小栗まち絵ヴァイオリンリサイタル(エクソン・モービル音楽賞受賞記念)
ピアノ:上田晴子
2005年2月15日 大阪・いずみホール
[演目]
- モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ホ長調K.380
- バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番
- イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第五番 ト長調
- ドビュッシー:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調
- ラヴェル:ツィガーヌ
- =アンコール=
- 山田耕作:からたちの花(作曲者自身の編曲による)
- クライスラー:ジプシーの女
- フォーレ:こもりうた
私が最も尊敬するヴァイオリニストの一人であり、かけがえのない指導者でもある、小栗まち絵先生のリサイタルを聞いた。先生が昨年受賞されたエクソン・モービル音楽賞の受賞記念コンサートである。いずみホールでの演奏会を聞くのは初めてで、それも興味の対象であった。
私が小栗先生と知己を得たのは、10年程前に日立で行われた室内楽フェスティバルの公開レッスンでのことである。そのときの先生のレッスンへの姿勢、内容、話術に、その場で「信者」になってしまったのだが、実際に先生の演奏をリサイタルというまとまった形で聴くチャンスにはなかなか恵まれなかった。今回は、上記のようなヴォリューム十分なプログラムで、2時間半があっという間に過ぎてしまった。
バッハまではオールドタイプの弓を用いて、後半は通常のモダンボウでのコンサート。途中で弓を持ち換えることも大変だと思うが、その意図は十分に理解できた。やや軽い、スピードのつけやすい弓を使ったモーツァルトとバッハは、ともすれば楽器を「鳴らしに」力ずくになりがちなコンサートホールでの演奏を避け、運動性能が十分に発揮される「速い」弓を縦横にコントロールし、非常に軽やかで美しいものであった。
バッハは、いずみホールの長い残響を巧みに利用した、全体的にテンポの速い「軽めの」もので、各楽曲の本来のスタイルを活かしたものだった。シャコンヌは無駄な重音の重複を極力避けた、当時の演奏を髣髴とさせるもので、とても「素敵な」ものだったと思う。
後半は一転してラテン系のものが続く。全体として、音楽の一部を誇張することはぜず、全体の構成や流れを重視した、とても聞きやすいものだった。三曲とも、演奏家によっては、ある種の「グロテスクな」起伏をつけたい衝動に駆られるものだが、そうしたものを極力排し、いわば曲の「原色の」光景を描いたものだったと思う。
私が注目していたのは、リサイタル自体を楽しむことと同時に、小栗先生の演奏の「方法論」だった。普段私が教えていること、書き散らかしていることを、先生の演奏から検証したかったということも大きい。得たことは非常にたくさんあるが、特に右腕を長く使うことについてはとても勉強になった。腕を長く使うことで、音質、音量の向上をはかることは生徒みんなに強調していることだが、それを物理的な音の要素だけではなく、演奏自体に厚みを持たせ、ダイナミックな演奏にしていたことが、自分のイメージをさらに大きくできたように思う。
共演者の上田さんのピアノも好感の持てるものだった。モーツァルトでは軽やかさと音程感覚を、ドビュッシーでは音楽を大切にする姿勢を、ラヴェルでは共演者としての細やかな心遣いを感じた。
5月のヴィオラスペースにも出演されるようなので、再び聴きに行こうと思っている。