去る1月12日、茨城県のある町で、ストリングアズールが始めて「人前で」演奏するチャンスをいただいた。アズールのマネージャーをやってくれているKEI先生のピアノの発表会に「便乗」させてもらう形で時間を頂いて、アイネ・クライネ・ナハトムジーク全曲を演奏した。
正直、アズールを始めて暫くは、「いったいどれくらいたったら人前で演奏できるようになるのだろうか」と全く見当も付かない状態だったといって良い。口では「三年後」とか勝手にほざいていたが、あくまで「ある程度のレヴェル」まで到達するまでは、人前には「出さない」つもりでもあった。今回は「便乗」ということで、幾分気が楽ではあるが、しかし子どもたちの前で、余り恥ずかしいことはできないのは当たり前だ。年末年始に強化練習などを入れて、当日を迎えることになった。
アズールで僕が目指していることは、「音楽的な演奏をする」という一言に尽きる。音楽的、ということが、世間ではいかに「理解されていないか」と嘆いている身としては、レイトスターターばかりの団員からなる合奏団とはいえ、目指すところは高い。
世間の指導者が見たら呆れかえってしまうだろうが、アズールの練習では、まさに「一音一音」の高さや意味を考えてきた。旋律線で演奏すべきところはそのような音程で、和音でとるときには自分がどの和声の何を弾いているのかを理解して、と、毎回のように口うるさく言ってきた。そして、僕自身が驚くほど、彼らはそれを身につけてくれ始めている。
本番には、助っ人兼任の僕の連れ合いと、ヴィオラのエキストラが一人だけ参加してくれた。もちろん、この二人は放って置いてもちゃんと弾いてくれるのだが、周りの「下手っぴいたち」のあまりの音程の良さにびっくりしていたようだ。本番はそれほどでもなかったが、年末の練習の時、出だしの4小節を聞いて身震いがした。やればできるのだということを当たり前のことだが再確認した。
もちろん、音程だけでなく、モーツァルトが何を考えていたのか、ということを徹底的に共有しようとしたつもりである。身体も少しずつ使えるようになりつつある。何でもやってみて「自分にとって気持ちよいこと」が音楽になるようにしようという姿勢は、何より貴重な財産だろう。アンサンブルとしてまだまだとても演奏会を自前で持てるほどのレヴェルではないが、その日もこの様子だとそう遠い将来ではない。
これだけ「贅沢な」練習ができるアンサンブルも珍しいだろう。とことんやってみることの面白さと、自分たちの限界までやってみる経験が積み重なれば、とんでもない演奏だってできるはずだ。そうなって、指導者としての僕の首が切られる日が一日でも早く来るように、またうるさいことを言わせてもらうつもりだ。