実に久しぶりに、東京都交響楽団の演奏会を聞きにいきました。お目当ては、大野和士さんでしたが、庄司さやかさんがソロを弾くこともあり、これも多いに興味をもって行きました。プログラムは、ハイドンの「パリ」交響曲、ショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第一番、「火の鳥」(1911年版、いわゆる「全曲版」)でした。
大野さんの演奏会、昔はほとんど聞いていたのですが、最近は忙しくなったので、ご無沙汰でした。最近はどの演奏会もよくお客さんが入っているようで、東京フィルハーモニー交響楽団の常任に就任された頃やザグレブフィルの日本公演の時とは、だいぶ様子が違っています。今日も、庄司さんの人気もあるのでしょうが、ほぼ8割の入りでした。
最初のハイドンは、珍しく、やや戸惑いを感じたスタートでした。大野さんのイメージの進行とオーケストラにやや不一致があったように感じられたのです。オーケストラが演奏したいテンポが大野さんのテンポより少し遅いように思われました。このての「不整合」をほとんど感じたことがない指揮者なので、聞いていた私も、ちょっとびっくりしました。もちろん、表面的に破綻を来していたわけではありませんが、いつものような「自然な進行」が感じられませんでした。大野さんに「惚れた」のは、音楽に対する考え方や自分を置く姿勢なのですが、初期の頃から、「自然に音楽になる」指揮ぶりが、大きな魅力でもありました。私自身、大野さんの指揮で、オペラ「フィガロの結婚」を弾かせていただいたとき、冒頭から「弾かされてしまう」心地よさに酔ったものでした。そうした経験をたくさんしてきたので、若干驚いたのです。しかし、その「不安定な」状態は、ほどなく解消されました。その後は、さわやかなハイドンを楽しむことができました。
次は、ショスタコーヴィッチです。実は、庄司さんの演奏をライブで聞くのは初めて。聞いた人が、みんな口を揃えて「すばらしい」と賞賛していたので、聞きたかった演奏家でもありました。結果は・・やはり凄いですね。あの小さな体(身長は私より20センチほど小さいでしょうか、そして、折れてしまいそうな細い体つきをしています)のどこからこんな音が出るのだろう、という迫力があります。第四楽章の最後は、大野さんもオーケストラをほぼ「フルパワー」で演奏させていましたが、オーケストラを十分「その気に」させる演奏でした。
この日の圧巻は、やはり「火の鳥」でした。オペラ指揮者として若くして名声を勝ち得た大野さんですから、こうした「絵巻物」は、昔からお手の物です。自然にストーリーが見え、体が動く、とても心地よい演奏でした。
最近、少し演奏会に行くように心がけています。何も考えないで仕事の予定を入れていると、決して演奏会に足を運ぶことができません。音楽を教えている身としてそれはいかがなものか、と反省しています。レッスンを休んでしまった生徒さんには申し訳ありませんが、私自身がまだまだ学ぶ身ですので、これからも時々、演奏会のためにお休みしてしまうことがあると思います。