柏木真樹 音楽スタジオ

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私がレクチャーコンサートを企画して続けていきたいと考えている最大の理由は、多くの作曲家が遺した作品が「コンテンポラリーである」ことを示したい/感じていただきたい、と思っていることです(このことは、実は書くつもりはありませんでした。しかし、何人かの生徒に鋭い質問をされ(苦笑)白状せざるを得なくなってしまったので、公平を期するために書いてしまうことにします)。何回かレクチャーコンサートを聞いていただくと「あ、また言ってる」という具合に感じていただけると思っていたので、敢えてお話をしなかったことなのです。続けて来られない方もいらっしゃるのですから、「ネタをばらす」方がいいかもしれません。

ここで私が言っている「コンテンポラリーである」ということは、「時代を経ても人々がその曲に価値を感じる」ということです。価値を感じる、ということについては、ある前提があります。それは「曲を借りて演奏者を表現するのではない」ということです。曲自体にコンテンポラリーな価値があるということは、曲の一部(旋律等)を借りて好きなようにアレンジする、ということとは違います。そのあたりのことは、レクチャーコンサートの資料に詳しく書きました。モーツァルトを演奏するときに、モーツァルトが書いた楽譜を借りて自分が感じるままの演奏をするのではなく、できるだけモーツァルトが感じたであろう音楽を再現しながら現代的な価値を見つけること、ということが目標なのです。

私が「博物館に入れるための演奏をするのではない」「学術的な正しさを最優先する訳ではない」ということの意味は、ここにあります。次回は、いわゆるバロック時代に書かれた曲でレクチャーコンサートを行ないますが、チェンバロを使いつつも、ヴァイオリンは普段の楽器、すなわちモダンのものを使います。この点にはこだわりがあって、モダンの楽器で演奏しても鑑賞に堪えるものになるはずだ、ということを強く思っているからです。ヴァイオリンがモダンでありながらチェンバロを使うことの矛盾を指摘されるかもしれません。確かに、音量が大きくなった我々の時代のヴァイオリンとチェンバロでアンサンブルをすることは、ピアノと演奏することよりも多くの解決しなければならない問題を含んでいます。しかし、それも含めて、バロック時代(や古典派のもの)をよりよい形で演奏できないか、というのがテーマなのです。

このことは、私は生徒から教わりました。私自身は以前から古典派やそれ以前の音楽が好きだったので、発表会でチェンバロを使うという「荒技」を使ってきたのですが、結果としてバロックを好きになる生徒が続出したのです。私はほとんどCDを聞かないのですが、最近では生徒さんたちが私の知らない曲の楽譜やCDを持ってきて、「これが弾きたい」というほどになりました。もちろん、みなさんが演奏として聞いているものは古楽器のものがほとんどですが、曲からイメージされるものに興味を持ったり好きになったりしているのです。実際にも、発表会で一度チェンバロとやった生徒の「リピート希望」率はとても高いのです。これは、バロックの曲をモダンの楽器で演奏することに十分意味があることを表していると言えるでしょう。

これからのレクチャーコンサートも、古典派のものが中心になります。年に2、3回のペースで続けたいと思っているのですが、やってみたい企画はたくさんあります。皆さんによろこんで聞いていただけるように、企画もレクチャー/演奏の中身も、さらに充実させていきたいと思っています。