私は長い間、新作楽器を半ば否定していました。値段が安いものはともかく、ある程度以上の値段を出すのに新作を買うのは良くないと思っていたからです。理由はたくさんありましたが、主に5点です。
① 楽器の音はどんどん変化する。新作楽器はどのように変化するかがわからないので博打になってしまう危険性がある。時間が経った楽器はその中で残ったものだから安心である
② 楽器は乾燥が進むと反応が速くなる。新作楽器はどのように弾いてもある程度以上時間が経った楽器に反応速度では負けてしまう
③ 作られたばかりの楽器は「じゃじゃ馬」で、落ち着くまでにある程度時間が掛かる
④ その割に、特にイタリアの新作楽器は値段が高い。同じお金を払うのであればドイツやフランスの少し時間が経ったものの中に良い楽器がある
⑤ 信頼している楽器屋さんが新作に対して懐疑的だった
特に第4の理由から、特にイタリアの新作楽器は買うべきではない、という意見を持っていました。どのくらいまでを「新作楽器」と呼ぶのかは難しいところですが(30年前に作られたものでも新作か、という意味)、モダンとされる楽器でもイタリアのものは「高すぎる」と感じていました。この点は今でも「高いなぁ」と思っていますが。
20数年前にクレモナの製作家である松下さんの新作楽器を初めて弾かせていただいた時も、「良い楽器だ」とは思いましたが、反応速度とじゃじゃ馬ぶりには「やはり新作楽器は・・・」というイメージを完全に払拭されるものではありませんでした。その楽器は3ヶ月お預かりして弾いていたのですが、みるみる音が変わっていってぐっとよくなったのですが、「やはりすぐに買うのは危ない」というイメージは変わらなかったのです。
実際に、楽器に使われている材木が時間経過によって乾燥が進むと、反応は速くなります。これは弓でも同様で、新しい弓より丁寧に扱われてきた古い弓の方が音の立ち上がりが早いのです。もちろん、仮に100年経った楽器と作りたての楽器が同じ反応をするのであれば、新作楽器はもっと高い(ないし、古くなると上がることがなくなる)はずです。しかし、10年や20年の違いは、材料そのものが良いもので時間が経っていればある程度は軽減されますが。
考え方が変化したのは、クレモナに行ったから突然に、ではありません。10年ほど前から少しずつ変化していたのが、クレモナの経験ではっきりした、という言い方が正確だと思います。最初のきっかけになったのは、10年ほど前のテツラフのコンサートです。テツラフはパワフルな演奏と表現で私がとても好きなヴァイオリニストですが、とても多くのことを考えていることが演奏からわかります。バッハでは明らかに2種類のボウイングを使い分けていましたし、ブラームスの協奏曲では飛んだり跳ねたり(笑)演奏ももちろんですが、パフォーマンスとしても楽しめるヴァイオリニストです。「新作を使っている」とプログラムに書かれているのを見て「え、ストラド持ってるのに・・・」とがっかりしたのですが、演奏を聴いて「案外いいじゃん」とびっくりしたのです。もちろん、ストラドで演奏したものと比べたわけではない(少なくとも時間が経っているので正確な比較にならない)のですが、「これならコンサート(その時は大きくないホール)で使える」と感じたのは確かです。しかもイタリアの楽器が大好きなのにドイツの楽器なんです!!これは衝撃的でした。「新作楽器の中にも十分にコンサートで使えるものがあるなら、その域でなくても良い楽器はあるのではないか?」と考えるようになったのです。それからは少しずつ楽器屋や弦楽器フェアなどで新作楽器を見たのですが、そこそこ良い楽器があってもやはり値段に見合うという感じは持てませんでした。ただ、新作楽器に対するアレルギーにも似た気持ちは完全になくなりました。
一昨年、クレモナに行ったのはそんな中での出来事だったのです。モンドムジカを挟んでの訪問だったので、思いの外たくさんの楽器に触れることができました。
クレモナでのモンドムジカの位置付けは大きく変化しました(一昨年のレポートを参照してください)。製作者団体や若手の製作者グループはすでにモンドムジカから抜けていて、同時期に市内で展示会を行っています。しかし、多くの製作者が世界中から人(主にディーラー)が集まるこの時期に向けて楽器を作っていることは確かで、楽器の在庫があることが多いのです。もっとも、作る端から予約で売れてしまう人気製作家の楽器は、よほど運が良くなければ、現地で見ることはほとんどできませんが。
クレモナでたくさんの楽器を弾いて、「これはすごい」と思ったわけではありません。「しっかりした楽器ばかりなのに、どうしてイマイチ感があるのかな」というものでした。演奏家との交流が少ないためにセットアップがしっかりしていないことが原因のひとつであることがわかったことがそれからのクレモナ行きのきっかけになったのは、以前のレポートに書いた通りです。それ以降も、クレモナや日本でたくさんの楽器を調整しなおしてみて、「これはひょっとしたらいけるかも」と感じるようになったのです。多くの製作家が真剣に楽器を作っていて、自分の楽器を向上させようと努力しています。その中で、私たちの提案がかなりの数の製作家に興味を持っていただいたことも確かだと思います。
実際に、魂柱や駒、テールピースなどの調整で音は劇的に変化します。その楽器が持っている固有の音色以外のほぼすべての要素が変化すると言ってもいいでしょう。新作楽器の弱点であった「立ち上がり」も、かなり改善されます。楽器の作りがしっかりしていれば(この点はクレモナの楽器はほとんどが水準以上だと思います)、あとは奏者とのやりとりで改善できる部分も大きいのです。もちろん、それがひいては楽器製作そのものの工夫にも反映するでしょう。
クレモナの工房で面白かったことはいくつもありますが、売り出し中の若手の製作家のところでは面白い経験をしました。最初は全く飛び込みで入ったのですが、とても良い楽器を作る製作者です。2度目の訪問で弾いた時にいくつか不満があったので、ストレートに言って駒を触らせてもらいました。その変化を聞いて彼は驚き、そのあとじっくり話をしました。その3日後にあるディーラーに渡す予定の楽器だったそうですが、それから3日間、彼はひたすら魂柱と駒を動かしていたようです。ディーラーが目にした楽器は、駒が大きく曲がっていてびっくりして質問したら「この状態が音が一番いい」と言って弾いて聞かせたそうです。もちろん、駒が曲がっていては使い物になりませんから、他のパーツの調整でこの「駒が曲がった状態」の音を作り出すことがセットアップの目的になりました。できあがった楽器がとても素敵なものであったのは言うまでもありません。
新作楽器のメリットも少なからずあります。
まず、誰が作ったものかが明白であること。新作楽器には製作者の製作証明書をつけてもらえますから(クレモナであれば、CONSORZIOの会員の楽器は製作過程を記録した写真を証明書に添付することが義務付けられている。それ以外の製作者も、写真付きの製作証明書を出してくれることがほとんど)間違いありません。楽器の真贋がわからない私たちのような楽器の素人にとっては、これ以上に確かなことはありません。
自分に合った楽器を作ってもらうことも可能、というメリットもあります。実際、小さな楽器を探していた生徒用に、クレモナで最も好きな製作家の一人に楽器を作っていただいたのですが、手の形を考慮してさまざまな提案をしていただきました。結果として出来上がった楽器もとても素晴らしいもので、大満足です。
しかし、これはデメリットと表裏の関係でもあります。発注した楽器は原則的に引き取らなければならない(デポジット分が無駄になる)ということです。楽器屋で選ぶのであれば複数の楽器を弾き比べて選べますが、発注して買う場合は(楽器屋を通さないという金銭的なメリットはありながらも)よほど信頼できる製作家のものでないと危険なのです。楽器屋は、そうしたリスクも販売価格に反映させなければなりませんから、ある程度の利益を確保する必要があるのです。
何よりメリットとして大きいのは、製作家と直に話ができるということでしょう。「自分のために作ってくれた楽器」ですし、製作家も買った人の感想をとても喜ぶものです。楽器に対する愛情もより高くなるのではないかと思います。
その他の点についても述べておきます。「じゃじゃ馬」ですが、しっかりした製作者の楽器はすでにこのようなことはあまりありません。実際に弾いてみるとわかりますが、弾き手には新作楽器だとわからないものもあります。最初にお話しした松下さんの楽器も、最近のものはまったく「じゃじゃ馬感」がありません。最初からバランスもよく、しっかりした音を作ってくれます。あとは好みの問題。
クレモナほど入れ込むことはできないとは思いますが、他の製作者のところにも行ってみたいと思っています。老後の楽しみかなぁ・・・