柏木真樹 音楽スタジオ

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Column

これまた過激な題名ですが・・・これも、以前(1992年)書いたものです。内容に異論のある方も多いでしょうが(^ ^;;

また、最近では評論家の質も変わってきているようですね。

◎ 音楽評論家の害毒

私は、音楽評論家と言われる人たちが嫌いです。中には、少々評価している人もいるにはいるのですが。評論家を嫌いになったのには、多くの理由があります。

理由 その1)権威のような振りをして、純真な音楽愛好家を弄んでいる

私は、高校生の頃、熱心なリスナーでした。毎日のようにエアチェック(こんな言葉、知らない人もいるんじゃない?)し、レコードの批評にも熱心に目を通しました。そんなある日、フルトヴェングラーの全集が発売されました。ベートーヴェンやブラームスなど、高校生にとってはとても高価なものでした。しかし、なんとか頑張って買ってしまいました。なぜか、って、どれを読んでも、「このバイロイトの第9こそが至上の名演である」なんて書いてあったからです。

さて、わくわくしてレコードに針を落としました。もちろん、録音状態は良くありません。ところどころよく聞き取れないところもあります。しかし、これは名演なんだ、感動しなくてはいけないんだ、と自分に言い聞かせながら聴き進めていきました。しかし・・・4楽章になると、もうオケはバラバラ。最後なんて、一体何を演奏しているんだかさっぱりわかりません。しかし・・・「権威ある人たちがこれを名演だと言っているんだ」という天の声が聞こえてきます。

結局、この演奏の良さがわからない自分に感性がないんだ、と大いに落ち込んでしまいました。
もちろん、この演奏は、現場では歴史的な名演だったんだろうと思います。しかし、そこにいた人々は、その場にいたから感じられるものを共有して、名演を楽しめたのだと思います。それを・・・純真な高校生は、こうして自己嫌悪に陥ったのでした。

理由 その2)聴きもしないで演奏批評を書くやつ

実名を書くと問題かもしれないんだけど・・・演奏会を聴いた振りをして批評を書くやつも多いみたい。ある人は、アンコールの曲を間違って書いていました。曲を知らないとは言わせないぞ。ある人は・・・

とある、オペラでの出来事です。このオペラは、ある作曲家のシリーズをやっていて、だいたい歌手も同じメンバーでやっていました。さて、ここにとても問題のあるソプラノがいらっしゃいました。音程はとれない、高い声はでない、声量はない、と、ないないずくし。しかし何故か、いつも良い役をやっていました。(理由は知っているんですが、書くと個人を特定しちゃうから書かない)

さて、ある評論家が、このオペラを聴きに来ました。(いや、正確には、このオペラの批評を書いていた、というだけなんですが・・・)その文章を読んで、オペラを見た人たちはみんなひっくり返りました。なんと、そのソプラノを褒めちぎっていたんです。おべんちゃらを書きたかったのなら、聴いてから書くべきでした。よりによって、大失敗したアリアを誉めてたんですから。

理由 その3)有名になると手のひらを返すやつ

こういうやからは、どの世界にでもいるようですね。ですから、あんまり書いてもしょうがないのかもしれませんが、この前ある評論家の大野氏に対する評には頭に来ました。なーんにもわかってないんだから。彼は、手のひら返しでも有名だそうですので、ここで大胆な予言をしちゃいます。かの評論家氏は、大野氏が世界的に認められるようになったら、手のひらを返すでしょう。ふん、大野氏は、すぐに世界の大野になるでしょうから、そのときが、み・も・の。

まだまだあるんだけど、疲れたからこのくらいで(_ _)

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音程の良いピアノ、といっても、調律の話ではありません。私たちは、ピアノもヴァイオリンも一応弾くのですが、ピアノの音程がとっても気になってきました。

ご存じのように、ピアノは平均律に調律されます。ですから、例えば長三和音なんかを無神経にたたくと、とっても汚い音がします。また、スケールだって、あんまり気持ちが良くない。ピアノだけを弾いているとあまり認識しないことが多いのですが、弦楽器と一緒に演奏すると、てきめん、音程の悪さが気になります。

このことは、長い間、私にとっては「解決使用のない問題」でした。なぜって、ピアノは音の高さが決まってしまっているからどうしようもない、と思っていたんです。でも、「きれいに聞こえるピアノ」と「汚く聞こえるピアノ」があることは気がついていました。初めのうちは、純粋に打鍵やペダリングなどの技術的な問題で「きれいな音がしている」から美しく感じるのだろう、と単純に考えていました。しかし、よくよく聴いてみると、どうも音程が良く聞こえることもあるのです。例えば、ミケランジェリのピアノを聴くと、とても音程が良い和音がなることがしばしばあります。さていったいどうしたことなんでしょうか。

その疑問が解けたのが、今から四年前に、日立で室内楽の公開レッスンを受けたときです。

ハイドンのトリオを受講したのですが、その場でピアニストに「音程をよくしなくちゃ」という指示がありました。先生はヴァイオリンの先生だったんですが(^ ^;; まるで、ピアノのレッスン。

先生が弾くと、確かに音程が良いんです。ドミソの和音をたたくだけなんですが・・・

秘密は、打鍵のタイミングにありました。ピアノの五度はまだ許せる音程です。(ほとんど純正調とかわらない)問題は第三音。このミの音をたたくのを、五度よりほんの少し遅らせるのです。もちろん、ずれているように聞こえるほど遅らせてはいけません。こうすることによって、楽器が響いている五度の中に、第三音がハモるように聞こえます。(是非やってみてください)

さて、一つ解決すれば、あとは応用問題。まず、ペダルを極力取りさります。そして、音程と楽器の響きを聴きながら工夫すると、無神経に弾くのとは比べものにならないくらい、良い音程のピアノになるわけです。
こうしてみると、この微妙な作業がきちんとできている耳の良いピアニストの演奏は、音程がいいんですね。迫さんなんかがその代表でしょう。これに対して、音程に無神経なピアニストの音は、やはり耐え難く汚い。

このことがわかって、ピアニストに出す注文が増えました(^ ^;;やはり、アンサンブルをするときには、少しでも音程の良いピアニストとやりたいですね。

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1987年に書いたものです。

ずいぶん前のものですが、アマオケにおけるチケット料の現状はほとんど変わっていません。ちょっと過激な内容と感じる人もいるかも知れませんね。^^;)

 

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この頃、 とあるアマチュアオケのトレーナーをしていました。トレーナーといっても、別 にトレーナー代をもらっていたわけではないのですが・・・

そのオケは、はっきりいって箸にも棒にもかからない、という感じのオケでした。私がトレーナーになる3年前に演奏会をちらっとみたのですが、ビオラ二人で未完成をやっていました。しかも、二人ともトラ(^ ^;;もっとも、私がいたころは、もう少しまともになっていましたが。

演奏会3回くらいお付き合いさせていただいたのですが、最後の頃、合宿でミーティングがありました。その場で、「次回は経費も多くかかるので、演奏会費用を500円から1000円に値上げします」という「連絡」がありました。私はそれにかみつきました。その時の話です。

この頃はピュアでした(^ ^;; よっぽどのことがないと、アマオケはお金を取るもんじゃない、と思っていましたから。最近は少し路線を変更しています。でも、基本的には、お金を頂く、ということについてもう少し考えた方がよいのではないか、とは思っています。

こんな演奏でお金を取れるんですか

演奏会の料金のこと、値上げには断固反対です。それどころか、むしろ無料にしても良いと思っています。

まず、演奏会の料金とは一体どういう性格のものか、ということを考えてください。もし、演奏会の「料金」だとしたら、私たちの演奏がその値段に値するものだと思いますか?そう考えている人は、間違ってもいないと思いますが。「有料のコンサート」ということは、お客さんにその値段を払ってもらう、ということです。それに見合う演奏会を開催できなければどうしますか?

これに対して、「実際はほとんどが団員によって配られた無料のチケットだから問題ない」という意見がありました。これはすり替えです。実際、当日券を買って入るお客さんも、わずかですがいるわけですから。

さらに、「アマオケのチケット代は、お客さんに運営費を助けてもらっているカンパのようなもの」という声もありました。ならば、チケットを無料にして、当日、「カンパしてください」とカンパ箱でも置けばよい。金額を決めた強制的なカンパ、なんてものは存在してはなりません。カンパとは、あくまで自発的なもの。

「どこのオケでも、500円や1000円はとってあたりまえだ」という声もありました。ですから、悪しき風習をやめましょう、と言っているのです。ほとんどのオケでは、このような話し合いをしていないでしょう。ですから、私たちがきちんとすれば、他のオケも見ならってくれるかもしれない。

「アマオケや合唱の演奏会は、お互いに行きっこしている相互扶助のようなもの」という意見もありました。これもとってもナンセンスです。「じゃあ、行かない人はどうする」

「指揮者やソリストはプロなんだから、無料にするのは失礼だ」という意見もありました。それなら、500円や1000円の値段を付ける方が失礼だと思いますよ。「あなたの演奏は1000円の価値です」ということですか?

でてきた意見は、おおむねこんな所だったと思います。はっきりいって、演奏会の料金を安易に値上げしようとする、また、そういうことに何にも疑問を持たない、という姿勢は、とても不真面目だと思います。

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 1996/1/1 Mon. 00:00

これは、あっちこっちで書いたり言ったりしてきたことです。私の人生で大切なこと、「音楽」と「料理」。言い換えると、「演奏すること・聴くこと」と「料理すること・食べること」ですね。

昔から、音楽家には美食家が多いといわれてきました。美食で寿命を縮めたと思われる演奏家もたくさんいますし、私の身の回りのプロの演奏家も、食べることが趣味、という人がとてもたくさんいます。

私流に言えば、「人生のもっとも楽しいことの一つである音楽を職業にしてしまった人は、もう一つの楽しいことである、食べること、を趣味にしないと生きていけない」っていう、とっても短絡的な結論になってしまうのですが(^ ^;;(じゃあ、料理人は音楽が趣味の人が多いのか、なんていうつっこみはなしですよ)

料理も好きだし美味しいものを食べるのもとっても好き。演奏するのも好きだし、演奏会に行くのも好き。音楽と料理には、とっても共通点が多いと思うのです。

まず、音楽にも料理にも「素材」があります。音楽の場合は、作曲家の残してくれた「曲」がそれにあたります。料理の場合は「材料」ですね。

新鮮な白身魚が手に入ったら、面倒な料理をしていろんな味付けをするより、まず刺身や塩焼きで食べたくなります。素材の味を十分に楽しみたいから。自然に育った健康で美味しい野菜が手に入ったら、なるべくその味が楽しめるように料理します。味付けもほとんどしない。ほんとに美味しい野菜で作ったミネストローネスープは、なみだがでてくるくらい美味しい。ここには、ベーコンだのスープベースだのはいりません。ほんの少しの塩と胡椒で十分。

音楽もそうだと思います。ただ、素材の味を楽しむためには、「楽譜通りに演奏する」という最大の難関が待ちかまえていますが(^ ^;;

素材を活かすためには、すてきなシェフと道具が必要です。これは、演奏家と楽器・ホールなどに当てはまるでしょうか。どんなに素材がすばらしくても、料理人がその素材をぐちゃぐちゃにしていしまうことがよくあります。モーツァルトが××××にかかると、とても聴けたものではないものになっちゃうのと同じこと(^ ^;;(この××××には、勝手に名前を入れてくださいませ(_ _;;;;)

食べる側のこだわりも、とってもよく似ています。

「美味しければよい」といって、どんな汚い店でも、どんな頑固親父が店主でも、ひたすら味を求めている人もいる。かと思うと、「やっぱりフランス料理はこういう店でないと」とか、「接客態度がなってない店で食べたら、味云々じゃなくなっちゃう」という人もいますよね。「音質が良くなきゃ」という人も「モノラルでも十分」という人もいれば、「ホールなんかどんなところにあってもいい」という人も、「周りの環境が・・・演奏会が終わってから、酔客の臭いを気にして満員電車で帰るなんていや」という人もいます。

だから、こんなホームページを作ったんです・・・

テンポを安定させるために、メトロノームで練習することは役に立つか、というのがもともとの命題です。メトロノームで練習することの意味や、インテンポって何だ?ということを何回か書いたのですが、それをリメイクしました。

インテンポとメトロノーム

メトロノームを使って練習をするか、というと、私はめったにやりません。なぜなら、メトロノームを使って練習しても、テンポが直ちに安定するようにはならないと思っていることが一つ、「音楽的なインテンポ」を殺してしまうような気がするのが一つ、です。

「音楽的なインテンポ」とは何か、というと、物理的にテンポが一定であるのではなく、音楽的に自然な安定したテンポ、のことです。どんな音楽でも(バッハやモーツァルトなどの古典派と呼ばれる作曲家の曲でも)、物理的に一定のテンポと音楽的なインテンポは違う、と思っています。音楽的なインテンポで演奏されているときは、フレーズによって、また音の配列や和声によって、微妙にテンポがゆれているのが実際だと思います。それは、「リタルランドする」とか「速くする」ということではなく、人間の感覚に心地よい安定感を感じる揺れです。

道を歩くことを想像してみてください。舗装された平坦な道を歩いている時は、何か特別 の事情がない限り、一定の速さで歩くことができますし、それが「きもちいい」はずです。しかし、大きな段差があったり、坂道があったりすると、歩く速さは一定にはなりません。大きな段差を上るには少々の時間がかかるでしょう。音楽の流れも、これと同じことだと思います。

以前、あるヴァイオリンの先生に、「大きな音の跳躍をするときにはそれなりの時間がかかるはずです。それを無理にインテンポで行こうとすると、物理的にも無理がきますし、音楽的にも正しくないことが多い」ということを教わったことがありました。この場合につかわれている「インテンポ」という言葉は、物理的に一定のテンポを指していますが、話の内容は同じようなことでしょう。

もちろん、物理的に一定のテンポで進行するのが音楽的に「きもちいい」のに、技術的な原因でテンポが安定しないのは困ります。メトロノームが使えるのは、このような場合と、「単にスキルをアップする」場合に限られている、と考えます。めったやたらにメトロノームを使った練習をするのは考えもの、だと思います。

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