今回から右手の問題に入る予定でしたが、できれば楽器を持った初期の段階から考えた方がよいことを書き落としておりました。予定を変更して、今回も左手編です。
(5)レッスン5・・・左手の基礎4
左手の練習が、「はじめに力が入った状態で形を作り、次第に脱力して運動性能を上げていくタイプの訓練である」ことは、前回述べました。そのために、「とにかく弾いて訓練する」という練習方法が一般的にとられているように思います。しかし、それだけではなかなか進歩しないのも残念ながら事実です。こういった一般的な練習法しかないために、レイトスターターの方があまり上達せず、先生も大人になってからヴァイオリンを始めた人に対する限界を低く設定してしまう、という悪循環に陥ってしまうこともあります。そのことを考えて、主に二つの点を書き加えてみようと思います。
● 大人にとって必要な左手の準備(加筆)・・・さまざまなテクニックに対応するために
以前からインターネットの掲示板などで盛んに話題になっていることですが、ポジション移動やヴィブラートをいつごろから教わるかが、レイトスターターの方みなさんが気になさるようことのようですね。確かに、始めて一年ほどでヴィブラートをかけて弾いている人もいれば、4年も5年もヴィブラートを習わない人もいます。ポジション移動にしても、二年目で始める人もいれば、6年たっても習っていない人もいます。その違いを目の当たりにして不安になる方も多いでしょう。実際のところ、今までは、新しいテクニックを学ぶ時期の差を「生徒個人の進度の問題」として先生の側が片付けてきた傾向があると思います。しかし、たくさんのレイトスターターを拝見して、私はそれだけではないように感じるようになりました。 進度に大きな差ができるひとつの理由は、大人の生徒が子どもと同じ教材を使っている、という点にあります。子どもの体は非常に柔軟で、筋肉の発達余地も大きく、正しい指導と練習を重ねることである程度の体の使い方ができるようになるものですが、大人がそうでないことは繰り返し述べてきました。子どもと同じ教材を同じように使っているのでは、大人から始めた人は「それぞれ躓くところが異なる」のです。教則本はそこまで柔軟には書かれていませんから、教則本の進度だけで新たなテクニックを教える時期を判断していると、いつまでたってもヴァイオリンをより「それらしく」弾くために必要な訓練が始まらないことすらあるのです。
肘の柔軟性を確保することや、指を開く柔軟性を確保するためのトレーニングはすでに述べましたが、こういった状況を打破するために役に立つ場合がある、左手の手のひらと手首の柔軟性について書き加えたいと思います。
まず、左手の手のひらの柔軟性です。「手のひらの柔軟性」の意味するところは、二つあります。一つは、手のひらそのものの柔軟性です。写真1,2の運動がこれにあたります。写真1は、手のひらの力を抜いている状態。写真2は意識的に手のひらをすぼめています。写真2の運動ができる柔軟性は、私の場合、どうやらヴァイオリンを弾いて身に付いたもののようです。そのことは、右手と比べてみるとよくわかります。写真3のように両手を同じように意図してすぼめてみると、明らかに左手のほうが柔らかいことがわかります。
もうひとつは、手のひらと指の関係です。手のひらに対して指がどのように運動できるか、というものです。
写真4は、人差し指と小指を交差させる運動です。これも両手を比べていますが、明らかに左手のほうが柔軟ですね。写真5,6のように、指の組み合わせや動かす方向を変化させて試してみることもできます。
さて、この手のひら及び手のひらと指との関係の柔軟性は、重音を手のひらを縮めてとったりする場合(譜例1)や、指のエクステンション(注)やポジション移動などで大きな意味を持ちます。「開く」方向だけでなく「縮む」方向にも必要です。
(注)エクステンション(譜例2参照):1の指から4の指までの広さには基本的な形がありますね。例えば、ファーストポジションの1から4はA線であればH-E、サードポジションならD-Gとなります。このポジションのまま指を伸ばしてより遠くの音・・・1の指なら低く、4の指なら高く・・・を取る形のことを「エクステンション」といいます。一番初めに出会うエクステンションの形は、E線でファーストポジションのままC音を4の音で取ることでしょう。エクステンションはまた、比較的近いポジション移動を確実かつスムースにするためにも必要なテクニックです。
ポジション移動のときに手のひらの運動が威力を発揮するのは、ガイドを使ったポジション移動の場合です。写真7,8のような移動を示します。ポジション移動の方法は、昔から流派によりさまざまな意見がありましたが、現代では(特にガラミアン以来)、場面により異なったふさわしい移動方法を取るべきだとする考え方が多いでしょうか。この移動方法は(私は「尺取虫」と呼んでいます)手を縮める方向に手のひらの運動用いた移動で、エクステンションを用いたポジション移動は手を開く方向に変化させるものです(ポジション移動については別に詳しく述べたいと思います)。いずれにせよ、手のひらと指の柔軟性が必要なのです。
この「手のひら及び手のひらと指の関係の柔軟性」を確保するための練習方法のひとつは、以下のようなものでしょう。写真9、10のように物理的な力を加えてほぐしてやる方法です。こういった訓練は決して無駄ではなく、根気よく続けることで確実な効果が上がります。こうして少しでも柔軟性を感じるようになったら、次は「意図して」動かせるようにします。写真2のような運動をするのもよいですし、楽器を用いて写真11のような練習をする方法もあります。
(写真11:3か4の指を押さえ、他の指は完全に楽器から外します。そして、親指、人差し指を押さえている3,4の指に近づけます。このとき、手首の形が極端に変化しないように、ひじから先全体を動かしてください。写真12のように、手首が「おいてけぼり」にならないようにすることが大切です。実は、この訓練は、「尺取虫」タイプのポジション移動の練習そのものでもありますが、ポジション移動を習うときに始めるより、最初から「柔軟性を確保するためのトレーニング」として導入しておいたほうがよいのです)
手首の柔軟性についても同様に考えてください。特に右利きの方は、左手の手首がきちんと回らなくなっていることがあります。こうした場合、手首がスムースに回るように訓練をすることが大切です。関節がきちんと回らない症状を持っている方は意外と多いものです。特に利き腕ではない腕の付け根や手首の柔軟性を失っている方に出会うことはまれではありません。
手首や指の柔軟性に問題がある人が、ここまで述べてきたような訓練をしないでポジション移動やヴィブラートの練習を始めた場合、かなりの確度で躓くように思います。「躓いた」という意識がなくても、進度が遅く、回り道をしてしまうことが少なくないでしょう。こうした「ふさわしい体作り」は、新たなテクニックが登場してからではなく、最初からトレーニングとして取り入れたほうがよいのです。
また、レイトスターターではなくても、こうした柔軟性を獲得せずに育ってしまった場合、あるテクニックがスムースに身についていない場合があります。単に繰り返した練習をするだけでなく、体の使い方を検証してみることで問題が解決する可能性は少なくありません。
● 指の運動と頭の関係
前号で少し触れた「頭と体の運動の問題」についても、いくつかの質問をいただきました。具体的なことにはまったく触れていませんでしたので、少し書き加えてみたいと思います。
頭と体の反応・運動の関係は、「速いテンポで弾くこと」という課題を与えられたときに気が付く方が多いと思います。この「速く弾く」ということは、最初のうちはとても難しいことで、「速く弾くにはどうしたらよいのでしょうか」という質問は、インターネットの掲示板などでは「定番」です。速く弾くことができない原因はさまざまで、解決方法も多様ですから、「速く弾く」というテーマだけで何回かに分けて書かせていただくつもりですが、今回は、左手の「運動と頭の関係」に絞って説明してみようと思います。
体の意識的な運動は、脳からの指令に基づいて行われます。指が動かないということは、「頭からの指令が適切に出ていない」か「指令を体のパーツが処理できていない」といういずれかが原因になるのです。実は後者を克服することは肉体的にはかなり大変なことで、繰り返したトレーニングが必要です(とはいえ、やみくもにテンポを上げる練習をすることでは解決しないことも多いです)。演奏家や教える立場の人たちが悩むのは、ほとんどが後者です。これに対し、アマチュア、特にレイトスターターは、前者がそれ以前の問題としてネックになっていることが多いのです。
前者に問題がある場合、テンポを徐々に上げる練習によって弾けるようになる速さには、すぐに限界が来ます。特に、「弾けるテンポを徐々に上げていく」という練習方法で、弾けないとすぐに「弾けるゆっくりのテンポ」に戻って練習することを繰り返しても、ほとんどの場合速く弾けるようにはなりません。大人の場合、弾けないことが気になってそれ以上にテンポを上げられないことも多く、結果として「頭のトレーニング」にはならないことが多いのです。
動きが複雑になると指が動かなくなる現象は、ちょうど一昔前のパソコンゲームのようなものだと思います。一昔前、まだ処理速度の遅いCPUしか使えなかった時代は、複雑な動きをゲームが要求すると、画面がゆっくりしか動きませんでした。「インベーダーゲーム」のようなタイプのゲームで、敵宇宙船がたくさん出現し、味方がたくさん「弾」を撃つと、画面がまるでスローモーションのようになってしまった経験をした人も少なくないでしょう。これと同じことが、複雑な処理を要求されているときに起きていると考えてください。
さて、この「頭の指令を速くする」ためにはどうしたらよいのでしょうか。基本的には、二つの方向のトレーニングが考えられます。「頭が出す指令自体を増やして処理速度を上げるように鍛える」方法と、「指令が出るスピードを上げて処理速度を上げる」方法です。後者は、「頭の指令に体のパーツが処理できていない」タイプの躓きにも有効です。
最初は、「脳が出す指令を増やして処理する」訓練です。多くの方がやっていらっしゃるであろう譜例3のような練習もこれに当たります。基本的な動きを一定に保った上で中に音符を増やすことで、情報の処理量を増やそうというものですね。こういった「パターンを増加して練習する」こと以外に、私は「歌いながら弾く」という方法をこのタイプの訓練法の一つとして推奨しています。実際に弾いている音符を声に出して歌いながら弾いてみるのです。これはかなりてこずる人が多いはずで、簡単な音形でもなかなか思うようにできません。ところが、少し練習してみると、声を出さないで弾いてみたときにその効果にびっくりするでしょう。指の動きに余裕を感じるはずです。ただし、「歌いながら」弾くときに、テンポを妥協してはいけません。歌わないで弾くときよりも極端に遅くしてしまっては、情報の処理量を増やすことにはならないからです。
「情報の量を増やす」ことがこのトレーニングの目的ですから、もちろん、さらにハードなこともできます。リズムを変化させて歌ったり、伴奏を歌ったりすることもできます。さらに、体の一部を運動させながらやってみることもできます。もちろん、ヴァイオリンを弾いている形が崩れたり、体を動かすことがヴァイオリンを弾くための補助になってしまってはいけません(実は、この「伴奏を歌う」という作業は、プロ奏者やベテランが頭の中で当たり前のようにやっていることです。これも、ヴァイオリンを始めて間もない頃には、なかなかできないことですね)。
「指令が出るスピードを上げる」タイプの練習もいくつかあります。一番単純な方法は、「弾けないテンポで無理やり弾く」というものでしょう。「だんだん速くする」練習は、弾けるゆっくりなテンポから徐々に速くしていきますね。このときに、多くの人は弾けなくなったテンポにあたった時にそこでいったん速くするのをやめ、場合によっては弾けるテンポまで戻って練習を続けるでしょう。前述したように、指令そのもののスピードが足りない場合は、この練習では限界がすぐに来てしまいます。頭の指令自体を速くするチャンスがないからです。この練習のポイントは、弾けなくなった速さにぶつかったらもう一段階速いテンポで弾いてみることです。もちろん、きちんと弾けるはずがありませんが、それでもかまいません。とにかく、弾けないテンポで何度か弾こうと努力してみてください。そして、弾けるテンポに戻ります。
「そんなことしたら音程がむちゃくちゃになる」という心配をなさるかたもいらっしゃるでしょう。もちろん、「きちんと弾く」こととは別にやる必要がありますが、こういった練習も場合によってはどうしても必要です。私は、生徒になるべく自分の目の前でこうした「無理」を体験させるようにしています。一人でやると決定的な間違いをしてしまう可能性がありますが、レッスンでならすぐに修正できるからです。
これまでなぜこうした練習が排除されてきたかというと、教える側が「指が動かない」という事態を「頭の指令を処理できていない」としか感じられないことにその原因があります。「子どもも大人もやることは基本的には同じ。だめなことはだめ」とおっしゃる先生ほど、「やはり大人になってから始めたのではダメね」という結論に達してしまいやすい例の一つでもあります。
指の運動と頭の関係は、もちろん、右手を使うことを考えたとき、さらに複雑化します。この点については、右手の話、および「速く弾く」ことで考えてみたいと思いまが、なるべく早い時期から、頭の指令と体の動きを認識する訓練を加えたほうがよいことだけは確かだと思います。
● 肩当てについての加筆
10月号で楽器の保持法について考えましたが、何点か書き加えさせていただきたいと思います。
まず、肩当ての「改造法」ですが、一部の方に有効な方法を一つ加えます。体の形状によって、肩当てのウィング部分を「伸ばす」ことで解決することが考えられることがあります。実際にこの方法で解決した生徒さんもいらっしゃいます。
例えば、「KUN」の肩当ての肩側に当たる部分の足の留め金を反対向きに付けます(写真13)。すると、足の部分の外側に肩当て本体が大きく出っ張ることになります。これにより、肩にしっかりと置くことができる場合があるのです。足の部分には傾斜があり、単に反対にすると楽器を安定して押さえることができなくなりますから、反対側の足だけを購入して取り付ける必要があります。その場合でも、足の元の部分を若干曲げてしまう必要があるかもしれません。ですから、この改造はプラスティック製の留め具を使っているものではできません。その人に合った肩当ての位置によっては、留め金を反対にすると楽器に付けられない場合がありますから、その場合はヴィオラの肩当てを購入してやってみるとうまくいくこともあります。
体に合って運動性能を落とさないで楽器の鳴りをなるべく減衰しない肩当てや顎あてを見つけることがとても大変な例は少なくありません。小さい頃から弾いていると、はっきりいって「どうにでもなる」のですが、大人から始めた人は、いつまでたっても楽器の持ち方に悩んでしまうことになりかねません。本来は、オーダーメードの肩当てを制作してくださる方がいらっしゃると良いと思うのですが、今のところ見つけていません。何らかの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非お知らせいただきたいと思っております。
* 付記
2月29日から、関西地区での連続クリニックを開催いたします。10月の反省を踏まえ、今回からはテーマ別に5回の連続講座を予定しています。詳細は「ユーモレスク」をご覧ください。