今回は少しクレモナのレポートをしっかり書いてみようと思います。
最初はトリエンナーレです。ことしは3年に1回のトリエンナーレの年でした。
Triennaleとはイタリア語で「3年に一度」という意味です。英語だとtrienrial。2年に1度だとbiennaleです。もともとは美術博覧会を指したようですが、クレモナでは現在は3年に一度制作コンクールが行われているので「トリエンナーレ」が固有名詞のように使われています。
トリエンナーレのシステムでは、ベテラン製作者5人とプロの演奏家5人の合計10人によって審査されます。製作者と演奏家の持ち点は55:45でやや製作者の点数に重きがあります。楽器製作の街なので当たり前なのかもしれませんが、結果的には「一番良い音がする楽器が優勝する」というわけではないことが少なくありません。提出された数百台の楽器は、まず製作者の審査員が「こりゃねーだろ」というものをハネ(ほとんどないそうですが)その後審査員が1台1台を手に取って点数をつけていきます。その結果、最終審査に残る楽器が決められ(毎年同じではありませんが6台くらい)、発表の3日ほど前に「音響審査」という最終テストがヴァイオリン博物館のコンサートホールで行われます。最終審査はあくまで「最後の審査」であって特別に配点が高いということはないので、音が良いので大逆転、ということは起こりにくいシステムです。
3年前の前回には、僕がイタリアに行き始めてからずっと気にしていた根本和音くんがチェロでゴールド(1位)を取りました。コロナ下で行けなかったのですが、発表直後に電話をもらって思わず泣いてしまったのを覚えています。「なんで僕がいけない時に取ったんだ」という悔しさもありましたが(笑)
さて、ことしのクレモナレポートをトリエンナーレから書こうと思ったのは、クレモナが大きく変化すると同時にトリエンナーレも変容しつつあり、楽器製作のコンクールとしての意味が揺らいでいると感じたからです。現地の製作者は、審査委員の選び方にかなり不満があったようですが、それよりも「誰のためのコンクールか」がわからなくなりつつあるように感じて危機感を持ったからです。審査委員について感じたのは、表彰式で演奏した審査員の演奏が「楽器を鳴らす」「楽器の持っている良い音を引き出す」ことよりも「自分の技術を見せびらかす」ような選曲が多
く、残念ながら楽器の音や個性がよくわからない演奏が多かったのです。今回はヴァイオリンとヴィオラに1位がなくコントラバスに至っては1位2位がありませんでしたが、仮に1位の楽器があれば公開の場で演奏されるのは表彰式の日が唯一のチャンスなのです(後述)。その演奏が楽器を鳴らさないで終わってしまったら、せっかく作られた楽器が可哀想すぎます。複数の楽器が使われたコンサートではどの楽器が良いのかさっぱりわかりませんでした。6年前は特にチェロの音の違いがはっきりわかって面白かったのですが(僕の見立てと順位は違いましたが)
もっとも「?」だったのは、参加した楽器の展示方法です。これまでは、提出された楽器は順位順にずらーと並べられていた
のですが、今年は入賞した楽器以外は全部アルファベット順になったことです。これでどの楽器がどんな順位なのかが全くわからなくなりました。これまでも「順位順である」ということは公式に発表されていたわけではないのでなにもわからずに見にきた人にはわからないかもしれませんが、もちろんクレモナを少しでも知っている人、特に自分が楽器を提出した製作者にとってはとても意味のある展示でした。見てみると、すでに十分に名前の通った人の楽器が意外に低い順序だったりすることもありました。若手の製作家にとっては「自分の楽器がどの位置にあるのか」はとても大切な要素だったと思います(実際にそういう声を何人もの製作者から聞きました)。励みにもなりますし、自分の楽器に足りなかったものが何かを楽器の見かけで比べることもできました(注)。
(注)僕は製作者ではないので見かけで判断する力は弱いと思いますが、展示された楽器を製作者と一緒に見て回ると、彼らが実にさまざまな視点で楽器を見ていることがわかります。特に若い製作者にとっては貴重な資料になっていたと思います。
なぜ展示方法が変わったのかはわかりません。たくさんの製作家に聞いてみたのですが、確たる答えを持っている人はいませ
んでした。邪推すると、ベテランで有名な製作家が下位に沈んでしまうのが「やばい」(特に商売的に)とされて順位を公表するをやめたのではないか、とも思ってしまいます。以前、ボディーニさん(注)にインタビューをした時に、「トリエンナーレはクレモナの製作家の製作意欲を増し、クレモナの楽器が進化することが目的であり、その役割を十分に果たしてきたと思う」ということを言われましたが、こうした改革(改悪)がクレモナの製作者を「育てる」という視点から見ると非常に残念なことになっているのではないか、と感じました。残念ながらボディーニさんに事後お話をお伺いすることができなかったのですが、是非聞いてみたいものです。
(注)ボディーニさんは公式には「Friends of Stradivari」という財団のトップですが、実質的にはクレモナの弦楽器製作についての「最高責任者」だと言えます。お医者さんから市長になった人ですが、ヴァイオリン博物館やトリエンナーレの運営についてもっとも影響力のある人です。
もうひとつは、展示楽器を試し弾きができなくなったことです。以前は製作者本人がいて了解すれば、その楽器についてその
場で試奏することができました。6年前のトリエンナーレ後には、僕も実際にヴァイオリンの2位を取られた三苫さんの楽器を弾かせていただくことができました。これはとても良いシステムで、製作者に興味を持った演奏家やディーラーがその場で音を確かめることができたのです。もちろん製作者にとっても自分の楽器の音を複数の人の演奏で聴き比べもできますから、得るものはとても多かったのです。
ところが今年、前述の根本くんのヴァイオリンを試奏しようとしてお願いしたら(根本くんも僕に試奏してほしかった)「楽器を弾くならホールを借りないとダメ」と言われたのです。1時間借りて2万円ほどなので、それでも試奏しようとしたら「ホールを借りるのは来週の水曜日以降」とのこと。根本くんはどうしても楽器の試奏を聴きたかったので「それなら一時的に返してください」とお願い(根本くんの工房で弾けるから)したら「10月13日までは返却できません」とのこと。つまりトリエンナーレやクレモナムジカを狙ってくる人に試奏してもらうチャンスはなく、製作者にとっても機会を失ってしまう可能性が強いのです。弦楽器、特にイタリアの製作家は1台1台丁寧に手作業で作っているので作れる台数も多くありません(多い人でも年間10台に満たないことがほとんど。もちろん弟子と作業分担してもう少し作っている人もいます)。しかもコンクールのために心血を注いで(いつもより時間をかけることも多い)作った楽器が試されることがないのです。コンクールに出す楽器は、もしゴールド(1位)を取るとヴァイオリン博物館が買い上げしまいますから、誰かに売ることを前提にすることはできません。
それ以外にも多くの製作家からさまざまな問題点の指摘がありました。その中には比較的深刻な問題もあり、「よし、トリエンナーレで良い成績を取ろう」という若手の製作家の意欲を削いでしまうのではないかと感じる問題もありました。次回(3年後)のトリエンナーレを僕が見られるかどうかわかりませんが(元気でいて見たいとは思っています)、多くの製作家にとっての大切なイベントであり、僕自身も製作者の成長を見ることができてきた場なので、良い方向に向かってくれることを願うばかりです。