このあたりで、少し趣向を変えて、クレモナ市内の様子をご報告しましょう。
クレモナ市は、人口約8万の小都市です。古くからポー川の荷揚げ地(ポー川で荷揚げした物資をミラノに運ぶ)として栄えました。近世までのイタリアは、ひとつにまとまった国家ではなく、小さな都市国家や貴族(イタリアだけでなくスペインの貴族なども)が群雄割拠していました(イタリアの歴史はとても面白いので、他の資料などでご覧になっていただきたいと思います)が、クレモナもさまざまな貴族の庇護を受けつつ、独自の発展をとげました(ご参考までにwikiのクレモナのページ)
アマティに始まりストラディバリが活躍した、弓弦楽器の「聖地」であるクレモナには、「弦楽器の製作に向いているのだろう」というイメージをお持ちかもしれません。しかし実は、ポー川の影響で湿度が高く、むしろ弦楽器を作るためには全くふさわしくありません。冬はポー川沿いに霧が立ち込めて、暗く、ジメジメしていて、楽器のニスを塗ったりすることもできない土地だったのです。そんなクレモナがなぜ弦楽器の町として栄えたのかは、はっきりいうと「謎」です。モンテヴェルディを始め、音楽が盛んであった(音楽ができる環境/経済的に恵まれていた/にあった)ことや、さまざまな要因(物流の要衝であって材料が集まりやすかった、工業の素地があった、などなど)が語られてきました。しかし、ストラディバリが活躍した当時、どのようにヴァイオリンなどを作っていたかがわかっていないこともたくさんあって、はっきりとした理由はわかりません。ただ、木を乾燥させる、にかわを乾かす、ニスを塗る、という弦楽器にとってとても重要な作業に向いていない土地であったことだけは確かです。そんな土地に、これ以上はないという弦楽器が出現したことは、大きな驚きです(このあたりは、現在、ストラディバリウスを最も研究している松下さん関連の記事がサラサーテ誌に載りますので、そちらもぜひご覧ください)。
湿気が多く、古くはポー川の氾濫にもしばしば悩まされたクレモナには、さまざまな知恵が見られます。ポー川自体、以前の場所から大掛かりな工事を経て現在の位置に移動された歴史があり、市内の道路には石畳が多く見られます。石畳でできた道は、歩きにくい上に、車や自転車にとっては乗り心地がとても悪くなる代物ですが、とても水はけが良いので、現在でも中心部などにたくさん残されています。
市内を歩いていたら、ちょうど石畳をやりかえている作業に出会いました。職人さんに話を聞いたら、20年以上、ずっと石畳を作り変える作業をしてきたそうです。石畳は定期的に交換する必要があるそうで、コストも決して低くありません。それでも、こうした職人さんの仕事が日常の場に残っているところが、伝統を守って来たイタリアの一面を表しているのでしょう。
現在のクレモナ市街は、非常にコンパクトにまとまっています。これは都市国家として存在した、そのサイズがそのまま残っているからです。「市街」と呼べる範囲は、ゆっくり歩いても30分ほどで見終わってしまうほどしかありません。知らない道を歩いていても、すぐに「あ、ここだ」と、歩いた道に出てしまうので、クレモナについて1日もすれば、大方地図なしで歩けます。私が泊まっていたホテルと市の中心部(教会の塔があるところ)までは徒歩10分ほどでしたが、滞在した7日間に、おそらく20回くらいは歩いたと思います(笑)。楽器の工房も、市の中心にある商店街(商店街、という感じとは違いますが、ズラーっとお店が並んでる)から1、2本裏に入った道に集中しています。
市の中心には、15世紀に建てられた教会があり、その塔がランドマークになっています。塔の時計は、作られてから100年ほどで動かなくなったそうですが、まだ動力はしっかり動いています。塔には登れるようになっていますが、502段の階段はちと難儀。上まで登ると、クレモナ市やその周辺を一望することができます。実際に登ったのは、クレモナ最後の日でしたが、ガラーンとしていてお客さんほとんどいません(笑)。市内には、これ以外にも古い教会が幾つかあります。いずれも、中世の建物がそのまま残っていて、内部も以前にあげた教会のような装飾が施されています。
クレモナに到着したのは木曜日の夕方でしたが、翌金曜日からは、市の中心部がとても賑やかになりました。金曜日から日曜日までは、たくさんの出店が立ち並び、市の中心の公園では、たくさんの食べ物屋が店を出して、深夜まで
たくさんの人で賑わっていました。こちらの出店は「商品などを車で運んで、停めた車の前がお店になる」というスタイルです。公園と公園周辺の道には、所狭しと店が並びます。普段は、木曜日と土曜日に朝市があるだけだそうですが、「ヴァイオリンのお祭り」に合わせたのでしょうか、公園では年に一度の屋台のお祭り(以前は冬場にやっていたそうです)が行われ、朝市も金曜日から日曜日まで、3日に渡って行われました。
イタリアの夜はとても遅い。クレモナのような小さな「田舎町」でも、多くの食べ物屋やバーは25時くらいまで普通にやっています。コンサートがあれば、スタートは21時。それが終わった23時以降から、街に繰り出して食事をする人がたくさんいます。普通にレストランに入っても、20時ではまだガラガラ。21時ごろから混み始め、22時からが「本番」です。だから、お昼寝をするのでしょうね。今回は特に賑やかだったようですが、広場の屋台では、24時を回っても人でごった返していました。月曜日に静かになった夜の街を歩いていたら「これが普通です。クレモナは静かな街なんです」と、教えていただきました。
モンドムジカが開かれている間は、町中が人で溢れている感じでした。もちろん、モンドムジカに来る人たちだけでなく、それに合わせて行われた「屋台村」などの影響もあると思いますが、とても小さな街とは思えないくらい、あちこちが人でいっぱいです(もちろん、ホテルはとんでもなく高い。モンドムジカが終わったら、半額になりました)。町中にはアップライトピアノがあちこちに置かれ、道行く人たちが自由に弾いています。子どもがバンバンとピアノを叩いていることもあれば、結構な腕自慢が難局を弾いていたり、かなり高齢のおばあさんがショパンを奏でていたり、若いお兄さんがポップスを演奏したり・・・
モンドムジカの期間中のクレモナは、「別の顔」をしていますが、終わると一気に静かな街に戻ります。その後は、じっくりと工房をまわり、さまざまな体験をしました。
少し時間があったときに、市内のスーパーマーケットに寄ってみました。私は旅行に行くと、市場を見て回るのが大好きです。生活の様子がよくわかるからですが、クレモナでも! さすがにイタリアです、チーズ、パスタ、ハム、サラミの量がはんぱでなかった(笑)
食については、別にご報告します!