柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > ヴァイオリン+体と頭のこと > 「3Dと2D さらに音感との関係」に対して掲示板でのやりとり抜粋

空間認知能力について問題を抱えている生徒さんの話の続編として「3Dと2D さらに音感との関係」話を書きました。それを受けて掲示板に書き込みがあり、関連した話として、そのやりとりもあげておきます。(掲示板形式で少し読みづらいとは思いますがご容赦下さい。 )

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Harryさん

お返事が遅くなりました。とても大きなテーマで、なかなか書くべき内容がまとまらなかったことと、体調を崩したりしていたことなどもあり、時間がかかってしまいました。申し訳ありません。書く順序もばらばらになりますが、ご容赦ください。Harryさんの書き込みは、改行を変えて引用させていただきました。この点もご了解ください。

 

 > 空間把握能力に問題ある人は、例えば色彩や響きの感覚が優れて
 > いるとか、時間把握力がよいとか、別の能力がきっとあると思い
 > ます。欠点を認識して矯正することも大事ですが、別の能力を見
 > つけることも重要。うまく欠点をカバーできればもうけものです。

よく、視覚障害者が聴覚が優れていることなどが語られます。これは、脳の働きと密接な関係があると思います。視覚に使われる部分が使われず、聴覚に脳の働きを集中できることもあるでしょうし、視覚で判断できないことを聴覚などの他の感覚を利用して判断する必要性が、そうした他の感覚を研ぎすます、ということもあるでしょう。今回のケースは、こうした事例とは全く反対の現象なのです。つまり、空間把握能力がないことと、音程間隔を判断できないことが同時に起こっている、しかも、それがどうやら脳のある特定の部分の働きと関係があるのではないか、ということなのですね。

多くの人が荒唐無稽な話だと思うかもしれませんが、あれこれと探っていると、どうも「距離」と「位置の相対的な関係」がキーワードのような気がしてきたのです。物理的な(三次元的な)距離を把握するための空間認知能力と、周波数の相対関係を捉える(音の位置、距離と言い換えても良いでしょう)認知能力が、脳のある特定部分の同じ働きを必要としているのではないだろうか、というのが、私の推論の根本です。

この推論にたどり着いたのは、既に書いたように、この生徒が空間を把握する方法と、音程間隔を把握する方法論がとても「似ていた」からです。

このことは、

 > さて、2Dと3Dと音感の話は興味深い。私は、空間感覚と色彩感覚も
 > 音楽とかなり関係があると感じています。私は数学とくに幾何学が
 > 好きですし、絵を描くときはボールペンでスケッチするのが好きです。

こういうこととも関係があると思いますが、同じ関係ではないかもしれません。特に、色彩感覚については、非常に興味があります。音に関するイメージが色彩感覚とリンクしていることがとても多いからです。

よくあるケースは、ある種の和音に色彩をイメージすることです。各和音の持つ特有の響きを色に当てはめることがよくあります。「F-Durはおとなしいピンク」「Gは青」「Aはわりと派手な赤」などという表現を目にされたこともあるはずです。これらは、和音という音の相対関係の個性を色彩が持つイメージに当てはめたと考えられます。ですから、距離感を計ったり、音程間隔を判断したりという頭の働きとは、若干違う方向の事象でしょう。

と、思っていたら、音高そのものを色で覚えている生徒に出会いました(これは、ずいぶん前のことですが)。この話は書いた記憶がないのですが、この生徒は、与えられた音(まさに音高そのもの)にそれぞれの色を当てはめていたのです。鈴木メソードでヴァイオリンを始めたために、音符と音高/音程、運動が頭の中で連動せず(これは、このメソードの最大の問題点です)、それを補うために「色」を用いるようになったのだと推測されますが、こうなると、相対的な音高の位置関係を把握することがとても難しくなります。赤と青を足したら紫、というような関係性を、「ドとミとソを合わせると長三和音の響き」とリンクさせることは困難だからです。かといって、音高自体に色を感じていると、和音や音程に対して色彩を持つことは難しいのです。

もちろん、音程に色を感じる人もいます。「和音には独特の色がある」という感覚を主張する人に対して「色合いがあるのは音程。和音ではなく、音高の間隔にそれぞれの色合いがあるのだ」という主張です。私には、音高自体に色を感じる人よりも、音程に色を感じるこの意見の方がなんとなく理解しやすいとは思います。

空間認知能力と音程を感じる能力の問題に共通項を感じたのは、こうした「音を感じることが人によって脳の違う部分を使うことがある」という例を見ていたからだと思います。実際に空間認知能力と音程を判断する能力についてどのような判断が同じなのか、という「核心部分」については、もう少しデータを収集してから判断したいと思っています。

 

 > しかし、いざ色をつけようとすると戸惑ってしまいます。音楽の好みは、
 > バロック器楽やカルテットで、オーケストラの派手な響きは苦手です。
 > 最近になって自分の性向、複数の線のアンサンブルに惹かれ、絢爛たる
 > 色彩はあまり心に響かないことが、絵でも音楽でも同じであることに
 > 気づいたときは、驚きもし、大いに納得しました。私の性向なり好みが
 > よく分かったので、この方向を伸ばしながら、響きの感受性も少しずつ
 > 高めたいと思っています。

私の実家は、カラーテレビを導入したのがとても遅かったのですが、その理由は、母親が「カラーテレビだとイメージを作る能力が育たない/正確な色調がわからなくなる」と感じたからだそうです。「総天然色」(わかる人は、年齢がばれます・・苦笑)は、明らかに人工的な「無理に当てはめた」色だったと思います。何故、こんなエピソードを書くのかというと、Harryさんの書かれたこの部分につながるものがあると思ったからです。

少し違った例を出しますが、例えば、ドビュッシーの小組曲をオーケストラヴァージョンで聴くこと/弾くことは、私はあまり好きではありません。小さい頃からドビュッシーやラヴェルなどのフランス音楽(ピアノのもの)が大好きだったので、よく聴きましたし、自分でも好んで弾いてきましたが、オーケストラ版を聴いて、非常に驚きました。それは、音を聴いて自分がイメージすることができる領域が非常に狭いことに気がついたからです。ピアノの時に感じた、自分の中のイメージが広がっていく楽しさが、オーケストラ版だとほとんど感じられないのです。ちょっと、ヒントになりましたでしょうか?

(話を広げすぎると大変なことになってしまいますが、直接くすぐって笑わせることと、面白いと思って笑うという脳の働きを刺激することは違います。フジテレビか/古典落語か、なんていう例示をすると短絡的ですが、こんなことも、関連することとして考えられるかもしれませんね)

 

 > さて、ここからが問題です。私ひとりでこういう音楽の線的とらえかたを
 > 深めていくのは、問題ないのですが、一緒にアンサンブルをしているとき、
 > 線で捉えることの苦手な人がいるということが問題になります。もしかすると、
 > 普通の人は響きの感受性の方が高いのではないか、私は響きの感受性が
 > 鈍いのでは、と恐れています。技術的な問題にも影響していると思います。

受け止める感性の問題なのか、弾いている時に「イメージを聴きながら弾く」か、「音を聴きながら弾く」かという違いなのか、「イメージを広げる方向」の問題なのか、まだまだ可能性はありますが、アンサンブルをすると、捉え方の違いで感じ方が全く異なる人がいることは確かです。「チャイコフスキーが好きか、ベートーヴェンが好きか」は妥協の余地がありませんが、こうした違いを知ってアンサンブルをやることも、実は面白いことかもしれません。

 

 > テンポ感のなさ(走ること、私の問題)を、空間把握能力で補う方法は
 > ないでしょうか?テンポやリズムを感じるために、頭の中に格子を思い
 > 浮かべ数えればよいでしょうか。

テンポ感のなさ、と言う問題も、とても大きなテーマです。一定のビートを打ち続ける能力が必要なのか、あるリズムを安定した状態で続けられる能力が必要なのか、リズムの感じ方の問題(例えば、2拍子で取るべきものを4拍子でとっているとテンポが安定しなくなる、など)もからんでいるのか。他にもたくさんの可能性がありますが、いくつかはウェブ上に書いてありますので、ご覧下さい。