楽器を持つ前に、もう一つだけ加えさせてください。それは、ヴァイオリンという楽器の音程の不思議さと、音楽を奏でる上で如何に音程が重要か、ということです。
音程、これは、とても難しいものです。特に楽器を持ったばかりの人にとっては、「大体このあたり」に指を持っていくことでも大変ですね。初めのうちは、何回弾いても同じところに指が行かずに苦労します。それなのに、楽器を持つ前から音程の話なんて・・・恐らく、多くのヴァイオリンの先生が顔をしかめることでしょう。しかし私は、楽器を始める前だからこそ、知っておいて欲しいと考えています。自分の練習を、ヴァイオリンとして美しい音程を再現できるようにするために。特に、日本では音程教育が「なっていない」と思っています。音程教育とは、すなわちどれだけ正しく「耳」を使えるか、ということに他なりません。テクニック重視、曲数をこなすことを優先して、肝心の耳ができていない音楽家(プロ・アマ問わず)を大量生産しているのが、残念ながら現在の音楽教育の実態です。(耳の訓練といえば「平均律の音程を覚えさせること」という勘違いをしている先生も相変わらず多いです。そろそろ気がついて欲しいのですが・・・)
◎ 音程は表現する力であり、根本である ◎
まず、音程がいかに重要なものであるか、ということについて考えてみます。これは同時に、世間一般 で言われている・教えられている音程の考え方へのアンチテーゼでもあります。
1)音程は表現する力である
「表現力」という言葉があります。アマオケで練習していても、指揮者・トレーナーがこれと同じ意味の言葉をしばしば使います。いわく、「表現を大きく」とか「もっと旋律をはっきりと」などなど。さらにこんなことを言う場合もあります。「音程のことは多少目をつぶりますから、そこの旋律はもっと引き立つように大きく弾いてください。」 ちょっと待ってください、と僕なら練習を止めてしまいます。「まず音程を合わさせてください。それでも旋律が聞こえなかったら、大きく弾きましょう。」
「音程を合わせる」ということには、二つの意味があります。一つは「全員の音程を揃える」、もう一つは「正しい音程で弾く」ということです。
みんなの音程が合っていないということは、いわば「みんなで音を殺し合っている」状態です。ご存知のように音は波ですから、てんで勝手なばらばらな波が発生していては、相殺してきちんとした音が聞こえるはずがありません。そんな状態で音を大きくしても、雑音が増えるばかりで聞かされるお客さんはたまったものではありません。
もう一つ。実はこちらのほうが僕の主張の中心なのですが、正しい音程で弾く、ということを意識している人は、特にアマチュアプレーヤーの中にはほとんどいないといっても言いすぎではないかもしれません。仕方ありませんよね、アマチュアを教えるプロが、きちんとしたことをしていない・教えないのですから。(僕が学生になるまでついていた某有名私立音大の先生も、ほぼ6年間のレッスンで音程の本質を口にしたことはありませんでした。先生を変わって音程を指摘されるまで、僕もとんでもない音程でスケールを弾いていました。)
アマオケの指揮者・トレーナーの場合、和音を合わせることをする方は多いようです。旋律より気持ちの悪さがすぐわかるので、なんとかしなくてはならない度合いが高いからだと思われます。しかし、旋律線の音程のことをきちんとおっしゃる指揮者・トレーナーには、ほとんど出会ったことがありません。(わずか二人・・・おおまけにまけても三人だけです。出会った指揮者・トレーナーの数は、正確にはわかりませんが、100人より多いことだけは確かです。)
先程の例ですが、実は「正しく旋律音程でとれば、自然と旋律が浮き上がる」というのが正解である場合がとても多いのです。強弱で処理する必要などないのですね。音程にそんな力があるということを知らない人が多すぎると思います。「音程は表現する力」です。
2)フレーズのつながりも音程次第
音にはそれぞれの個性があり、役割があります。一番わかりやすいのが、「導音」でしょう。
(まだ知らない人のために:「導音」とは、音階の第七音のことです。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの「シ」のことです。これは「固定ド」ではなく「音階」の中でのことですから、何の調でも同じ音というわけではありません。ハ長調なら実音のH、ト長調なら実音のFis(F#)になります。)
導音は、「半音先の主音に行きたいよぉ、そこまで行って落ち着きたいよぉ」という性質を持っています。そこで「導く音」という名前がついているわけですね。この音は、旋律の中で「次の主音(ド)にとても近い音高の時」その性質がはっきりでます。ところが、この音を低めにしてしまうと十分にその個性が発揮されません。すると旋律の進行がぎこちなくなってしまいます。ぎこちなさをさけるために不必要なリタルランドをしたりクレッシェンドをしたり・・・結果 としてできる音楽は、とても「いびつな」ものなってしまうのです。音程をきちんととらないと、こういうことはいつでも起こりうるのです。
和声の進行で、フレーズのつながりがはっきりすることもあります。この時も、和声を作る和音の音程が正しくないと、フレーズがどこでどうなっているのかわからなくなってしまうことは、旋律の場合と同じです。
3)過剰な味付けは感覚を麻痺させる
ふぐの刺身にワサビじょうゆをどばどばとかけて真っ黒にして食べる人、いるでしょうか。いくらマヨネーズが好きだからといって、野菜が見えなくなるほどマヨネーズをかけて食べる人はいないでしょう。
述べてきたように、音程というのは音楽の進行に深く関わっています。と同時に、音程は表現の大きさにも直接関係があります。音程をきちんとすれば発揮される「メリハリ」が、曖昧な音程ではでてこないからです。その音程で表現をつけようとすると、過剰な強弱の変化など音楽的に不自然な変化にたよらなくてはならなくなるのです。必要もないのにfを三つも四つもつけたような演奏をするのは、まるで真っ黒になったふぐの刺身を食べるようなものです。
音程・・・それは、一番基礎的な表現力なのです。
◎ 音程感を身につけるために ◎
以上のように書くと「わぁ、難しそう・・・自分にはできない」と思われるかもしれません。しかしそんなことは決してないのです。「やっぱり、音程は適当でいい普通の先生がいいわ」と思った方、もう少し先まで目を通してください。
「音感について」でも簡単に述べましたが、多くの先生は、「音高を覚える」ことには大変執着します。ヴァイオリンを始めて間もない人に対しても、「そこ、さっきと同じ音程で弾いて」などと要求することは普通 です。これは、日本の音楽教育が「音高記憶教育」に偏ってきた弊害でもあります。
同じことは、一般の受験産業にも言えることでした。(過去形にしたのは、受験産業の方が音楽教育よりははるかに「当たり前のことを考えている」人が多いからです。)英単語を覚えるために分厚い単語の本を持ち歩いた経験は、多くの人が持っていると思います。多くのヴァイオリンの先生は、無意識にこんなことを要求しているのです。平均律で音程を取ってそれを記憶しろ、というのは、全く孤立した周波数を覚えなくてはならないわけで、その難しさは想像を絶するものがあります。(はっきりいって、絶対音感があるとまわりから誤解される私でも、全くできないことです。)そして、こんなものを覚えても何の役にも立ちません。基準のA音が違うオケ・アンサンブルに行けば、覚えた音全部が邪魔な音になります。
「だいたいそのくらい、というのを覚えるんだからそれでいいの」という先生もいらっしゃいました。しかしこれも、人間の記憶のシステムを理解してないとしか思えない発想です。例えば、442Hzの音を記憶する替わりに439~445Hzの音を記憶する、ということであれば、かなり記憶する事を楽にする手段はあります。ただし、これでは使い物はならないのです。「441.2~442.6」なんていう幅であれば、すでに「だいたい」ではないのです。ヴァイオリンのレッスンで要求しなくてはならない「だいたい」は、実はこのようは幅の中に入っているのです。それを要求して置いて、「大体だから覚えすいはず」と思い込んでいると、「この生徒は音感(もちろん、単なる音高の記憶力)ないわねぇ」ということになって、お終いです。
そんな音程記憶訓練より、純正な和音の響きをまず覚えるべきです。オクターブ、五度、四度、六度、三度、という具合に次第に「難しい」感覚の2音に進んでいくわけですが、この「純正な響き」を覚える作業は、「平均律の音高を記憶する」作業に比べれば、「白ワインか赤ワインかを当てる」ことと、「ワインの産地と生産年を当てる」ことくらい、難易度が違うのです。そして素晴らしいことは、この純正な和音を聞き分けることができると、スケールで使われるピタゴラスの音律が楽器の上で再現できるということなのです。つまり、「純正な音を判断する能力をつけることは、旋律の音程感覚を身につけることの準備になる」のです。これがヴァイオリンの素晴らしさであり、不思議さでもあるのです。
はっきり言えば、初めからやるのであればきちんとした音律で音を覚えた方が楽だ、ということなのです。ただし、教える方はとても大変です。自分が耳をきちんと持っているだけではなく、生徒に対して「耳に心地よい音程」をたくさん聞かせなくてはなりませんから。
実は、こういった経験を積めたのは、自分が「プロではない」ことが役に立ちました。生徒さんがある種の「音楽仲間」のような人たちだった頃、いろいろと「試して」みることができたことが、音感のいろいろな個人差を認識するチャンスになったのです。「ドレ会」でのみなさんの変化を見られたことも、とても大きい経験でした。平均して何ヶ月ぐらいで調弦ができるようになるか、とか、いろいろな「個人差」も体験することができました。
◎ ヴァイオリンの音程の秘密とその利用法 ◎
(純正律、平均律、ピタゴラス音律の原則についてご存じない方は、「アンサンブルのLesson 1-2純正調と平均律の基礎知識」と「平均律の話」を別ウィンドウに開けておきながらお読み下さい。)
五度調弦の楽器は、とても不思議な性格をもっています。それが、純正な和音とピタゴラスの共存なのです。完全に純正に調弦された楽器で、GDurのスケールを練習します。五度調弦では、隣り合った五度は完全に純正ですが、隣り合っていない弦は純正ではありません。ところが、旋律で利用できる音になっているのです。
最初はG線の開放弦、次はA音です。ピタゴラスの旋律音程のなかでこの音は、開放弦のA音と同じ(オクターブ下ですが)です。ですから、純正なオクターブを聞き分ける耳を訓練しておけば、開放弦のG音を主音に取ったGDurのピタゴラス的第2音のAは、開放弦と合わせることによって取れます。次のH音も実際にはない開放弦のH(Eの五度上)と同じで、開放弦のEと純正なA線上のHを取る(純正な四度を聞き分ける事ができればよい)ことで得られます。次のC音は、ストレートに基準になる開放弦がありませんが、とても「低い」音なので、Hとの間隔を狭くとることで、非常に近い音を得ることができます。(ヴィオラがあれば、純正に調弦したC線が基準になります。)Dは開放弦。EはE線の開放弦。さいごのFisは、E線とはもるHをとり、それに対して四度ではもるところ。実際には、G音にかなり近く取ることで得やすい音です。
もちろん、楽器を持ってすぐにこのように音程が取れるわけではありませんが、「耳」を作れば、意外と早くから「正しいピタゴラス進行」を楽器の上で再現することができるのです。これが、「人間の耳に自然で覚えやすい二音の関係に慣れれば、比較的再現しにくいピタゴラスの進行を再現することができる」という、弦楽器の大きなアドヴァンテージなのです。
純正な間隔(自然倍音列)と非常に異なるピタゴラスの進行が、「全く違うものであり、表裏一体のもの」と書いたのは、実はこのような理由なのです。「弦楽器のイントネーション」などの詳しいものをいろいろ読んでいただくともっと理解が深くなると思いますが、それはヴァイオリンの練習がある程度まで進んだころに考えればいいでしょう。
現実には、こういった練習方法を使いながら、レッスンでの先生とのやりとりの中で音程感を鍛えていくことになります。初めからこのような方針でレッスンを進めると、何年か後にとてもしっかりした音程感を得ることができます。それが、ご自分の演奏の音程を修正する力になるのです。