9月20日から22日までの3日間、クレモナの第10展示室で、「Set-up:CHE SUONO RICERCANO I MUSICISTI?」と題するワークショップを行いました。ワークショップの内容を簡単にまとめると、「演奏家が求める楽器とはどのようなものか。セットアップを変化させることで楽器の可能性をさぐり、演奏家が求める楽器を生み出すための提言を行う」というものです。
私のようなものが、クレモナの楽器職人を相手にこのようなワークショップでファシリテーターを務めるなどという大それた真似を、と、当初は自分でも信じられない思いでしたが、10ヶ月に渡って、ひとつずつ自分ができること、お願いできることを確認しながら準備を進めて、できることは精一杯にやり本番に臨みました。3度にわたってクレモナで多くの製作家と交流する中で、クレモナの作家の多くが持っている「もどかしさ」を少しばかり理解できたつもりです。東京でも、多くの技術者に教えをいただき、楽器の調整の実演をたくさんこなすことで、自分自身の楽器に対する理解も深くなったと思っています。
そもそも、ワークショップとコンサートを行うきっかけになったのは、昨年9月に私がクレモナに来たことでした。詳細は昨年の「クレモナ・レポート」に譲りますが、弦楽器製作の聖地であるクレモナでの経験で、「クレモナの製作家の楽器を使ったコンサートをやりたい」という思いを持ったのです。「人の縁」とよく言いますが、私にとっては本当に過分なまでの素晴らしい方たちに出会えることで、このような企画ができたのです。その「出会い」も、本当に細い、細い糸の繋がりでした。たったひとつでも「出会い」がなければ、このようなできなかったことと思います。
「昨年のクレモナに同行してくれた小林さんが日本人留学生の吉田さんと意気投合しなければ」
製作家のMassimoさんの工房に行くこともなく、私が心を躍らせたSt. Rita教会での試奏はありませんでしたし、
「松下さんがDindoのコンサートを強く進めて下さらなければ」
博物館の素晴らしいホールや度肝を抜かれたセンスある演奏に触れることはありませんでした。また
「博物館で、ふと、クレモナの楽器でホールでコンサートをやれたら幸せ」
という私の妄想を言葉にした時に、ぜひ、ぜひ、と言ってくださった博物館職員の安田さんの一言がなければ、実際に何かができると思うことはありませんでした。これだけではありません。さまざまな「幸運」の積み重ねによって、この企画が実現したのです。クレモナでの幸運と人の優しさに、感謝の言葉もありません。
ワークショップ(とコンサート)を実現するにあたっては、クレモナ在住の製作家、高橋修一さんに、何から何までお世話になりました。ご自身のお仕事(製作)を犠牲にしてまで、クレモナでの交渉、内容の相談、私の相手(?)など、10ヶ月間、本当にご尽力を頂きました。どのような言葉をもってしてもお礼をし尽くせるものではありません。終わった時の高橋さんの涙は、「やり尽くした」人にしか許されない尊いものです。
実際にワークショップを開催するにあたっての技術的な問題は、「イタリア語をどうするか」「調整の技術をどのように伝えるか」「真のプロと言える演奏家の意見を伝えられるか」の3つでした。
言葉の問題は、予想以上に私たちを苦しめました。当初、私は「私がしゃべって高橋さんが通訳する」くらいに簡単に考えていました。しかし、実際に製作家を高橋さんと訪れると、私の言葉のニュアンスがなかなか伝わらないのです。これは高橋さんの語学能力の問題ではなく、すべての通訳や翻訳家が悩んでいることだと思います。とにかく、日本人相手なら伝わる言葉を、イタリア語で正確に伝えるすべがなかなか見つからないのです。「音が飛ぶ」「深い音」「音の色あい」など、日本人同士手であればニュアンスを含めて簡単に伝わることでも、一筋縄ではいかないことが多いのです。
こんなものは、ほんの一例です。中には、日本人が区別する表現をイタリア人がしないことも少なくありません(逆の例で言えば、日本人が「肩こり」というようなもの)。そこに、援軍登場。通訳として、資料や提出物の翻訳家として、大活躍してくれたのが高橋さんの友人、Matteo Rizziさん。アニメから日本に興味を持ち、今はフリーで音楽関係のコーディネータや通訳などをこなしている「超日本通」です。私の言葉のニュアンスを、高橋さんと議論を繰り返しながら、少しずつ、少しずつイタリア語に直してくださいました。ワークショップの最終日ぎりぎりまで、高橋さんとMatteoさんは、連日に渡って何時間も議論を続けていました。これだけのことに付き合ってくださるなど、普通は考えられないことです。感謝、感謝しかありません。来月日本に来るそうなので、少しでも恩返しを、と思っています!!
そして、ワークショップの開催と支援をお願いしたStradivariazioneの理事長、Bidiniさん。「こんなことがやりたい」と訪問した時に「素晴らしい、ぜひやってほしい」と焚き付けてくれたのです。当初は「7月に」と言われたのですが、とてもじゃなけど準備が間に合いません。「9月」ということで、博物館の展示室の使用許可を頂き、「よし、できるぞ」と確信を持たせていただきました。
もちろん、その他にもお世話になったクレモナの方はたくさんいます。そんな人に支えられて、ワークショップの「成功」があったのです。
日本側スタッフも、次第にきちんとしてきました。最初は「高橋さんと私」以外にイメージがなかったのですが、そこに「しっかりした音楽へのイメージと主張を持っている」演奏家を加えることは、私にとってとても意味がありました。しかも、ワークショップには、ヴァイオリンやヴィオラだけでなく、チェロも当然出品されます。楽器持つ能力を引き出すことができるチェロ演奏家が、戦力としてどうしても必要でした。そこで、コンサートへの出演をお願いした津留崎さんに、ワークショップでも活躍していただくことにしました。(津留崎さんにお願いしたのは、St. Rita教会で津留崎さんのバッハを聴きたい、という私のわがままです。津留崎さんは、「バッハの音程」を再現できる数少ないチェリストです)楽器の調整を進めるにつれて「これも」「あれも」と熱が入ってくる津留崎さんの様子に、製作家たちも一流の演奏家の厳しさをしっかり感じられたと思います。ほんとうにありがとうございました。
そして、2ヶ月ほど前に登場した「最強の援軍」茂木さん。
昨年のモンドムジカでお話ししたのが、しっかりと個体認識をした最初のことですが、それ以来、楽器の修復をお願いしたり、調整のことを教えて頂いたり、一緒に飲んだり(これ、重要でした)するうちに、少しずつ考え方のコアな部分に共感するところが増えていきました。年齢もほぼ同じ、やばい体験をしてきた過去でも(笑)「ニアミスしてた」ことがわかり意気投合。ワークショップの援軍を真剣にお願いしました。幸いにして所属する島村楽器の出張許可も下り(ワークショップ中も、ワークショップに提供していただいた気になる楽器を見つけて製作者とお話しを。しっかりお仕事してました/笑)
ワークショップの内容は、茂木さんが加わったことで一変しました。私ができることにとどまらず、本格的な調整作業(魂柱を動かす、駒を削る、センターラインのテンションを全面的に変える、などなどなど)がその場でできることになり、楽器の能力を引き出すアイテムが一気に豊富になりました。
そして、ヴィオリストの坂本さん。ヴィオラの試奏者として、アシスタントとして、ワークショップの進行に欠かせない役割を果たしてもらえました。デザイナーの小林さんは、プロジェクターに作業の様子を写したり、臨機応変にイラストを描いたりしてもらって、ワークショップをより効果的なものにしてくれました。
3日間にわたるワークショップは、成功裏に終了しました。多くの製作家に参加していただいただけでなく、「工房にも来てくれ」「またやってほしい」という声もたくさん聞こえてきました。
そして、ワークショップに提出していただいた楽器の中から楽器をセレクトし、25日のコンサートを行いました。23、24日の練習で、津留崎さんの指導の元、どんどん出来上がっていくアンサンブルを楽しみながら、コンサートも行うことができました。この間の出来事を、順に報告させていただきます。少し時間がかかるとは思いますが、お付き合いをお願いいたします。
最後に、当初は無謀とも思われたこの計画を後押ししてくださった鶺鴒社の佐瀬社長に、心より御礼を申し上げます。