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(3)東京オリンピックの招致のいきさつと根本的な問題

 長い間、東京オリンピックは「復興オリンピック」と主張され、「未曾有の震災から立ち直った日本を世界にアピールし、被災地再生のシンボルとする」と言われてきました。しかし、東京オリンピックが「いつ」「誰によって」「どのように」招致されるに至ったかはほとんどの人が忘れているのではないでしょうか。

1)東京にオリンピックを誘致することになったのはどのような経緯か

 今回のオリンピックの招致を最初に言い出したのは石原慎太郎元都知事です。時は2005年で、立候補したのは2016年のオリンピックです。すなわち東北の震災などまったく予想もされていなかった時期です。当時の石原元都知事は「今のオリンピックを日本で開催するとしたらキャパシティーを考えて東京しかありえない」として誘致に乗り出しました。石原氏がなぜ招致を言い出したかということは、20069月の記者会見で自らが話しています。

「周りの国に勝手なことを言われてだな、国会はバカなことをやってる。むしゃくしゃしてるときに、何かちょっとおもしろいことねえか、お祭り一丁やろうじゃないか、オリンピックだぞということでドンと花火を打ち上げればいい」(2006年9月11日/朝日新聞)

 この石原氏の思いつきには、「東京一極集中をさらに加速させるのではないか」「地方をもっと見据えた政策が必要なのではないか」という批判が当初からありました。さらに「臨海部の半径8キロ以内に施設を集中させたコンパクトな大会」と銘打ったものでした。もちろん「復興」などの意味合いがあるわけもなく、地方のことを投げ捨てられました。そしてこの石原構想に飛びついたのが、当時官房長官(直後に総理に就任)だった安倍晋三です。総理を狙う位置にいた安倍氏にとっては、東京オリンピックという「華」はとても魅力的なものだったのです。

 なぜ東京かという議論もなく勧められた招致は、国民の支持も少なく国際的な支持が広がることもありませんでした。2009年10月に行われたIOC総会で結果がリオデジャネイロになったことは皆さんもご存知の通りです。

 投票で惨敗したにも関わらず、石原氏は再度の立候補を言い出しました。石原氏にとって「天佑」となったのが東日本大震災です。「復興のシンボルにすれば勝てる」というわけですね。石原氏の強引な招致への姿勢と、思わぬところで政権を投げ出さざるを得なかった安倍氏の再登板への思いが一致して、復興のシンボルにするならば東京ではなく東北で行うべきなのではという当然の疑問はかき消されてしまいます。2012年にIOCが行った開催都市の世論調査では、東京の支持率はわずか47%に過ぎませんでした(マドリード78、イスタンブール73)日本の招致委員会はこれに納得せず頻繁に世論調査を繰り返して徐々に支持率が上昇していったのは今となっては笑い話でしかありません)。しかし「復興のシンボル」というフレーズは国際的な支持を集め、東京が2020年のオリンピック開催都市として決定します。

 都知事はその後、猪瀬直樹氏、舛添要一氏、そして小池百合子氏と変わりますが、再び政権についた安倍氏の強力な後押しもあって、数々の問題が表面化しながらも少しずつ進められてきました。

2)招致の根本的な問題

 東京オリンピックの根本的な問題は、何のために開催するのかという根本的な議論が全くなかったことにあります。そもそもが思いつき(石原氏にとってはレガシーとしての思いもあったでしょうが)でスタートした招致運動が東北の震災によって「口実」ができてしまったこと、そのためにそれ以外の議論は全く捨て去られてしまったのです。

 招致のプレゼンテーションでは、安倍首相(当時)の「福島は完全にコントロールされている」という発言が議論を呼んだことは記憶にあると思いますが、そもそも「復興のためにどのようにオリンピックを位置付けるか」という肝心な点については全く議論がなかったのです。また「8月の東京は天候も良く温暖で、アスリートが実力を発揮できる」という安倍氏の「嘘」は、今になって来日したアスリートから非難轟々です。プレゼンテーション時点での8月の東京の最高気温の平均はすでに28度を超えていて(現在は30度を超えています)30度を超える日もとても多く、「温暖」とは程遠い気候であることは明らかでした。

(4)「復興オリンピック」ならぬ「復興妨害オリンピック」

 本当にオリンピックを契機にして東北の復興を考えるのであれば、持てる資源(経済的にも)をできるだけ東北に注ぎ込んで開催するのが筋だと思います。仙台にスタジアムを建て、東北各県に競技を配分する。その過程でインフラの整備がすすみ、雇用も生まれる。そんな形でオリンピックが準備されるのであれば(もはや東京オリンピックではありませんが)、私も「オリンピックもいいかな」と感じられたかもしれません。しかし実際には、オリンピックを東京で開催することによって東北の復興は大きく妨げられました。

 まず第一に、建設資材の高騰と働き手の不足があります。

 東京では、オリンピック合わせてさまざまな工事が行われました。直接的にスタジアムや選手村を造るだけでなく、外国人の来日を見越したホテルの建設ラッシュ、そして鉄道の駅などの大規模な整備が進んだのです。オリンピックのおかげで東京の地下鉄の駅は快適になり、高級ホテルに宿泊する人たちの満足度は向上しました。結果として何が起こったかというと、建設資材の不足、高騰と建設作業員と奪い合いです。何年にも渡って報道されてきたのでみなさんも目にしていることと思いますが、東北の復興事業の入札が不調に終わったり(東京の仕事の方が建設業者にとって様々な点で有利です)、予算通りに進まなかったりすることが起こりました。まさに「復興を妨害するオリンピック」なのです。

 第二に、国民の意識を東北から逸らしてしまったこと。

 復興オリンピックの掛け声だけで実際に何もしないオリンピック事業のもとで、「安全な日本」を演出されるために福島原発への注目度は下がりました。廃棄物の処理、そして排水の問題など、原発だけでも問題は山積み。オリンピックのエンブレムがどうの、ロゴのデザインがどうの、ということが話題になればなるほど、東北は忘れ去られていったのです。いや、利用するところだけは利用していると言えます。有名な選手がボランティアに入ったり(そのこと自体を否定しているのではありません)、オリンピックを前にして東北を訪れるアスリートたちを盛んに報道することで、東北を利用しています。そして決定的なのは、「復興五輪」なのにバッハ会長は東北を一顧だにしていないこと。感染爆発の中で広島を訪れるのであれば、東北に行くべきではないのか?

 第三に抱え込んだ莫大な負債をこれから国民が支払うこと。

 東京オリンピックは経済的には大失敗でした。東京オリンピックの経済効果は、直接的な投資と来日する外国人によるもの、そしてレガシー効果が示されてきました。その額はオリンピック・パラリンピック準備局の試算で約30兆円に上るとされていました。しかしこの手のイベントを企画する時には、経済効果は常に過大に見積もられます。そしてその言われてきた経済効果も、よく見るととても怪しいものです。そして大赤字に終わったオリンピックの後始末をするのは国民が払う税金です。現在、税金に「復興特別税」が加算されていることはご存知だと思いますが、さらにオリンピックの赤字を埋めるための税金が加算される(表に出なくても)わけです。

 東京オリンピックが東北の復興とはなんにも関係ないところでスタートし、招致をするための口実に使われただけであることは明白です。もちろん、オリンピックに出場する選手たちが東北を訪れ、そしてそれが報道されることは良いことかもしれません。しかしそれまでに払わねばならなかった「負債」は大きいのです。

[ 2021/08/11(水) 15:16 ] 日記| コメント(0)
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