掲示板からの転載です。第一回目のレクチャーコンサートについてです。
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> だんだん生徒ひとりでは、太刀打ちできなくなってきました(当然ですね)。
さて、助っ人が登場するかどうか(笑)
>「彼らが生きた時代を突き抜けた勢い」、私にとっては「進化」というより、こちらの方がわかりやすい気がします。(よく‘早く生まれて来すぎた’的な言い方もされますが、それはそうである場合も、無い場合もある。モーツァルトもベートーヴェンも彼らの時代でも、ある種の売れっ子ですものね。)その時代に留まらない‘何か’が、次の時代へ繋がる原動力となっていく。
「早く生まれて来すぎた」という言い方は、歴史を下った後世の評価ですね。これも「自戒」を込めた感想ですが、どうしても我々は現代の尺度でものを見てしまいがちです。資料に書いたように、「変化する価値観」と「変わらないもの」をどのようにバランスをとって見ることができるか、ということはとても大切だと思います。変化した後の価値観を「通じて」過去を考えることは、とても危険なことだと思うからです。「時代を突き抜けた」ものが、果たしてその時代の価値観からはみ出していたのか、現代の価値観でその時代を評価したものから逸脱しているのか、この違いはとても大きいと思います。
> 今回のコンサートでは、私は何だか‘古典調律と平均律’と、奏法のことにばかりに気がいってしまって(それに‘支配’され 笑)、モーツァルト自体は意識の中で霞んでしまっていました。このやり取りを通して、どんなコンサートだったのか少し反芻できた感じです。
この「大テーマ」は、何年もかけてレクチャーコンサートが積み上がった時に、初めて自分でも捉えることができるものだと思っています。私にとってレクチャーコンサートをシリーズで行なうことは、ある意味での「フィールドワーク」なんですね。最初に仮説を立て、それをコンサートを通して検証していく、という作業です。ですから、こうしたことに興味がある方には、できるだけ続けて聞いていただきたい。最終的な「結論」が出るのか、存在するのかもわかりませんが、聞きにきて下さる方々も、この作業に参加していただいていると思っているからです。
> その作品の元々持つコンテンポラリーな価値を、コンテンポラリーな形で再現する試み、でしょうか。(よく読みなおすと、柏木さんの書かれたことまで曲解したいたような気がしてきました 汗)
そうですね。そして「そのことにどのような意味があるのか」ということ自体が、もっとも根本的なテーマなんです。
> いえ、別に柏木先生でなくて良いのですよ、ピアニストさん、大歓迎(笑)。
音程の良いピアニストも、悪いピアニストもいるでしょうけど、普通は両方やらない(笑)。あたしゃピアニストじゃないから、遊べるんです。
改めてアンケートを読み直してみましたが、ピアノに興味を持っていただいた方がとても多いんですね。やはり、調律を変えたピアノの弾き比べや調性の話は、毎年何らかの形でやりたいと思います。