柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > ヴァイオリン+体と頭のこと > 空間認識能力と脱力の問題

お弟子さんの中に、非常に「体が硬い」人がいます(Aさん、としておきましょう)。私がレッスンを見るようになって一年半になり、体の使い方は当初とは大きく違ってきたものの、どうしても「硬さ」が抜けきりません。レッスンのたびに体の使い方についての議論になり、私自身にとっても勉強になることが多いのですが、新しいテーマが出てくるたびに同じような問題に突き当たるのでした。それが今日、根本的な原因が判明したのです。非常に珍しいケースなので、私にとっても新しいファイルができました。さて、これからどうするか、ということを考えなくてはなりません。

経緯を理解していただくために、順に簡単に書いていきます。

Aさんは、日常生活でも体が硬いことはわかっていました。「朝起きたら寝たときと全く同じ格好をしている」というように、寝ているときでも体が動きません。腕を上げると、手首も指もまっすぐになってしまい、その状態が本人にとっては「力を入れていない」状態だったのです。私が「力を抜いて」と指示すると、「意識して形が変わるような状態を作る」作業をしていました。ここまでは、ほぼ理解できていました。そのために、「力が入った状態がデフォルトの人」という意識で問題を解決する方向を模索していたのです。

実は、無意識に力が入っている状態がデフォルトである人は少なくありません。私の生徒を例にすると、一割はこうした状態でした。さらに、運動するときに無意識に余計な力を入れる、というレヴェルになると、7割以上の人が当てはまります。この方の場合、この状態の極端な例だと認識していました。

ところが今日、ひょんなことから「もしかしたら生育の過程で空間把握能力が十分に発達しなかったために、全ての動作に力が入ってしまう結果をもたらしたのではないか?」と思い当たったのです。そこで、「物をつかむときに意識して手の大きさを調整していないか? 何かを飲むときに意識が他に向いたら、飲み物をこぼしたりしないか?」などの質問をしてみました。ビンゴです。

人間がモノをつかむとき、頭は非常に高度な作業をしています。視覚によってもたらされた情報から、大きさや重さ、硬さ、形状などを瞬時に識別し、適切な大きさに手を開いて予測される重さに合わせて体を準備します。結果として、「無意識に」物を持ち上げることができるのです。コップで液体を飲むときも同様。自分の体とコップの形状を判定して、上手に飲むことができるのです。小さな子どもを見ていると、スプーンが口の周りにいってしまったり、口をつけていない状態でコップを斜めにしたりといったことがよく起こります。これは、判断する材料が不足していて、正確な行動ができないためです。子どもは生育の過程で経験値を上げることで、次第にこういった作業を無意識に、正確に行うことができるようになるのです。

Aさんにくだんの質問をしてみたところ、コップから液体をこぼしてしまうことが少なからずあることがわかりました。レッスンのときに何通りかの物体を掴んでもらうことを試してみると、意識して手の大きさを調整していることもわかりました。歩いていて、足をいろいろなところにぶつけてしまうことも多いそうです。これで、今までのレッスンで問題となった、たくさんの謎が解けました。

Aさんの「無意識に力が入った状態」がどのようにして定着してしまったのかはわかりませんが、体の運動のほとんど全てが「意識する」ものだったのです。結果として、体に無意識に力が入ることが「当たり前」になっているのでした。

Aさんの事例は、運動生理学などの研究者にとっては、とても面白いサンプルになる可能性があります。空間の認識能力が低い人がいる、ということは知っていましたが(道を覚えられない、地図を見ても反対に進んでしまう、よくぶつかる、などの症状が有名でしょう)、その結果が体の使い方にまで及んでいる例を始めて認識しました(そんなことは常識だよ、と、専門家には言われるかもしれませんが・・・)。

意識した運動を無意識の領域に持っていく作業が困難である場合、ヴァイオリンに限らず、体を使うことに無理が生じてしまうことがあります。Aさんの事例がどのようなものであるかはもう少し検証してみないとはっきりとはしませんが、今までわからなかったことが判明したことで、解決策を見つける途についたのではないか、と思いました。

たくさんの生徒さんとお付き合いしていると、いろいろな人、さまざまなケースに当たります。私もまだまだこれからが勉強である、と、認識を新たにしました。