久しぶりに、音楽日記を更新します。
震災以来、公私ともにさまざまなことがあり、なかなかブログを更新する気になれませんでした。その間に、私を取り巻く環境も少し変化しました。これからは、短くても少しずつ更新しようと思います。(仕事の合間の休息、または「逃避」かもしれませんが/笑)
今日のテーマは「表現することは準備すること」
発表会(今年は残念ながら中止になってしまいましたが)やアンサンブル合宿をやっていると、生徒たちが少しずつ成長していることがよくわかります。最初は楽譜を追いかけたり、人の音を聞いたりすることで手一杯だった生徒たちが、少しずつ「表現する」ことにも意欲がわいたり、人の表現を受け止めることができるようになってきます。そんな中で、表現をテーマにレッスンやお話をすることが何回かありました。私自身の備忘録として、こういうことも記しておこうと思います。
音楽は、テンポや音量が常に一定ではありません。一定であるところの方が少ないかもしれない。特に、何かを表現しようとすると、どうしてもテンポが緩む(音が長くなる)ことが多いものです。意図的にそうするならよいのですが、意図せざる「遅れ」や、テンポ自体(音楽の進行自体)が緩んでしまって、結果的に遅くなってしまうこともあります。何故このようになるのか、また、音楽的な進行を阻害しないためにはどうしたらよいのかをコメントすることがありました。
譜例は、バッハのパルティータ2番の「Allemanda」です。私は、ある程度進んだ生徒(特に大人になって始めた生徒や一定以上の年齢の生徒)には、エチュードの替わりにバッハを課題にすることが多いのですが(概ね、クロイツェルに入るレヴェルから。ドントのop.37を何とか、というくらいです)、このような名曲だと、生徒も「こう弾きたい」という意欲がでてきます。こうしたときによく起こるのが「遅れ」「勢いがなくなる」「つながらなく」といった症状。「やりたいことはわかるんだけどね・・・」
表現をしようとするときにこうした症状が起こると「センスがない!」といって切り捨ててしまいがちなのですが、私の持論「音楽のセンスの基本は経験値であり、だれでも身につけることができるもの」に従えば、こうした症状も音楽的なものに変えることができるはず。
みなさんも一緒に考えて下さい。譜例に取り上げた部分の1、2小節目に、テヌートが書かれています。これはショット版(いわゆる「シェリング版」)で、バイブルのように使っている方も多いと思いますが、私はいろいろと問題点を感じています。ひとつは、こうした「シェリングが書き加えた記号」の是非です。このテヌート記号は、私にはとても違和感がありますが、今はそれは問題にしません。今回のテーマは、「強調するとして、どうするか」という問題です。(鉛筆で書いてある→は、この楽譜を使っている生徒が書き込んだものです。無視して下さい)
この楽譜に従って弾いたとしましょう。テヌートが書かれているところを、テヌートとして一般に思われているように(音の長さを十分に、音の大きさを保って)弾いてみることにします(注)。
(注)テヌートの定義にも問題がありますが、その点は今回は無視します。少なくとも「音を長く」は完全なる間違いで、「音の長さを十分に」は30点(すなわち、落第)、「音(の大きさ)を保って」は50点だと思っています。
この音だけを指示通りに長めに(音を保って)弾くと、とても妙なことになります。その音だけが突出してしまい、音楽の流れが妙なことになってしまうのです。生徒に弾いてもらうと、この「妙な気分」を避けようとして、テヌートの後が自然にゆっくりになってしまうことが多いのです(というか、ゆったりとしないと、確かに奇妙です)。しかし、表情を付けようとするたびに遅くなっていては・・・ではどうするのか。
音楽的に弾くためには、実は「強調するところ」の事前準備が必要なのです。
仮に、シェリング版のとおりにテヌートをつけて強調するとしたら、それを強調してもおかしくないように前のフレーズを弾かなくてはなりません。そうすれば、テンポを失することなく、強調できるのです。
もちろん、作曲者が突然大きくしたり小さくしたり、という指示をすることもあります。それはそのように表現するものですが、作曲者が書いたものに自分の表現を加える場合は、強調したいところに向かう準備が大切なのです。
これは、コース料理を食べることに似ていませんか?
どんなに美味しいメインでも、その前のプレートがメインを食べたくなるようなものでなくてはなりません。シェフは、こうした組み立てに心血を注ぎます。ね。やはり「音楽は料理だ!」