柏木真樹 音楽スタジオ

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07
Jul.
2005
2005/7/7 Thu. 00:00
Category:日記

「音楽日誌」として、音楽以外のコンテンツを削除したのですが、ロンドンでのテロをまのあたりにして、どうしても書いておきたいと思います。

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ニューヨークでのテロは、実は他人事ではありませんでした。その年の9月から、ニューヨークに移り住む可能性があったからです。もし移住を決意していれば、まさにあの時間に連れ合いが貿易センタービルの地下駅を利用するはずでした。その年の7月にニューヨークを訪れたときに、貿易センタービルに登ろうかとも思ったのですが、また来ることがあるだろうから、と見送った経緯があるのです。飛行機がビルに突っ込む光景を見て、背筋が寒くなったのを思い出しました。

ニューヨーク、トルコ、スペイン、ロンドンと続いたテロに正義がないことは明らかです。しかし、「テロとの対決」「対テロ戦争」を叫ぶだけで、この不幸な暴力の連鎖が切られる日がくるのでしょうか。私にはとても希望が持てません。テロ、という言葉の本来の意味は敢えて問わないことにします。今、日本で普通に使われている「テロ」という言葉の発する意味に従ったとしても、テロに実行する側に、「テロしか選択の余地がない」状況を作り出していった歴史があるのではないでしょうか。

ブッシュ大統領は、イラクのフセイン政権の「大量破壊兵器の現実の危険を排除するために」という名目で、対イラク戦争を行いました。戦争の大義として、生物化学兵器が隠匿されている、核兵器も開発途上である、ということを盛んに宣伝したのです。その主張に沿うためにデータが捏造され、世界中がだまされた状態でイラク戦争に突入し、何万人もの無辜のイラク民衆が虐殺されていきました。戦争を始めた理由が否定されたにもかかわらず、戦争を推進した諸国は、戦争を正当化するためにさまざまな詭弁を弄したのです。

もちろん、9.11 テロそのものへの怒りは理解できるつもりです。しかし、それとて、長年のアラブ諸国、イスラム圏の人々への西側諸国の行動に原因はないのでしょうか? 突然、家、土地を奪われ、世界中から孤立させられているパレスチナの民の苦難を、アメリカやイギリスは嘲笑ってきました。かの地で流された幾万もの血の叫びが、この暴力の連鎖の大きなカギになっていると思わざるを得ません。

国家に「戦争をする」という大義が与えられている以上、国家と国家ではないものが対峙しようとすると「テロ」という手段をとらざるを得ません。力を持った国家が、力でこれを圧することはできないでしょう。恨みは世代を超えて受け継がれ、膨らんでいきます。民族ごと根絶やしにしない限り、力で押さえつけることはできないのです。もちろん、そんなことが許されるわけはありません。これまでの経緯から、パレスチナ人たちは、恐らく「民族として根絶やしにされる」という恐怖感すら持っていたでしょう。

戦争という「正当な武器」を持ったものが、その武器を振りかざしながら「テロは許さない」ということは、力を持たないものをテロへ追いやってしまうのです。これは歴史が証明していること。西洋社会が、イスラムに対して力による圧迫を繰り返してきたことが、現在の悲しい暴力の連鎖を作ってしまったのではないでしょうか。力を持っている、ないしは力によって庇護されている者は(私たちも含めて)、力によって抑圧されている人たちの意識を知ることは不可能です。弱い相手に守るべき倫理だけを声高に叫ぶのではなく、強者が学ぶべきものは歴史であり、それをただしく歴史観に昇華させることが大切だと思うのです。より強い力を持つものでなければ暴力の連鎖を断ち切ることができないということを、人類が学ぶ日は、はたして来るのでしょうか。

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[ 2005/07/07(木) 00:00 ] 日記| コメント(0)
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