やっと「アンサンブルのレッスン」らしい題名になりました。まず、「合わせる」ということについての根本的な私の考え方を述べてみます。
よく、「指揮を見る」とか「ソロに合わせる」「トップに合わせる」などという表現を使うことがあります。これらの言葉が持つ意味は、一体どのようなことなのでしょうか。
まず、二人でする演奏について考えてみましょう。「ヴァイオリンソナタ」などのようなものでもいいですし、同族楽器のアンサンブルでもかまいません。さて、この二人が「息のあった」演奏をするためにはどうしたらよいのでしょうか。(たくさん練習すればよい、という答えは正解じゃないよ)
ピアニストと二人で演奏するときに、「合わせてくれる」人はたくさんいます。それにもレヴェルがあります。慣れていないと、実際に演奏した「音」に合わせようとしてしまいます。これが最低レヴェル。音を聞いてから反応したのでは、物理的にも合うわけがありません。遅れてしまいますね。
次の段階になると、体の動きや呼吸などの情報を処理して合わせてもらえるようになります。こうなると、少し「合ったところもあったかもしれない」状態になります。物理的に音が同時に出ることが(ないしは正しいタイミングで出ることが)多くなります。今までの経験だと、このことをもって合わせることだ、と思っているピアニストがかなりいます。しかし、このレヴェルではアンサンブルではありません。
さらに次のステップになると、ピアニストは音楽の流れを「読む」ようになります。体の動き、呼吸などの情報を利用することはもちろん、相手の状態や性格を知って、相手の立場にたって音楽を作ってくれようとします。こうなると、ソロを弾いている人と伴奏者の呼吸は、ほとんどぴったり合っているようです。この段階ではじめて、「合わせる」という言葉が意味を持ちます。しかし、ここでは「ソロ」と「伴奏者」の関係から出ることはできません。
次に進みます。二人とも十分に音楽を理解し、その流れを作ることができるようになっています。相手の呼吸、動きなどの「情報」を活用するのはもちろんですが、自分が「こう演奏したい」というイメージも持っています。練習で行われることは、このイメージの「すりあわせ」ないし「交歓」です。結果 として、相手の演奏を十分理解した上で、自分は弾きたいように弾くと「合って」しまいました。ここからが、「アンサンブル」です。
「オケの後ろで弾いていたら、トップに合わせるしかないでしょ。それはアンサンブルとは言わないんですか」という言葉が飛んでくるでしょう。そのような時には、一体何が起こっているのでしょうか。これは、「オーケストラの中でのアンサンブル」の中で詳しくふれます。もちろん、アンサンブルの形態によって、考えなくてはならないこと、やらなくてはならないこと、などは違いますが、基本的には、この二人の関係の延長線上だと思ってください。