柏木真樹 音楽スタジオ

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ある生徒さんのレッスンでのことです。仮に、Cさんとしておきます。

Cさんは、私が書いたサラサーテの記事(The 親指)を読んでから、左手中指と薬指の中間がまっすぐになるように努力をしていました。今日のレッスンで、「左手に違和感がある」と言われ、症状をチェックしていてまた新しい問題が出てきました。右手は、中指と薬指の中間がまっすぐになるようにした方が指の運動が楽なのですが、左手は、親指と人差し指の腱がまっすぐな状態が「楽だ」と感じるのです。さて、困りました。
「常識に反している」のです。

最初は、「個体差」かとも考えました。この生徒さん、いろいろと面白い体の使い方をするので、私の「ネタファイル」(レッスン中に気がついた、新しい問題点や解決策などのメモ)にネタを提供してくれるベスト3です。ですから、「このような構造になっている可能性もある」ということで片付けてしまおうかとも思いました。しかし、どう考えても納得がいきません。そこで、パソコンを叩いてもらうことにしました。

Cさんの仕事は、コンピューター関係です。パソコンに打ち込みをしてもらうと、目にも止まらぬ速さです。しかし、じっくりと見ていると、面白いことに気がつきました。右手の手首は、キーを叩く指によって柔軟に運動するのに、左手は指だけがあちこちに動いているのです。そのために、キーによっては、左手指の腱が大きく曲がってしまうという運動が頻発していました。ここで、Cさんが小さい時に左利きを矯正したということを思い出しました。

人間の手はさまざまな運動をします。ここで問題になるのは、力を入れる作業と細かい作業の「分担」でした。

小さい頃から行う「細かい作業」の代表は、箸を持つことと鉛筆を持つことでしょう。Cさんは、これらの作業を右手で行うように矯正されてきました。しかし、自分が使い易い手は左手であり、強く持つ作業は、左手を中心に行ってきたのです。その結果、右手は細かい作業に相応しいように、中指と薬指の腱がまっすぐになるように、左手は力を入れ易いように、親指と人差し指の腱がまっすぐになるように、という、左右で違った形がデフォルトになっていたのでした。このことは、手をテーブルの上に置いて、手首の形を変え、さまざまな指の運動をしていただいて、判明しました。

これで、問題点が整理されました。親指と人差し指を中心に使うことに慣れている状態を、中指、薬指、小指が運動を阻害されない状態にもっていくことが必要です。現状で各指が速い運動ができないことが、これで理解されました。またひとつ、私の課題ができました。

今年も、発表会でチェンバロとのアンサンブルをやります。とても「贅沢な」ことなのですが、昨年やってみて、楽しいだけでなくさまざまなことを考えさせられたことが、再びやってみたくなった理由です。

ヴァイオリンの音を作る大切な要素に、音の立ち上がりと弓のスピードがあります。私は通常、ボウイングのトレーニングを、子音を付けた音が基本になるように教えています。子音のあるなしは、音の立ち上がりの明確なさになって現れるからです。子音がない音は、立ち上がりが鈍く、ホールで通らない音になりやすいのです。同様に、弓のスピードもとても大切なものです。弓のスピードを使えないと、速い曲が弾けないだけでなく、音そのものが曖昧なものになってしまったり、アクセントなどをプレスでつけるばかりになってしまったりします。

もちろん、音の立ち上がりに必要な子音は、楽器や弓が現在のようなものになってから使えるようになったものです。バロック弓とガット弦では、はっきりした子音をつけることは困難だからです。問題は、ここからです。

私自身、かなり長い間「勘違い」をしていたのですが、上記のような理由で、古典派以前の音楽は、子音のない、はっきりしない立ち上がりで演奏されてきたと考えていました。ですから、古典派以前の曲をモダン楽器で演奏する時には、当時の音よりも楽器の差を考えて、比較的ハッキリした子音を付けて演奏するものだと考えていたのです。中途半端な古楽の演奏を聴いて、バロックは後から音が大きくなる「ぼわっとした」ものであるかの印象を持っていたことも、ひとつの原因でしょう。

10年と少し前に、あることがきっかけで、自分の考え方の過ちに気がつきました。バロック弓とガット弦でも、弓のスピードを使うことで、子音に負けない立ち上がりが得られることを知ったからです。それからかなり長い間、どうしたら古典派以前の曲を「それらしく」演奏できるか、考えていました。それがある程度納得できる結論になったのは、三年前のことです。自分自身のボウイングの改造にとりかかったのも、それがひとつの理由でした(もっとも、改造自体は、よりモダンな考え方になったのですが・・弾き分けられることが必要であることに気がついたからです)。

そうしてみると、弓のスピードを生徒に要求するためにはどうしたらよいか、ということに悩み始めました。自分でやってみせたり言葉で説明したりはしていたものの、どうも生徒にイメージが完全に伝わったとは思えなかったからです。

昨年、チェンバロとのアンサンブルを発表会に取り入れて、この問題の解決に大きなヒントをいただいたように感じました。チェンバロという、弦楽器と親和性の高い楽器とのアンサンブルが、弓のスピード、特に初速の重要性を教えてくれたからです。

というわけで、今年もチェンバロとのアンサンブルが、たくさん予定されています。その中で、参加した生徒さんたちができるだけ多くのことを得てもらえたら、こんなに素敵なことはありません。

それにしても・・私のわがままな要求に応じていただいたチェンバリストと、大切な楽器をレイトスターターが中心である発表会に貸し出していただいている古典楽器センターには、感謝の言葉もありません。今年も、そしてこれからも、どうぞよろしくお願いいたします

Column

この半年で、若い生徒さんが増えました。はっきり算出したことはないのですが、半年前は、恐らく平均年齢が40弱くらいではなかったかと思います。それが、10代、20代の生徒さんが6人も増えて、ぐっと若返ったような感じです。ところが・・若い人たちの体の状態が大変良くないのです。

まず、筋肉をきちんと使えない人がほとんど。特に、腹筋や骨盤まわりの筋肉、肩甲骨を運動させる筋肉など、体の維持に大切な筋肉がまともに使えない人が多いのです。また、腰回りの骨格が安定していない人も多いですね。骨盤の形を維持できない人、肩甲骨が動かない人、腹筋運動が全くできない人など、まるで「老人のような」10代、20代が続出です。

私のところに通っている生徒さんたちが、若者全体の中で特に体の状態が悪いと考える特別な理由はありません。40代以上の生徒さんは、上達しないで悩んでいたり、体を壊していたりという人が多いのですが、若者たちは、普通の学生さんたちや働き始めた人たちばかりです。それなのに・・

そんな話を生徒さんとしてみたら、「電車の中でも、きちんと座れていない若者が多い」と感じている人が多いようです。若者の体はどうなってしまったのでしょうか。この現象の原因は、筋肉がきちんと発達していない、使えていないことが最大のものだと思います。

第一に、座っている時に、お尻がずるずると前に出てしまう人が少なくありません。原因は、骨盤が回ってしまっていること。骨盤上部が後ろに、下部が前に回転してしまっていて、まるで70、80の老人のようです。これは、骨盤のまわりの筋肉が衰えてしまっていることで起こる現象です。

当然、このような体の状態でヴァイオリンを弾くことは、上達しないだけではなく体にも問題を発生する可能性があります。調べてみると、あまりに悲惨な状態だったので、最近は基本的な体のチェックをほとんどの生徒さんに行っています。結果として、骨盤のゆがみを直したり、きちんと関節が動くようなトレーニングをしたりすることが必要になっている生徒さんが何人も・・

お弟子さんの中に、非常に「体が硬い」人がいます(Aさん、としておきましょう)。私がレッスンを見るようになって一年半になり、体の使い方は当初とは大きく違ってきたものの、どうしても「硬さ」が抜けきりません。レッスンのたびに体の使い方についての議論になり、私自身にとっても勉強になることが多いのですが、新しいテーマが出てくるたびに同じような問題に突き当たるのでした。それが今日、根本的な原因が判明したのです。非常に珍しいケースなので、私にとっても新しいファイルができました。さて、これからどうするか、ということを考えなくてはなりません。

経緯を理解していただくために、順に簡単に書いていきます。

Aさんは、日常生活でも体が硬いことはわかっていました。「朝起きたら寝たときと全く同じ格好をしている」というように、寝ているときでも体が動きません。腕を上げると、手首も指もまっすぐになってしまい、その状態が本人にとっては「力を入れていない」状態だったのです。私が「力を抜いて」と指示すると、「意識して形が変わるような状態を作る」作業をしていました。ここまでは、ほぼ理解できていました。そのために、「力が入った状態がデフォルトの人」という意識で問題を解決する方向を模索していたのです。

実は、無意識に力が入っている状態がデフォルトである人は少なくありません。私の生徒を例にすると、一割はこうした状態でした。さらに、運動するときに無意識に余計な力を入れる、というレヴェルになると、7割以上の人が当てはまります。この方の場合、この状態の極端な例だと認識していました。

ところが今日、ひょんなことから「もしかしたら生育の過程で空間把握能力が十分に発達しなかったために、全ての動作に力が入ってしまう結果をもたらしたのではないか?」と思い当たったのです。そこで、「物をつかむときに意識して手の大きさを調整していないか? 何かを飲むときに意識が他に向いたら、飲み物をこぼしたりしないか?」などの質問をしてみました。ビンゴです。

人間がモノをつかむとき、頭は非常に高度な作業をしています。視覚によってもたらされた情報から、大きさや重さ、硬さ、形状などを瞬時に識別し、適切な大きさに手を開いて予測される重さに合わせて体を準備します。結果として、「無意識に」物を持ち上げることができるのです。コップで液体を飲むときも同様。自分の体とコップの形状を判定して、上手に飲むことができるのです。小さな子どもを見ていると、スプーンが口の周りにいってしまったり、口をつけていない状態でコップを斜めにしたりといったことがよく起こります。これは、判断する材料が不足していて、正確な行動ができないためです。子どもは生育の過程で経験値を上げることで、次第にこういった作業を無意識に、正確に行うことができるようになるのです。

Aさんにくだんの質問をしてみたところ、コップから液体をこぼしてしまうことが少なからずあることがわかりました。レッスンのときに何通りかの物体を掴んでもらうことを試してみると、意識して手の大きさを調整していることもわかりました。歩いていて、足をいろいろなところにぶつけてしまうことも多いそうです。これで、今までのレッスンで問題となった、たくさんの謎が解けました。

Aさんの「無意識に力が入った状態」がどのようにして定着してしまったのかはわかりませんが、体の運動のほとんど全てが「意識する」ものだったのです。結果として、体に無意識に力が入ることが「当たり前」になっているのでした。

Aさんの事例は、運動生理学などの研究者にとっては、とても面白いサンプルになる可能性があります。空間の認識能力が低い人がいる、ということは知っていましたが(道を覚えられない、地図を見ても反対に進んでしまう、よくぶつかる、などの症状が有名でしょう)、その結果が体の使い方にまで及んでいる例を始めて認識しました(そんなことは常識だよ、と、専門家には言われるかもしれませんが・・・)。

意識した運動を無意識の領域に持っていく作業が困難である場合、ヴァイオリンに限らず、体を使うことに無理が生じてしまうことがあります。Aさんの事例がどのようなものであるかはもう少し検証してみないとはっきりとはしませんが、今までわからなかったことが判明したことで、解決策を見つける途についたのではないか、と思いました。

たくさんの生徒さんとお付き合いしていると、いろいろな人、さまざまなケースに当たります。私もまだまだこれからが勉強である、と、認識を新たにしました。

先日(といってもずいぶん前だが)、あるところでストラディヴァリを弾く機会があった。そこでちょっと凄い体験をしたので書いてみたい。

今まで、ストラディやグゥァルネリを弾いたことは三度ほどある。いずれも10年以上も前のことだが、はっきりいって「衝撃を受けた」という経験ではなかった。凄い楽器だということはわかるのだが、はたしてウン億円の価値があるのかどうかと疑問をもったものだ。その内の二台はオークション(サザビーだったかクリスティーだったか忘れた)にかけられている楽器のお披露目で、本物であることは疑いようがない。しかし、どう考えても「取り憑かれる」ような感じではなかったのである。

今回も、「どんなもんかなぁ」という気持ちが半分だった。お借りして弾き始めて数分間は、「よく鳴る楽器だなぁ」という感じで弾いていた。ところが・・・

五分ぐらい弾いていた時のこと。突然膝がガクガク震えだしたのだ。「あれっ」と思ったのは一瞬で、すぐに立っていられなくなってしまった。「おかしいなぁ」とつぶやきながら、見ていた方たちに「すみません、膝が笑っちゃいました」とお断りして、しばらくしゃがみこんだ。落ち着いてきたので再び弾き始める。今度は、腰から下が震えだしてしまった。

ちょうどG線でサンサーンスのコンチェルトを試奏していたときのことだと思う。足の裏に音の固まりがあって、まさに音に持ち上げられるような感覚が生じた。その上でふらふらになりながら弾いている気分なのだ。再び弾きやめて、しばらく休む。三度目。今度は少し予想して弾き始める。やはり音が下から持ち上がってくる。それからは、体をふるわせながら、20分ほど弾いてお終いにした。

聴いていた人の感想だと、突然楽器が鳴りだして部屋全体が響いたように感じたのだという。「凄い音だった」と言っていた。

弾きやめたのは、それ以上弾いていると本当に「取り憑かれて」しまいそうに感じたからだ。楽器を鳴らすことができるようになったからなのか、それともその楽器が特に良いものだったのかはわからないが、とにかく「凄い楽器」を体験することができたのである。こういう体験をしてしまったら、演奏家が楽器を手放せなくなってしまうのもよくわかる。

話には後日談がある。

その日の深夜から、私は原因不明の胃痛と吐き気に襲われた。翌日は食事も摂れず、数日間はほとんど何も食べられずに苦しんでいた。楽器の怨念なのか・・・「極度のストレス」というのが本当のところだろうが・・・

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