柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > ヴァイオリン+体と頭のこと > 3Dと2D さらに音感との関係

以前、空間認知能力について問題を抱えている生徒の話を書きました。その続編です。

この生徒さんは、さまざまな問題を抱えているのですが、音程を相対的に捉えることができないことも、大きな問題でした。いろいろと音感を試した結果、擬似的に絶対音感(のようなもの)を認知していて、それを利用して音程を取っていました。もちろん、正確な音程がとれるはずはなく、どのように相対的な音感を身につけたらよいのか、試行錯誤を繰り返しているところです。ところが、最近のレッスンで、興味深いことがわかってきました。少々長くなりますが、書いてみたいと思います。

この生徒さんが抱えていた空間認知能力の問題を、前回書いた時には、運動論で考えてみました。つまり、自分の行動を「予知」し、「認識する」ことに問題があるという仮説の基に、解決策を見つける努力をしていたのです。結果として、日常生活が大きく変化しました。コップの中身をこぼしたり、エレベーターの階を押し間違えたりという、「行動の意図」と「実際の行動」の乖離がかなり解消されたのです。これをヴァイオリンに当てはめてみると、運動方法がかなり変化する「はず」でした。ところが、弓の運動方向を予想することができるようになっても、「弓が弦に対して垂直に当たっているかどうかを検証できない」という状況には変化がありませんでした。ということは・・空間認知能力そのものに対する疑念が生じたのです。行き当たった先は、空間を三次元的に捉えることができていないという根本問題でした。さまざまな話をする中で、「ひょっとして、私がアニメを見ているように、現実の世界を捉えているのではないか」という疑問にぶつかったのです。

私たちは、実写(映画など)を見た時とアニメを見たときの感じ方が違います。同じ「平面の」スクリーンに現れた画像でも、実写であれば三次元的に捉えることができますが、アニメであるとそれが難しくなります。最近は、3Dに見えるコンピューターグラフィックなどが実用化されていますが、それでも、実写とはどこかに違いを感じるものです。これは何故なのでしょうか。

私は、「経験値による無意識の修正」を、その理由として捉えてきました。つまり、実写を見ている時には、写されている現象を自分がしてきた経験、見てきたものを情報として利用し、平面上の画像を三次元的に「変換している」のだろうと考えているのです。これが正解かどうかはわかりませんが、いくつかの補強材料がありました。例えば、小さな子どもは、距離感を認識することができません。運動を伴う場合は、「認知した情報と運動の量や方向との乖離」として説明できますが、運動を伴わない場合は、経験によって距離感を認識できるようになるはずです。それが、本来的に人間の脳の発達に組み込まれているものであるとしても、実際に経験することが、そうした「三次元的な」情報処理を可能にしているのだろうと推測することが可能です。実写とアニメを比べてみた時にアニメに距離感を感じない理由が、例えば「遠近法」の不整合や不正確さであるという説明に若干の無理があると感じていたことも、その理由です。最近のレッスンでこの話をした時に、結果が明らかになりました。この生徒さんは、「実写もアニメも同じように見える」ということがわかったからです。

この状態を説明するのに、述べたような「経験値による修正の有無」が役に立ちます。成育の過程で、目に映るものを3Dとして感じる力を養成できなかったとすると、この生徒さんが抱えていたさまざまな問題に説明がつくのです。もちろん、幼少の頃の「運動と視覚の情報の乖離」が原因なのか、そもそも「視覚を3Dに変換する何かが欠落していたのか」というレヴェルでは判断できません。しかし、現実の生活やヴァイオリンを弾くことについては、その原因を追及するより、現状からその「3Dに感じる感覚を手に入れる」ないし「擬似的な方法を使って同じような効果が得られるようにする」ことの方が大切であることは明らかでしょう。

これが解決できると、弓が弦に対して垂直に当たっているかどうかを判断する能力だけでなく、例えば、大型免許の取得に必要な距離の把握などに応用が利くはずです。こうした研究をなさっている方もいるはずですが、現在のところヒットしていません。ただ、問題の根本が抽出できたことで、訓練の方向性が見えてきたことだけは確かです。新しいテーマとして練習(ヴァイオリンに限らず)していただいていますが、何らかの進歩があれば、またご報告したいと思います。

さて・・・実は、ここからが本質です。述べてきたような「感覚の欠落」を、相対音感がない/不十分であるケースに応用できないか、ということなんです。漠然としたものはあるのですが、ハッキリしたものは見えていません。しかし、この生徒さんと私の間では、これまでの経緯を考えて、どうやらこの二つのことが無関係ではないのではないか、という共通認識ができつつあります。この問題については、何か進捗があった時に、また書いてみようと思います。