最近、藝大や沖縄県藝でアレクサンダーテクニークを指導しているホルン奏者のブログを拝見した。書かれていることはとてもわかりやすく、「よい先生になるためには」という視点で「音大生よ、早いうちから指導しなさい」ということが書かれている。しごく真っ当な意見のように見えるのだが、気持ち悪さがぬぐえない。それは、「教わる立場」のことが忘れ去られているとしか思えないからだ。
参考ブログ「バジル先生のココロとカラダの相談室」
内容はブログを読んでいただきたいのだが、かいつまんで言えば、「良い先生になるにはキャリアが必要。そのためには、教える仕事に誇りを持って、できるだけ早くから教える経験を積んでほしい」ということである。その内容には全く誤りはない。バジル先生も教えることに誇りを持って指導しているのだろうと思うし、教える仕事に情熱を持って当たる若い音楽家を育てたいという気持ちは、とてもよくわかる。
だが・・・
私が初めてレッスンらしきものを経験したのは、高校2年生のときだった。当時習っていた音楽教室(といっても個人経営のもの。ヴァイオリニストとピアニストのご夫婦が教えていた)は、先生のご自宅であるメインのレッスン場以外に、都内に別の「子どもたちだけの」教室を持っていた。ここに、比較的達者な大学生や高校生の生徒が「代講」に派遣されていたのだ。もちろん、月謝はすべて先生のところに入るのだが、「教えることも経験になる」という先生の言葉を信じて、また、もともと教えるのが好きだったこともあって、喜んで代講をした。私にとっては貴重な経験になったのだが、今考えれば、生徒にとってはたまったものではなかったのではないかと思う。
次に教える経験をしたのは、手ほどきをしてくださった先生の弟子(音大の副科の学生)をレッスンしたことだった。私が大学1年生の時である。もちろん、全員が初心者。楽器の持ち方から教えた。この時のことは比較的覚えているのだが、今考えると冷や汗ものの教え方をしていた。(「お前だけがダメなんだよ」という突っ込みもあるかと思うが、それは申し訳ないがスルーさせていただく)
音楽家の道を諦めてからは、塾や家庭教師として勉強を教えながら、アマチュアのレッスンを細々と続けていた。自分自身はあれこれと先生については離れ、を繰り返していた。比較的長くレッスンについていたのは、桐朋で教えていらっしゃった(当時は引退していたが)お二人の先生。特に故藤家桜子先生とは、指導法などの議論を深夜まで繰りかえしてさせていただいた。30を過ぎてからこの世界に本格的に舞い戻ってからは、身体の使い方や教え方を研究したのだが、「なんとか半人前の指導者以上にはなったな」と思うようになったのは、40の頃だ。学生の頃から「教える」ことばかりしてきたのだが、ここに至るまで20年の時間がかかった。だからこそ、「早いうちから教えたほうが良い」というバジル先生の意見には「教える側の立場としては」大賛成である。しかし、半人前以下の私に教わった生徒にすれば、「時間と金を返せ!」だろう。もちろん、当時は今の4分の1以下のお礼しかもらっていなかったし、いただいたお礼でそのまま飲みに行ったりもしていたのだが・・・
長い間教えていると、教えるスキルが上がったところとまだまだ足りないところがわかるようになってくる。足りないところを補うための努力も、それがわかってこそ役に立つ。そういう過程は教えないと身につかないものでもあるので(特に観察力が大きい)、教える経験を積むことはとても大切なことだ。問題は、生徒の側の「要求」である高いクオリティのレッスンと経験を積む過程でもレッスンをどのように両立させるか、ということだ。これは、ある意味で相矛盾する要求なので、簡単に解決できる問題ではない。
私は、基本的には、教え手になる生徒には私のレッスンを必ず見学するようにしてもらっている。先生としてのキャリアが始まる前に私のレッスンを見学してもらうこと、発表会などで一緒にデュエットなどを生徒と弾いてもらうこと(私がレッスンをする)などで、少しでも生徒の要求に応えられる先生になるための経験を積んでもらっている。また、生徒を教えていて疑問に思ったことは、わかったふりをしないで必ず私に質問する(ないし、生徒を連れてくる)ようにもお願いしている。また、生徒用の講習会の資料などは必ず勉強してもらっている。
こうした作業で欠点を完全に補うことができるとは思えないが、何もしないようりははるかにましだと思う。先生となる生徒を教える立場にある教え手のみなさんには、「生徒の立場に立つ」ということをしっかり意識して欲しいと思う。
私のモットーは「先生を超えてこそ、初めて教わったことが役に立つ」である。教わったことに自分の工夫や経験を加えていけば、先生より良い教え手になることは不可能ではない。普段から、そんなつもりで、教えている。