来る22日に、オーケストラCONSONOの初めての演奏会があります。私の活動をご存知の方なら、発表会もずっと「CONSONO21」という名前で行なってきましたので、この名前にピンと来たはずです。
———— Orchestra CONSONO 1st Concert ————-
- W. A. Mozart Symphony No. 41 in C Major, K.551
- F. J. Haydn Cello Concerto No. 1 in C Major, Hob. VIIb/1
- L. v. Beethoven Symphony No. 5 in C minor, op.67
チェロ独奏 津留崎直紀
指揮 柏木真樹
1月22日(日)13:30 開場 14:00 開演
第一生命ホール(晴海トリトンスクエア)
入場料 100円(終演後に、コンサートを面白いと感じていただけた方には、寄付をお願いしています)
—————————————————————–
実は、新しいオーケストラを作りたいという気持ちは、20年前から持っていました。ちょうどその頃、方針の違いでそれまでいたアマチュア・オーケストラをやめてから、きちんとした音楽ができるオーケストラを作りたい、という気持ちを持ち始めたのです。当時は私もアマチュア・プレーヤーでしたから、指揮をする、ということではなく、自分がリーダーをやるオーケストラを作りたかったのです。当時の音楽仲間には「40になったら、新しいオーケストラを作る!」と宣言していました。その後、私の音楽的な事情が大きく変化し、プロの指導者として、そしてアマチュア・オーケストラのトレーナーとしての経験を積んでいく間に、考え方が少しずつ変化していきました。
最初は、漠然と作曲家の意図を十分に理解した演奏がしたい、と思っていただけだったのですが、そのうちに「音楽的な常識をきちんと身につけた演奏をしたい」という気持ちが強くなりました。その気持ちが強くなった背景には、バロック音楽の理解を自分なりに深めたことや、音律に対する知識や経験を積んだことがありました。音楽的な「常識」に、歴史的な「筋が通った」と感じたのです。
私たちの世代(50代)がヴァイオリンを習った頃(1960~70年代)は、古典派以前の音楽に対する「常識」はかなりいびつなものでした。19世紀最後から20世紀初頭にかけて完成したモダン奏法や、その後の「演奏ロマン主義」(注)の影響で、ヴィヴァルディであろうとバッハでやモーツァルトであろうと、とにかくロマンティックに演奏することが「正しい」とされていたのです。フェリックス・アーヨ率いるイ・ムジチ合奏団のヴィヴァルディがもてはやされ、ワルター・バリリ四重奏団のモーツァルトやベートーヴェンやフルトヴェングラーやクレンペラーのベートーヴェンが「最高」とされていました。作曲者の発想記号やテンポのイメージは軽視され、「精神性」というわけのわからない言葉が音楽の評価の中心であったりしたのです。
(注)演奏ロマン主義:これは、私の造語です。私は、演奏者の表現が重視され、作曲家のイメージが軽視される傾向にあった1960年代ごろまでの演奏スタイルをこのように呼んでいます。ベートーヴェンが八分音符=80と指定している第3交響曲の第2楽章などは、八分音符=60以下のテンポで演奏されることすら少なくありませんでした。また、全ての音にヴィブラートをかけることがもてはやされたのです。もちろん、時代がそれを望んだということも否定できませんが、結果的には、作曲者が意図した音楽とは全く別のものになっていたことは間違いありません。
そのような時代背景の中で育った私たちは、ヴィヴァルディを弓先のデタシェで演奏し、モーツァルトをヴィブラート全開で歌うことが「正しい」と思っていました。それがひっくり返ったのは、ベーレンライター版などの原点版の普及と、作曲者が生きた時代の演奏を目指した演奏家が増えたことが大きな要因でした。そこには、それまで私たちが学んだ音楽とは全く別の世界が広がっていました。
人間は、強い刺激に慣れると、それ以上の刺激を求めるようになります。音量は次第に大きくなり、ヴィブラートは派手になり、遅いものはより遅く、速いものはより速く、という傾向が強くなるのです。そうして歴史を重ねる間に、音楽は作曲者がイメージしたもとのは似ても似つかぬものになりました。こうした歴史の流れの中で、「作曲者が何を思っていたのかを見直そう」と考える音楽家も増えてきました。中には、古楽器を使うだけでなく、演奏会場もその時代の大きさ、響きにこだわって選択する演奏家もいます。
しかし、私たちは、ピリオド奏法(古典的な楽器を使って弾く奏法)を取り入れるわけではありません。私たちが使っている楽器はあくまでモダンの楽器であって、ピリオド奏法が相応しいとは思えないからです。モダンの奏法を使っていかに作曲者の意図を表現することができるか、というのが、私たちの目標です。そして、それこそが、私たちが作曲者が遺した宝物の素晴らしさを体験できる、唯一の方法ではないかと思うからです。
練習は、音楽的な「センス」をいかに磨くか、ということに注意し、作曲者の意図を理解する、という目標を置いて続けてきました。フレーズの取り方、ヴィブラートをかけないことなど、最初はメンバーもだいぶ戸惑っていたようですが、少しずつ、形になってきました。ただ、やはり始めてのコンサートで、オーケストラとしてのアンサンブル能力が鍛えられていません。2回、3回と続けていくうちに次第に良くなっていくのだと思いますが、この点だけは克服できたとは思えません。そのことが、心残りではあります。
しかし、この名曲を、最初のコンサートで取り上げられることは、至上の喜びでもあります。来場されるお客様に、ベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンの名曲の素晴らしさが、少しでも感じていただければ、と思っています。