柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > Blog > クレモナレポート > オールドか、モダンか・・・ヴァイオリン博物館のコンサートで思ったこと

 ここ何年か、「ストラディバリとモダンのどちらがよいか」という話題を目にします。フランスでの実験が5月にも読売新聞に掲載されましたが、パリ大の研究者は何年も続けてこうした実験をしていて、いずれも現代楽器に軍配が上がった、との報道がなされてきました。以前からこの実験結果には疑問を感じていたのですが、クレモナで聴いたコンサートで、まさに感じていた疑問の答えが出たような気がしたので、少し長くなりますがまとめてみます。

 聴いたコンサートは、博物館恒例のお昼のコンサートです(毎日ではありません)。 ヴァイオリン博物館のホールは、サントリーホールを設計した豊田泰久さんの手になる円形のもので、とてもよい響きがします(ホールの様子は一昨年のレポートをご覧ください)。座席数も少なく(450ほど)、ソロや室内楽には最適のホールだと思います。12時から30分ないし1時間ほどの時間で、その時によってさまざまなコンサートが行われます。ストラディバリ・フェスティバルなどの時はコンサートが行われる頻度が高いようです。今回は「アマティと現代楽器のヴィオラ弾き比べ」。こんな企画に偶然当たったのは本当にラッキーでした。演奏者は欧州で活躍している方です。バッハのチェロ組曲から2曲、現代作品1曲の3曲を、アマティとモダンで弾き比べてみたのです。聴いたのは、私と同行したデザイナー(ヴァイオリンとヴィオラを趣味で弾く/Yさん)と音楽は全く素人の女性(Nさんと呼びます)の3人です。30分、と聞いていたのですが(演奏時間は20分ほど)演奏後に質問タイムがあり、制作者と思われる方たちから演奏者にたくさんの質問が飛び、終了したのは13時をとっくに回っていました。クレモナならではのコンサートですね。

 終了後に食事をしたのですが、Nさんの評価はモダン圧勝。私の評価は、バッハはアマティの圧勝、現代曲はモダンの圧勝、Yさんは「音質はアマティ、音量はモダン」、という事前に予想した通りの結果。これが何を意味するのでしょうか。もちろん「素人はモダンを評価する」ということではありません。

 私の評価を説明する前に、「ストラディバリか現代楽器か」の実験に対する私の二つの疑問を説明しましょう。

1)ストラディバリはピンからキリまである。評価の対象となった楽器は果たして「ストラド」と呼べるものなのか

 ストラディは、生涯に1300台ほどの楽器を製作したとされます(現存している楽器は600あまり)。これは驚くべき数で、60年間全く休みなく均等に製作したとしても、毎年20台以上の楽器を作ったことになります。一人で作っている現代の製作家が1年に作る楽器の数は、多い人でも10台ほどですから、単純に比較してもその倍。さらに、冷暖房や照明が現代のように自由にならなかった時代ですから、製作に当てられる時間や季節は限られていたはず(イタリア北部のポー川流域は冬は寒く湿度が高い)で、条件はかなり厳しいはずです。工房の他の人の手がどのくらい入っているのか、ないしはどの程度分業していたのかはわかっていませんが、1000を超える楽器のクオリティが同じであるはずはありません。さらに、長い間にどのように使われ、メンテナンスされてきたかによっても、現在の楽器の状態は大きく作用されます。「メシア」がどんな音のする楽器なのかは誰も知らないのです。

 なぜこのようなことを問題にするか、というと、パリ大の実験では6台のストラドが使われた、という記事を読んだからです。良いストラドは演奏家が実際に使っていることが多いでしょうから、6台もまとめて集められる楽器は、果たしてどんな楽器なのでしょうか。「それでもストラドでしょ」と思う人もいるかもしれませんが、実際にどのくらい違うのかを二つの経験で説明しましょう。

 私はこれまで7台の本物であると思われる「ストラド」を弾いたことがあります(真贋の怪しいものはあと数台)。2台はサザビーのオークションのデモンストレーションに出された楽器、1台は日本の方が持っていて若手のプロに貸し出している楽器(ベアで購入)、あとの4台はモンドムジカなどの楽器の展示会で楽器商が持っていたものです。このうちで、日本の方が持っている楽器ですごい体験をしました(「銘器の力」参照)。しかし、それ以外の楽器ではこの時の経験のような振動を体感することはできませんでした。もちろん、他の楽器でこのように感じたことは全くありません。

 もうひとつの経験は、楽器の展示会でのことです。ストラドとされる楽器を試奏してみましたが、「良い楽器」という以上の感じを持ちませんでした。そこで聞いていた二人の生徒に、「ちょっと離れたところで聞いてみて」と言って、20mほど離れたところで聞いてもらいました。その後、近くにあった現代作家Tonarelliさんのブースに行って楽器をお借りして同じことをやってみたのです。生徒の反応は「Tonarelliさん(ブログ「クレモナでのお仕事」参照)の楽器の方が遠くまで聞こえる」というものでした。弾いている感覚でも、その時のストラドよりも音がよく飛びそうな現代楽器は何台もありました。

 私の数少ない経験でも、ストラドには驚くほどの差があることは明白です。どのような経歴で現在どんな形で使われているか(保存されているか)を無視した「ストラド対現代楽器」に意味があるのか、という疑問は、こうした経験から感じることなのです。

2)どのように調整されているか、どのように弾かれているのかのデータがない

 楽器の調整をあれこれとやってみるとわかるのですが、調整によって楽器の状態は驚くほど変わります。そして、古い楽器ほど、ベストの調整をするのが難しいのです。弾き手の好みによっても、弦によっても、バランスは驚くほど変わります。そうしたことが全くデータとして出てこないので、果たしてどのようような実験なのかがわからないのです。もちろん、どんな曲を弾くかによっても答えは異なる可能性があります。

 メディアの報道は、「AI対人間の囲碁・将棋の対決」でもそうですが、実験(試合)の意味や条件などには無頓着で、結果だけをセンセーショナルに打ち上げてしまう傾向があります(日本は特にひどいと思っていたのですが、他の国でもそんな現状を憂いている人は多いみたいです)。「ストラディバリウスが現代の楽器に負けた!」と扇情的に煽った方が読まれるのは確かですから。実験自体は真剣にやられているのでしょうが、まだまだ穴が多すぎると思います。

 さて、アマティ対現代楽器に戻ります。

 アマティがどのように弾かれてきたのかはわかりませんが、古い楽器のデメリットが出ていたことは確かです。特に、最後の曲には重音の連続や大きな移弦や跳躍を含む細かい動きが多く、アマティでは音の輪郭がはっきりしませんでした。あのようなところでは、音の立ち上がりに厳しく子音をつけることが必要ですが、アマティの子音は弱く、動きが不明瞭になってしまうのです。それに対して、現代の楽器は立ち上がりが明瞭で、キラキラした動きを表現しきっていました。これはアマティの負けです。

 しかし、博物館のホールでソロを弾く時には、サントリーホールで弾くような弾き方は要求されません。バロックやバッハを弾く時には、物理的な子音が要求されませんから、音色勝負の要素が強くなります。さらに、よく響く大きくないホールでは無理をして大きな音を引き出す必要もありませんから、今度は古い楽器の良さが際立つのです。ただし、音量の変化は新しい楽器の方が大きいので、より刺激が強いことはたしかです。Nさんがバッハでも現代楽器に軍配をあげたのは、大音量で聴くことが普通になっている現代人の特徴なのだと思います。

 これは「聴き方」にもつながる問題です。録音のヴァイオリン・コンチェルトばかり聴いていると、実際にステージを聞いた時に「迫力ないなぁ」と感じることもあるでしょう。音量の刺激はかなり強いものですから、音量に気持ちが向いていると、音の他の葉素を軽んじてしまう結果に繋がりかねません。聞き手が何を要求するかによって、演奏だけでなく楽器の良し悪しも変わってくるはずです。そんなことも考えました。
 
 とても面白いコンサートを見られて満足でした。

[ 2017/06/11(日) 13:01 ] クレモナレポート, コンサート, ヴァイオリン, 楽器| コメント(0)
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