柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > 音楽的主張 > レッスン料の払い方と口のきき方?…先生と生徒のやりとり、ひとつ、ふたつ

以前サラサーテに、「先生にレッスン料を尋ねることができるか?」ということを書いたことがある。私としては、レッスン料を尋ねられることは当然だと思っているし、抵抗はない。しかし音楽の世界では、レッスン料を尋ねることが失礼だと考えられてきたし、今でもその意識は根強い。このことについては今回は書かないが、最近の私と生徒のやりとりから、先生と生徒の関係を考えてみたい。

まず、非常に外形的なことから取り上げてみよう。一つは「レッスン料の払い方」である。

「そんなの、決まってるじゃん、封筒にレッスン料を入れて渡せばいい」

レッスンに慣れた人なら、こんな答が返ってくるだろう。私もこれが「当たり前」だと思っていた。ところが、しばらく前に「転校」してきた生徒さんが、現金をそのまま渡そうとしてびっくりしてしまった。それまでの私の「常識」からすると「とんでもないこと」である(この話をあるヴァイオリンの先生に話をしたら、「私なんか、いきなり一万円札出されて、おつりをください、って言われたわよ」と苦笑していたが)。

びっくりして話をしてみると、生徒さんは私がびっくりしたことに驚いていた。封筒でお金を渡すという意識や習慣がなかったのである。この生徒さんは、それまで大手の楽器店の教室に通っていた。お金を払う、とは、受付で「会計処理として」払うことで、当然現金を裸で渡す。「お礼」という気持ちはもちろんあるのだが、「対価」としての意味もはっきりしている。これはこれで当たり前のことで、「そっか、封筒に入れる必要、ないんだな」と考え方を改めさせられた。単に生徒本人の気持ちよさの問題に過ぎないのかもしれない。今では、数人の生徒さんが封筒を使わないでいる。全員が大手ヴァイオリン教室出身というところが面白い。

別にレッスンに限らなくてもお金を裸で渡すのは失礼だよ、と言う方も少なくない。これはこれで、ある程度定着した日本人の感性として理解できる。ただ、この話をある生徒さん(この方は、毎回封筒に入れています)としていたら、「中国ではお金を包んで渡す方が失礼になりますよ」と教えてくれた。要するに、「いくらあるかを目の前ではっきりさせないといけない」のだという。これはこれで面白い。文化の差なんだろうが、お金に対する感じ方が違う。日本人はお金を「お礼」に使うとき、金額だけではない「ある種の感情」を込めている意識が強いのに対して、中国人は「お金とは絶対量に意味がある」という、非常に合理的な考え方をしているのだろう。最近の若い人たちのお金に対する意識が、今までの日本人の習慣と相容れないものになっているのかもしれない。

要するに、こうした「文化の差」的な問題には明快な結論が出ない。現在、私は、「僕はどうでもいいけど、他の先生につくことになったら、封筒に入れて渡すようにしてくださいね」とお願いすることにしている。

こんなことをある生徒としていたら、「僕のところではかまわないけど、他の先生についたら態度を変えてね」とお願いしているがいくつかあることに気がついた。「呼び方」と「口のきき方」もその例だ。

私は「先生」と呼ばれるのが好きではない。単なるへそ曲がりだよ、と友人にはからかわれているのだが、どうしても馴染まない。私のウェブを見てから来られた生徒の中には、初めから「柏木さん、真樹さん」と呼んでくださる方もいるが、ほとんどの場合、スタートは「先生」である。「やめてください」とお願いすると、こんどは生徒の方で「先生と呼ばないと落ち着かない」というケースもある。別に、「呼ばれたくない」のは単なる感覚の問題なので、そういう場合は敢えて強制はしないが。

なぜ呼び方なんかにこだわるのか、というと、呼称は会話の意識と直結していると考えているからだ。「先生」と呼びかけるとき(ある種の侮蔑を含んだ「センセイ」は別だが)、相手に対してある種の緊張感を持ってしまうことがある。教える側にとっては、この緊張感が邪魔になることが少なくない。できるだけリラックスして、普段どおりの力を発揮してレッスンを受けてもらいたいと思えば、生徒が一番力が抜けている状態を作りやすくすることが大切だと思う。そんなことを考えて、呼び方も「口のきき方」も注文をつけることがあるのだ。

私の場合、ほとんどが大人の生徒さんなので、レッスンの後や行事(アンサンブルなど)の折に、一緒に食事をしたり飲みに行ったりすることがよくあるが、そういう経験を何度かすると、自然に「呼び方や会話の関係の落とし所」が定まってくる。なるべく「ため口」がききやすいように、こちらもフランクな話し方を心がけることが多いが、話し方が変化すると、緊張感がほぐれてくることは珍しくない。だから、なるべく「ため口」をきいてね、とお願いしている。

「レッスンのときはある種の緊張感がなくてはならない。そうでないと、ステージに上がったときに上手くいかない」という主張もあるだろう。確かに、緊張しても弾ける状態を作るためには、レッスンの場が役に立つことがあるのかもしれない。しかし、実際は、緊張しないことのほうがレッスンの効率が上がり、結果的には生徒のためになることの方が多いように思えてならない。だから、しばらくはこの方針で行くつもりである。もちろん、「他の先生に替わったら気をつけてね」とお願いすることは忘れないようにしている。

服装のことも話題になった。一昔前は、「女の子がレッスンに行くのに、ズボンを履いていくなんてとんでもない」「ジーンズでレッスンに行くなんて、なんて失礼な!」ということを「本気で」言う人たちがいた。最近はどうだろう、直接こんなことを聞くことはなくなったが。私は自分が服装に無頓着なこともあるのかもしれないが、どんな格好をしてきても気にならない(体の使い方を学んでいるときに、あまり厚手のもこもこしたセーターを着てくるのはやめてね、とお願いすることはある)。ただし、これも人のとり方はさまざまである。ある生徒が、他の生徒の格好を見て「あんな非常識な!」と怒っていた。確かに珍しい格好をしていたのではあるが、私自身は全く「礼を失している」という感覚はなかった。このケースも、「他の先生に替わったら気をつけてね」のケースである。

ちなみに、この「非常識な」格好をしてきた生徒は、レッスン料を封筒に入れて渡してくれている。こんな話をしていたら「お礼を裸で渡すなんて、私はそんなに非常識じゃありません」と言っていた。人によって「常識」「非常識」がこんなに違うことを説明したら、しばらく考えて「知らず知らずのうちに失礼なことをしていた可能性もあるんですね」とちょっと落ち込ませてしまった。反省材料です。