしっかりと認識し、そのためのルートを探り、自分の状況を認識し、トレーニングの効果と副作用を理解して、それぞれのトレーニング方法を考えることが大切なのです。

◎ まとめの問 左手編 ◎

以下の事例は、私のカルテから引用した左手の問題例集です。これらがどの分類に当たるか(阻害要因があるものは、その点でも分類すること)分類して考えてみましょう(ただし、難問が多い)。全部答えられることが目標ではありません。考えることが目的であるので、できないからといって落ち込まなくて大丈夫。

1)「どどかない」と「運動が分離しない」は別もの。セブシクで1、2を固定したとき、届かない人は固定しても届かないが、運動が分離しないだけの人は固定すれば届く。これは対処法が違う。どのように違うのか。

 

 

2)指はたたいてから押さない。たたく、ぎゅ、という二つの運動にならないこと。指が指板に着いてからさらに力を加えると離すときに時間がかかる。トリルで顕著。この癖を取るにはどうしたらよいか。

 

 

3) 同じ指のスライドで他の指の助けを借りている。弊害は何か?

 

 

4) ハイポジションで運動能力がてきめんに落ちる場合、想定される問題点は何か。

 

 

5) 2の指のスライド・・指の付け根を固定したまま手首を振って動いていると、動きの大きさの制御がしにくくなる。何故か。

 

 

6)親指と小指の付け根に力を入れて寄せると前腕の付け根が膨れるように力が入る。この状態だと特に1,4の指の運動性能が落ちる。何故か。

 

 

7)指の運動は二箇所を支点にしたくない。2の指のトリルで小指が異様に疲れるケースがあるが、その理由と対処法を考えよ。

 

 

8)「指の筋肉を鍛えなさい」という先生がまだ存在する。何を誤解しているのか?

 

 

9)ヴィブラートで親指が全く動かない状態は望ましくない。何故か?

 

 

10)指をしっかり押さえるのは、力ではなくスピード。意図するものは何か?

 

 

11)手首のヴィブラート・・1の指が機関車にならないこと。1の指で牽引すると、他の指が寄って力が入ってくる。解決策を考えよ。

 

 

12)ヴィブラートの練習をすると親指が深くなっていく傾向がある場合がある。この場合、発生すると考えられる問題点は何か?

総論部分や各論(速度を上げること、左手の練習法など)で取り上げた基本的な発想は、右手の練習法にも全く当てはまります。ここでは、右手の練習に特有なポイントに絞って、練習法の構築術を考えてみましょう。

(1)基本的な留意点

右手の練習をするときに最も大切なことは、楽器が鳴っている状態が基本にあることです。どのような奏法を練習するときでも、楽器が鳴っていることを意識しなくてはいけません。ppで演奏するときであっても、楽器が鳴っている状態と鳴っていない状態では、比較にならない差がついてしまいます。

この差を実感することは大変難しいのですが、多くのアマチュア、特にオーケストラでばかり弾いている人たちには、大きな誤解があります。普段から「自分に聞こえないくらいの音で弾け」と指示されていると、音の大きさと楽器の鳴り方の関係性がわからなくなることが大きな原因ではないかと思います。「小さな音」とは「聞こえない音」ではなく、「小さいが、よく通る音」なのです。広い場所で試してみると一目瞭然ですが、そうしたチャンスがないことが多く、判断が難しいのです。

第二点目は、運動を大きく捉えることです。腕から弓まで全体をできるだけ大きく捉える意識を持つことが重要なのです。長いものは短いものより、1)先端が速く運動できる、2)柔軟性が大きい、3)ボウイングにおいては、結果として小さな運動を作りやすい、という利点があります。

第三点については、疑問を感じる人もいるでしょう。これを理解していただくためには、二つの要素を知る必要があります。一つは小さなところで運動を作ることが難しいということ、二つ目は腕全体を使うということはたくさんの関節を利用できるということです。

一つ目は理解しやすいと思います。狭い檻の中でスペースを十分に使って運動することは難しいですが、広い平面の上で檻と同じ広さ全部を使って動き回ることは易しいですよね。これは、人間が自然に身に付けている意識の問題に帰結します。それに加えてボウイングの場合には、実際の運動のし易さも異なります。弓元で細かく速い運動を作るときに、腕を体に密着させるより空間を広く取った方がやりやすいことは、すぐに実感できると思います。

この問題は、左手にも当てはまります。左手全体では、左手を長く使うと指の運動が楽になることで実感できます。小さな部分では、人差し指を指板に近づけていると1の指の運動やヴィブラートが難しいことでわかると思います。

二つ目は、指導書でも誤解されていることが多いです。基本的な速い運弓動作や移弦で、「細かく速いものは手首からさきだけを使う」と書かれているものがありますが、これは誤りです。正しくは、「運動が細かく速くなると、運動の割合が小さな関節に寄っていく」ということです(もちろん、ごく微細な運動で大きな関節が必要ない場合は、小さな関節だけを用いることがあることは言うまでもない)。小さな関節だけの運動は、単に小さい運動を作ることには長けていますが、コントロールが非常に難しいのです。

(2)基本的なボウイングを練習する意味

楽器を持ったばかりの頃は基本的なボウイング練習に時間をたくさん割く人が多いですが、さまざまな奏法が登場して左手の難易度が上がってくると、ボウイングの練習がおろそかになりがちです。「応用の利かないボウイングだけの練習はあまり意味がない」という指導者も少なくありませんが、はたして、一定程度の進度に達した人たちにとって、基本的なボウイングの練習に意味があるのでしょうか。結論から言うと「イエス」ですが、ただ単に同じ練習を繰り返すことに意味がある、と言っているのではありません。ボウイングの練習は、進度に応じて変化していくべきです。適正な進化をとげることで、ボウイングの練習がその時の状況に応じて有効なものとなるのです。

初期のボウイング練習は、主に適正な力を使いながらボウイングの形を作ることを目的とします。レッスンでさまざまなことを指摘されるはずですが、その全てがボウイングの本質にかかわる発想を理解していただくためのものです。時には、将来どのようなテクニックが必要となるか、どのような運動がこなせなければならないか、などの話も出てくるでしょう。それをできる限り正確に理解し、将来につながるボウイングの基礎を作ります。

私は、往復運動であるロングトーンの他に、ダウンとアップの運動を別々にしたボウイングトレーニングも要求しています。それぞれの目的はレッスンで順に説明していますが、いずれもしっかりと意味を理解して練習してください。

ある程度安定してくると、ボウイングの練習の意味が少し変化します。各種の奏法のトレーニングが始まる時期のボウイングの練習で一番大切なことは、新しい奏法を導入したときに基本のボウイングが崩れていないか、というチェック時にすることです。各種の奏法の練習は、基本のボウイングにさまざまな運動を付加するものですが、新しい体の使い方を導入すると、どうしても余分な運動などを覚えてしまいがちになります。その点で、新しい奏法での体の使い方と基本のボウイングとをよく比較して、自分がどのようにボウイングを進化させていくかを確認しなければいけません。

さらに、この時期にはトーン・コントロールのトレーニングがスタートします。トーン・コントロールには、弓の速度や重さの変化、弾く場所や毛の量など、右手のさまざまな変化を覚える必要があります。これらが基本のボウイングとどのようにつながっているのかを理解するためにも、ボウイングの練習は欠かせません。

また、ボウイングが安定してくると、最初にボウイングの基礎練習をすることで、その日の体調や楽器の状態を測ることができるようになってきます。これはとてもに大切なことで、できるだけ早くボウイングを自分の状態を知る武器にできるようになりたいものです。特に、オーケストラの練習後などは自分の状態が荒れてしまうことが多く、そうした状態からできるだけ早く抜け出すためにも、ボウイングの練習で確認できるようにしなければなりません。

(3)高度成長期と安定成長期

この問題も左手にも起こることですが、右手に顕著なのでここで取り上げます。

ボウイングの練習や奏法の練習は、最初はレッスンのたびごとにたくさんの指摘を受けるはずです。自分の練習で間違っていたことや身に付いていないことを指摘されて、それを正していくことが毎回のように起きます。この時期には、進度のでこぼこはあっても、短時間に一定以上の進歩を遂げる人がほとんどです。

ところが、ある程度の時間が経ちボウイングが安定してくると、見た目にも音にもあまり劇的な変化が起きなくなります。こうしたときに、ボウイングの練習の意味を見失ってしまう人も少なくありません。私はこの状態を「安定期」とか「踊り場」と表現しています。

デタシェの練習を例にとってみましょう。最初は求める音を説明され、運動がどのようなものであるかの説明を受けたはずです。レッスンとレッスンの間は、説明されたことを自分ひとりでできるようになるための練習が中心になります。カイザーの1巻(場合によってはウォールファート)でデタシェの練習をしている間が、多くの人にとってこの時期に当たります。1番で基本を理解し、3番で弓の配分が異なるときの運動を覚え、7番で移弦が繰り返される形をマスターする、という順です。

基本的にはこの3つが終了するとデタシェの初期段階は終了ですが、ほとんどの人はこの段階ではまだデタシェを続ける体力(物理的な体力だけでなく頭の体力も)付き切ってはいません。この後、デタシェの練習はカイザーの13番やローデ(op.37)の2番に進みますが、ここではデタシェとスラーとの混合練習を行います。ポジションチェンジも同時に行えるようにしていきます。この過程では、1巻できちんとデタシェをマスターした人にとっては、デタシェ自体はあまり進化しません。しかし、練習を繰り返している間に、デタシェに必要な体や頭の錬度が上がってきます。

このように、一定以上の状態になると、表面的には進度がとまってしまったように思うことがあります。しかし、正しく練習をしている間は、進度が止まっているのではなく、それまでに覚えたことを定着させて次へ進むための「充電期間」であると考えてください。また、こうした「踊り場」がない状態で促成栽培してしまうと、後で苦労することになることも間違いないのです。

◎ まとめの問 右手編 ◎

 

1)細かい移弦運動で肩と手が運動して肘が反対に上下運動する(無駄になる)運動になってしまうことがある。どのような状況か考えよ。また考えられる解決策は何か?

 

 

2)子音の濁点は、重みよりもスタート時のためらい(一瞬の遅れ、二度弾き)に原因がある。どのようなシステムだと考えられるか?

 

 

3)スタカートで弓幅を広くすると弓が跳ねやすくなるのはなぜか。

 

 

4)ショートで弓が持てていないと決して飛ばない。何故か?

 

 

5)デタシェで上腕の筋肉を締め付けて止めるとダメ。意識は上腕と肘ではなく手と肩の両側にある。何故か?

 

 

6)コーレとロングはリフトのシステムが違う。説明せよ。

 

 

7)スタカートで子音をつけるために指に力を加えてしまってはだめ。何が起こるか?

 

 

8)移弦距離を大きくするとハッキリした音で移弦をしやすいが、移弦時の音をハッキリさせることの問題の本質は移弦距離ではない。では何か?

 

 

9)弓の震えの原因追求に、部分的にハンカチを当てる方法がある。どのような原因が考えられるか?

 

 

10)胸をそる意識、肩自体を伸ばす意識だと、ピコピコ筋を過剰に使ってしまう危険性が強い。ピコピコ筋が強烈に引っ張られると、上腕の筋肉が引っ張られて指も引っ張られる。指が揃ったりクッションが使えなくなる症状になって表れる。解決策を考えよ。

 

 

11)腱の両側を使うタイプ(デタシェなど)は、弓を後ろに引っ張ることになりがちである。何故だと考えられるか?

 

 

12)タンタタン症候群の原因はいくつかある。考えてみよ。

 

 

13)指を揃えて持つと、広げて持つより負荷が増える。何故か。

 

 

14)速く細かく動いたときの立ち上がりを単音で練習するときは、開放弦や共鳴する音はダメ。何故か。

 

 

15)E線のアップで胸部を吊り上げてしまうとダメ。何故か。

あちこちで、コルグのOT-12のことを書いている身としては(苦笑)、チューナーの使い方についてもきちんと述べておく必要があるでしょう。そもそもOT-12のことを取り上げたのは、現在、普通に買えるチューナーで平均律以外の測定ができるものがこれしかなかったからです。チューナーはきちんと使えば、音程を修正することができる「可能性が高い」機器ですが、使い方を間違えると全く意味をなしません。そのあたりのことを理解していただくために、チューナーの効果的な使い方を知っていただきたいと思います。

(※現在、OT-12は販売してません、後継機のOT-120が機能そのままの形違いとして出ています。)

小さい頃からメトロノームを使った練習をたくさんしてきたのにテンポ感がない人は少なくありません。ピアノを使って音程を合わせる訓練をたくさんしてきたのに(平均律である、ということは不問にしても)音程で苦労する人は多いのです。そのことが何を物語っているのかを理解していただければと思います。

1)基準になる機器を使うことの意味

以前、メトロノームの使い方を書いたのですが、そもそも人工的な、物理的に正しい基準を練習に使うことの意味を考えてみます。基準となる機器を使った練習がもたらす状態は、以下のように分類できるでしょう。このことを知らないと、器具を使った練習を誤ったものにしてしまう危険性が強いのです。

  • ・基準を耳(場合によっては目)で捉えて、それを基準にして自分の運動を作ろうとする
  • ・基準と自分の運動や運動の結果(音など)を比較する
  • ・基準を自分が持っている基準と比較する
  • ・基準を自分の頭の中に取り込んで自分自身の基準にしようとする

それぞれの状態がもたらす結果は全く異なります。メトロノームやチューナーを使っているのに目的としたことに効果が現れない、というケースでは、この状態を誤解していたり、これらの状態の差がわからないために「どのような結果を得られるか」ということを勘違いしていることがほとんどです。

上記の・~・までの状態が生む効果を考えてみると、それぞれ、

  • ・運動(やその結果)自体のスキルを上げること、運動(やその結果)の質を揃えることには役に立つが、運動を安定させたり運動(やその結果)自体の基準を作ることには全く意味が無い
  • ・自分の運動やその結果がどのように不安定かを測ることが出来る。運動や結果に対して持っている誤解を修正するためのきっかけを作ることができるが、そのこと自体で基準を作ることはできない
  • ・自分の基準を比較することで、持っている基準を修正することができる可能性がある
  • ・基準だけを取り込むことはできないが、取り込んだ基準の上に、自分の運動や運動のもたらす結果を積み上げることが出来ると、結果として基準に近いものを取り込める可能性がある

えっ、と思われる方がいるかもしれません。しかし、こうした人工的な物理的基準を使ったからといってただちに正しい運動や結果を得ることができるとは限らない、むしろ可能性は少ない、ということを知っていただきたいと思います。そのことを検証し、出来る限り効果的なこうした機器の使い方を考えてみます。

2)「基準を耳(場合によっては目)で捉えて、それを基準にして自分の運動を作ろうとする」こと

多くの場合、チューナーやメトロノームを使った練習は、結果としてこの状態を作ります。例えば、以下のような方法でメトロノームやチューナーを用いた練習をした場合です。

事例1:テンポやリズムが安定しないために、メトロノームをかけてそれに合わせて練習すること。目的は、テンポやリズムを安定させること。

事例2:音程がはっきりわからないために、チューナーを目で見て確認しながら音程を合わせて練習すること。目的は、音程をはっきりと認識して正しい音程で弾くこと

こういった方法は、練習の目的を達するためには全く役に立たない、むしろ練習することで目的の運動(結果)を得るために必要な感覚を磨くために害になる可能性すらあることを、まず理解してほしいと思います。

事例1の場合、メトロノームが刻んでいるテンポに自分の運動を合わせます。その時に頭の中で起きていることは、メトロノームの音に合わせようとする反応です。この反応は、能動的に基準を作る作用とは全く異なります。つまり、いくら繰り返しても、体の中に速さの基準を作ったり、体が感じている速さを安定させる効果は期待できないのです。アマチュアでオーケストラを経験している方なら経験があるでしょうが、オーケストラが走ったり遅れたりするところで、指揮者が手をたたいて合わせた後、手をたたくことをやめるとまた合わなくなってしまうのも、これと同じ理屈です。物理的な基準に合わせようとすると、頭は能動的にテンポを意識しなくなります。これは、テンポを安定させる作業としてはむしろ害になるのです。

仮に、メトロノームでの練習で安定した速さを体で作り出すことができるとすると、メトロノームで練習をしたら、その後は何をやってもテンポが安定することになるはずです。これは音感の問題、すなわち、チューナーを使うことでも同じような結果が起こります。

(注)頭で音を鳴らすことができるようになる過程でも、実は同じことが起こります。ただ音源をたくさん聴いても、頭で音を鳴らせるようになるには非常に長い時間がかかるか、できません。音を聴いているときに、頭の中で同時に歌ったり、体を動かしたりという能動的な動きを加えなければならないのです。この点については、音感のところで詳しく述べる予定です。

メトロノームを使った練習をしてテンポが安定したように感じるのは、メトロノームを使った練習がスキルをアップさせたからです。特に、運動が困難なところを強制的にそのテンポで弾く練習をさせられるわけですから、そういった意味では効果があるのです。「運動(やその結果)自体のスキルを上げること、運動(やその結果)の質を揃えることには役に立つが、運動を安定させたり運動(やその結果)自体の基準を作ることには全く意味が無い」と書いたのは、こうした意味です。

チューナーを使うことについても検証してみましょう。チューナーを使って音程を確認して練習しても音を覚えることができないことは、みなさん十分感じていらっしゃるはずです。仮に、チューナーで音程を覚えられるのならば、チューナーを使って練習をした後は、使わずにわかるようになるはずですね。

音程を合わせるためにチューナーを使うことは、その時点での音程をある物理的なピッチに合わせること以上の意味はありません。つまり、スケールを練習するために、チューナーを見ながら一音一音合わせて練習しても、耳を鍛えるという点については全く効果がないのです。ある時点での音程をチューナーで合わせること自体に意味があるのは、

・複数の音を同時に鳴らしたときにどのように聞こえるかを知るために正しい音程を取ってみること、ないし、正しい音がどのように鳴るのか・聞こえるのかを知るためにその音を取ってみること

・合っていない音が実際にどのくらいずれているかを体感すること

に限られると考えていいでしょう。つまり、音を合わせること自体から生じる結果が利用できる場合に限られるのです。

(注)言葉の使い方には十分に注意しているつもりですが、誤解のないようにしてください。例えば「チューナーで音を合わせる」と「チューナーで確認する」は、意味が違います。前者は、チューナーの針などを見ながら正しい音程を取ってみることで、後者は自分が取った音が合っているかどうか(どちらにずれているか)をチューナーで確認することです。

3)「基準と自分の運動や運動の結果(音など)を比較する」こと

メトロノームを使う場合、メトロノームの打つ拍に合わせようとするのではなく、拍を意識せずに弾くこともできます。例えば、最初に弾かずに拍を頭で意識し、弾き始めたらメトロノームを意識から外します。こうした練習をしている方も多いでしょう。こうした練習は、自分の運動がどの程度不安定かを知ることができます。しかし、これだけではテンポを安定させることはできません。最初のテンポをメトロノームからもらっただけです(ただし、この練習は、前項の練習よりテンポを安定させる効果はやや強いはずです。メトロノームの打つ拍に合わせようとしないので、頭がテンポを意識することができるからです。しかし、これでもメトロノームを使ったからテンポが安定する、という性格のものではありません)。

音程についても同様です。弾いた後、チューナーを見る作業を繰り返すと、自分の音程がどの程度、どの方向に違っているかということを認識することはできます。このことで、音程を正しい方向に修正しようとする力を付けることは可能です。しかし、音程間隔自体を身に付けることができるわけではありません

4)「基準を自分が持っている基準と比較する」こと

メトロノームを鳴らしながら同時に自分で拍を打つこともできます。この練習は、メトロノームという基準を聴きながら能動的な運動をするという意味があります。単に基準に合わせるのではなく、能動的な運動を伴うことによって、自分の運動を修正できる可能性は高くなります。この運動は、指導者の運動を真似して体を動かすことを覚えようとする作業と同じ効果があります。

この作業がある種の運動を覚えることができることは、音楽に限らず理解できるでしょう。スポーツの世界を想像してみるとわかりやすいかもしれません。しかし、この作業には非常に時間がかかることも容易にわかるはずです。運動を覚えるためには、長い時間のトレーニングが必要だからです。「自分の基準を比較することで、持っている基準を修正することができる可能性がある」と書いたことを理解していただけるでしょう。

チューナーを使った音程のトレーニングの場合、この作業を行うことは困難です。

5)「基準を自分の頭の中に取り込んで自分自身の基準にしようとする」こと

これは、前項と非常に近い練習です。メトロノームを使った単純な練習を例に取ると、メトロノームをかけた状態と自分だけで拍を取る練習を交互に行うことなどが、これに当たるでしょう。この作業は単純であればあるほど効果があります。音程のトレーニングの場合、正しい音程を聞いて真似をする作業がこれにあたります。このトレーニング自体で必ず基準を取り込む・作ることができるとは言えませんが、受動的なトレーニングに比べて効果が期待できることは確かです。「基準だけを取り込むことはできないが、取り込んだ基準の上に、自分の運動や運動のもたらす結果を積み上げることが出来ると、結果として基準に近いものを取り込める可能性がある」と書いた意味を理解していただけると思います。

6)音程を覚える、矯正するために必要なこと、チューナーの使い方

絶対的な周波数を覚えることが非常に困難であることは、すでにあちこちで述べました。音程を良くするために必要なことは、協和する音程間隔を判断できるようにすることと、心地よい進行(セント値で表せば、204と90)を覚えることであり、それしかできないことも述べてきました。では、音程の矯正をするためにチューナーを使うことに意味がある、ないし、効果的なチューナーの使い方とは、どのようなものでしょうか。

効果的なチューナーの使い方を知るためには、既述のようにチューナーを使うと何が起こるのかを理解することと、人間が音程間隔を判断する、ないしその基準を作ることがどのような順序で行われるのか、ということを理解する必要があります。後者については、稿を改めて詳述しますが、強調しておきたいことは、人間の自然な感覚を利用しないで音程を覚えることはできないということです。

スケールの音程矯正をするとき、私は練習を重ねていけば自然に音程が良くなっていく範囲に到達してもらうことを重視しています。ある程度の範囲内にスケールが収まると、練習しているうちに自然に心地よい方向に向かうようになるからです(注)。この範囲を外れていると、どんなに練習しても音程が良くなる可能性は非常に少ないのです。この範囲を外れている場合、チューナーを使った練習が効果を発揮します。つまり、チューナーを使った練習は、音程間隔を覚えるためのものではなく、音程が良くなる範囲まで自分の音程を矯正するためのものなのです。

(注)レッスンやアンサンブルのトレーニングでは、私はこの基準を「40点」と示しています。経験的にいえることは、このラインを超えると、音程はかなりの確度で向上します。この範囲は、平均律よりは厳しいものになります。平均律に近い基準を与えても、音程の向上がみられることは非常に稀です。ちなみに、レイトスターターが主要な調でこの範囲のスケールを弾けるようになるのにかかる時間は、個人差が非常に大きいのですが、経験的には、3ヶ月から3年の範囲です。

具体的には、まず、調弦を厳密に五度に合わせるためにチューナーを用います。もちろん、これは平均律の五度では意味がありません。2セントの違い(平均律の700セントか、純正の702セントか)が問題なのではなく、楽器の響きを利用することができない、特に、GとEが旋律音程から大きく乖離してしまうことが問題なのです。

ト長調のスケールの練習をする場合、厳密に五度があっている楽器だと、各弦との共鳴を利用した音程矯正ができることは理解していただいていると思いますが、仮に平均律に合わせた楽器だとどうなるか考えてみましょう。開放弦のG音の次のAは、五度が厳密にあっている楽器だとGA間を204セントに取ることができますが、平均律に合った状態だと200セントのAで楽器が共鳴してしまいます。この4セントの差は致命的といっても言い過ぎではありません。同様に、D線のGと開放弦のA音も、楽器が教えてくれる音程は200セントになってしまいます。もちろん、200セントと204セントの差自体も問題ですが、こうして積み上げた音程は半音が致命的に広くなってしまうのです。レイトスターターの音程を見ていると、1の指の高い位置(開放弦から204セントの位置)は低すぎ、低い位置(開放弦から90セントの位置)は高すぎることがほとんどです。こうした結果を招いてしまうのは、正しい音程の方向に向かおうとする意識を使うことができないからです。

均率の呪縛から離れるためのトレーニングに、OT12は役立ちます。例えば、G線上でGAHと連続してチェックしながら音程を取り、そのあと繰り返しその三音を弾いてみます。この程度のことであれば、比較的初期の段階でできるはずです。これによってもたらされる音程は、平均律とは全く異なるものであることにすぐに気がつくようになります。この連続が理解できると、音程を自分で矯正していくための大きな武器になるのです