柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > 公開講座 > 一日クリニック、公開講座について思うこと

大阪、東京と、単発の公開講座を二度ほど開催させていただきました。たくさんの方に参加していただきました。心より御礼申し上げます。

第一回を大阪で開催したのは、「東京なら一杯になるだろう、他でどのくらいニーズがあるのか知りたい」という気持ちがあったからですが、最初の一回ということで、私のスキルの問題、参加者とのコミュニケーションのとり方など、参加者の皆さんに充分満足がいくものではなかったと思います。その点、深くお詫びいたします。

東京の公開講座(1月31日)をやってみて、なんとかこれならできそうだという目処がたちました。キーポイントは、「参加者の悩みは一人一人異なる」という、当たり前の事実を私が忘れていたことに気が付いたことです。

もちろん、体の使い方や奏法は一人一人チェックしなければならないという「当然の事実」を忘れていたわけではありません。しかし「なるべく汎用性のある話をして、チェックは短く、一人一人にかける時間はできるだけ短く」という意識が強かったこと、「あれもこれも話をしたい」という欲が強すぎたこと、会場の狭さ(大阪)など、いくつかの要素があり、参加者の要求に応えきれなかったのだと思います。

東京の午前中、公開レッスンに見学にいらしてくださった方がとても多かったのには驚きました。おそらく一桁だろうと思っていたのですが・・・実は、懇親会で、「人のレッスンを見ることが勉強になることがわかった」という感想をたくさんいただいて、「中途半端な個人チェックなら一人に徹底したほうがよい」ということに気が付いたのです。

東京では、指導者の立場にある方が参加していただいたことも嬉しいことでした。

私のストリング誌の連載が、あちこちでトラブルを起こしている(苦笑)報告をいただいていますが、多くの場合指導者が「自分のやりかた以外を認めない」ということが原因であると思います。はっきりと、「そんなどこの誰が書いたかわからないような記事を信用するより黙って自分の言うとおりに練習しなさい」と言われた方も、一人や二人ではありません。

なぜこんなことが起きてしまうか、というと、指導者側の意識に原因があると思わざるを得ません。それは、「先生ができることなどほとんどないということをわかっていない」からだと思います。

勉強を教えるときでもヴァイオリンを教えるときでも、そのことは痛感しています。若い頃は「自分が筋道を示して鍛えれば、誰でもできるようになる」という傲慢な錯覚をしていて結果として生徒さんたちにもずいぶん苦労をさせたのではないか、と今になってみれば思います。私たち指導する側ができることは、生徒さんがスキルを身につけていくためのほんの一部分です。そして、そのことを指導者側も生徒側もわかっていなくては、効率のよいレッスンには決してならないのです。

そのことに気が付いてからは、教えることに非常に慎重になりました。コミュニケーションの重要性に行き当たったからです。

ここで言う「コミュニケーション」とは、お互いの意思を通じ合うことだけではありません。私が「生徒が何をしているか」という状態を把握し、場合によっては生徒の体や「無意識」とやりとりすることです。これができるかどうかが、指導者としてのスキルを決定的に変えてしまうということに気がついたのです。

そういった意味で、大人の指導に悩んでいらっしゃる指導者の方たちにも是非読んでいただきたいと思いながら、ストリングの連載を続けています。クリニックにしてもそうなのです。

二回の経験で、これからの進め方を考えることができました。これから、東京と大阪で連続講座をいたしますが、おそらく、「ニューヴァージョン」でいけるのではないかと(苦笑)思っております。