昨日、フラメンコショー付きのディナーというものに出かけました。実はこういう携帯の「ショー付きのディナー」というのは、初めての経験です。カード会社の「特別企画」で、通常価格ディナー8000円+ショーチャージ3000円のところ、全部で4000円という、「ほんとかい」というような値段だったので、いってみる気になったのでした。料理は・・・「これで8000円だったらちゃぶ台ひっくり返す」ようなものでしたが、ここは食のページじゃないから、それには触れません(^ ^;;まぁ、特別価格ですから、特別料理なんでしょう。
ショーのダンサーと歌手たちは、ジプシーフラメンコでスペインで頭角を現している若手のグループだそうです。(名前わすれた(^ ^;;)そのテクニックと迫力に、とても楽しめた1時間でした。なぜ、「音楽のページ」に書くつもりになったかというと、フラメンコを見ていて思い出したことがたくさんあったからです。
今回のショーの出だしは、もの悲しい男性歌手の語りで始まります。語り、といっても、たんたんと語るのではなく、ときには絞り出すような、ときには絶叫し、すさまじい感情の表出です。その語りは、ジプシーのものでもあり、また、南洋の祭りの語りのようでもあります。そしてそこに、女性の情熱的なダンスが加わってくるのです。
フラメンコでまず驚くのは、そのリズム感覚とステップの技術です。人の心を下から強引に持ち上げるかのような激しい2拍子の上に、三連符と六連符の目にも留まらぬ連打が加わります。そのリズムが、歌い手・踊り手自身の感情も鼓舞し、見ている人をステージに同化させます。そして、ダンサーの踊りが、まるで見るものを誘うかのような、妖しい輝きを放ちます。
リズムは人を鼓舞するものだ、という思いを新たにしたのは言うまでもありません。特に、ステージ上で8人が一斉にリズムを取っていると、学生の頃、生協の屋上で「山城組」という団体が練習をしていた「ケチャ」を思い出しました。初めてみたときには、「なんだありゃ」という訳の分からないものに対する感想を持ちましたが、そのうちそのリズムの持つ力に興味を持つようになりました。ケチャに限らず、民族音楽とされるのもの中で特に祭りや葬祭の音楽には、このように感情を高ぶらせるリズムを用いた音楽が多いですね。これがテーブルについてのディナーではなく篝火の下であれば、まさに「自分も踊り出して」しまいそうになるでしょう。
私はジプシー音楽が好きです。中高の時に習っていた先生が呑んべの上にそういう音楽が好き、という方で、酔っぱらってはよく「黒い瞳」や「エストレリータ」なんかを演奏していました。その影響かもしれませんが、いわゆる「ジプシーもの」を好んで演奏してきました。そんな感性に、久しぶりに火がついたような気がしました。
健康にも良さそうだし、フラメンコの教室にでも通ってみようか、と語り合った一日でした(^ ^)