柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > ストリング > 第3回〔身体の使い方 その1〕lesson3 型にはめることの無理とボウイング筋の話・左手編

「大人になってからヴァイオリンを始めても、身体が固くなっているからどうせあまり上手にはならない」とあきらめている人がたくさんいらっしゃいます。もちろん、子どもの頃から真剣に学んできた人たちと互角に張り合うのは大変だと思いますが、私は、あまりにもその「限界」を低く捉えている人たちが多いように感じてきました。今回は、私がこれまでに出会ってきた現実の事例を踏まえながら、楽器の保持法と左手の形のことを例に、「限界が早く来てしまう理由」の一端を考えてみたいと思います。

「ヴァイオリン奏法」と銘打った本などをみると、写真やイラストで楽器の奏法を詳しく説明しています。そういった本を読むと、書かれていることがすべてその通りにできないとヴァイオリンは弾けないかのように読めてしまうことがあります。果たして本当でしょうか?

ここに一冊の非常に有名なヴァイオリン奏法についての本があります。この本の冒頭、「奏法は体型も異なるのだから十人十色」という主旨のことが書いてあります。しかし読み進めると、「楽器は身体から約45度の角度に構えるべし」という記述に出会います。さらにボウイングの項では、手首の働きを「移弦・弓の返し」で使われるものと規定しています。しかし、身長が150センチを下回るような小柄な方がヴァイオリンを弾くとき、この楽器の角度とこのタイプのボウイングシステムではどうやっても弓先は使えません。もちろん、四分の三以下の分数楽器を使えば良いのかもしれませんが、それでは合奏するときに大きなハンデキャップになるでしょう。フルサイズ(場合によっては八分の七などのいわゆるレディスサイズの楽器)を使えるようにならないと、アンサンブルに参加するようになって大きなギャップに悩まされることになります。このような場合、ボウイングシステムを慎重に選ぶことが大切ですし、楽器を構える位置をやや身体の正面に近くすることも必要です。こういった問題は他にも多数あります。 (写真1、2、3、4、5、6・・・身長が150センチに大きく満たないTさんはヴァイオリンを始めて7年目。昨年まで師事していた先生は、残念ながらTさんの体格を全く考慮しないでレッスンをしてきました。そのため、毎週のようにレッスンに通い熱心に練習を重ねてきたにもかかわらず、6年経っても弓の三分の一は全く使えない状態だったのです。友人と合奏をすると、実質的には弓の半分しか使えていないと指摘されたそうです。Tさんが実際に習ったように、写真1のような弓の持ち方を基本とするボウイングシステムで写真2のように楽器を構えると、特に小柄な方は弓が十分に使えません。実際に写真3に写っている状態が「一番弓先」でした。この弓先の位置でもかなり無理をしていて、手首にはかなり力が入った状態です。そこで、写真4のように楽器をやや身体の正面に構え、写真5のように手首を柔軟に使うタイプのボウイングシステムを採用することにより、三ヶ月ほどで写真6のようにほぼ全弓が使えるようになりました。偶然にも、私のところにかけ込んできたレッスン6年ほどのレイトスターターのうち三人は、Tさんのような「小柄な」方で、弓をきちんと使えない悩みをお持ちでした。特にTさんは、それまで楽器を習った経験が全くなく、「こんなものなのだろう」と考えていらっしゃいました。友人に指摘されなければ、気がつかずに以前の状態のままでレッスンを続けていた可能性が強いのです。)

ある「型」にぴったりはめてしまうには、大きな身体か十分な柔軟性が必要です。それしか道がないのであれば、大人になってから楽器を始められる人はとても少なくなってしまいます。また、限界を感じている人たちとそれを乗りこえるための方策を考えることもできなくなってしまいます。ですが、「その人の身体にあった形があり得る」のであれば、そういった悩みがかなり軽減されるのです。特に、背の低い人、手の小さい人や40代以降にヴァイオリンを始められた方達にとっては、身体の大きさ・柔軟性は深刻な問題です。Tさんの例はあくまで一例ですが、「体に合っていない」奏法に悩まされているレイトスターターがいかに多いかということは、10年間で痛感させられてきたことです。

左手に関しても同様の無理が生じているケースをよく拝見します。主に「左手の向き」に関わることなのですが、今回は左手の基本的な考え方の一つを述べてみたいと思います。過去二回の「脱力」「ボウイング筋」の話は、左手にも当てはまります。左手の色々な症状に悩んでいる人たちの多くが、ボウイング筋を使わずに苦労を増やしているのです。

まず、楽器を構えている状態をチェックしましょう。楽器の保持法自体も様々な考え方があり、どういった保持法を採用するかという問題は、体格・手の長さなどの色々な要素によっても左右されますが、最初にどんな楽器の持ち方をしていても考慮すべき共通項を考えてみます。チェックすべきことは、左手を楽器に向かってあげているときにボウイング筋が使えているか、ということです。

肩が極端に上がっている、力が入っている人はそれをなくすことが第一歩です。チェック法は前回、前々回と同様のものでできます。左手の肩から先が「何かを持った状態で」脱力できていることを確認し、その後ボウイング筋を見つける努力をしてみましょう。

左手を上手に使えるためには、「肩をフリーにすることが大切だ」とよく言われます。例えば、メニューインのテキストにはそのための身体の使い方が詳しく解説されていますが、基本的には、過去二回右手について述べた「脱力」「ボウイング筋」の考え方と共通のものです。肩の変形によらずに左手を持ち上げることがポイントなのです。

メニューインはこの目的を達するために、鎖骨と首で直接楽器を挟み左手で支える、という保持法を提案しています。鎖骨の外側である肩が全くフリーになりますから、左手の自由度が高くなるのです。しかし、多くのレイトスターターにとっては、メニューインのテキストにある保持法はすぐに採用できる状態にはなりません。現実には、ほとんどの先生が、肩当てを使って「首と鎖骨の一番肩側」で楽器をしっかり持つことを教えています。左手を楽器の保持には使わないことが前提になることが多いはずです。問題は、しっかり楽器を保持するために首に力が入ったり肩が上がったりしてしまう危険性が高いということです。楽器を保持するために肩や首に力が入ってしまうくらいなら、楽器の保持は「そこそこ」の状態で、左手でネックを支えた方が左手の自由度が上がることすらあります。

この楽器の保持と左手の自由度の問題は、左手の多くの悩みに解決を与えるヒントとなります。ボウイング筋が使えて左手を上げることができると、特にポジション移動やヴィブラートに劇的な効果がある場合があります。右手の時と同様、左手を上げるために肩や肘の変形を使わなくて済むようになるからです。また、ペグを回すのが苦手な人は、左手のボウイング筋が使えていないと同時に、第一回の連載で述べた「正しい脱力」ができていないことがほとんどです。

(私自身は左手の握力は30ほどしかありませんが、「固くて回せません」と皆さんが匙を投げてしまうペグを難なく回すことができることがほとんどです。)右手同様に左手の訓練もして、腕を上げるときに自然にボウイング筋が使えるようにしておくと、多くの悩みを避けることができるのです。

大人が特に悩みやすい左手の問題を、二つほど簡単に述べておきます。それは、手のひらが指板と平行になるべきかどうかという点と親指の位 置です。

いろいろな指導書を読んだり先生方やヴェテランのHPなどでの記述を見ると、「手のひらは指板に平行に向くべし」という御意見と、「無理に平行にすることはない」という御意見を両方目にします。ここでは「どちらが良い」ということを判断することは目的ではありませんが、多くの場合、手のひらの向きによって変化する合理性で比較するだけで、大人それぞれの条件として考えられていない点が問題です。キーワードは肘の柔軟性です。

左手の手のひらを顔の正面まで持ってきます。もちろん、「ボウイング筋」を使うよう努力してください。その上で、手のひらをヴァイオリンを持ったときのように回転させてみます。

この時、肘から先だけが回転して腕に負担がかかっていない人は、指板に平行な手のひらを比較的楽に実現できるはずです。

しかし、腕全体を回転させないと手のひらが回転しない人は、実際に楽器を持ったときにかなり「肘を入れる」感覚でないと手のひらが指板に平行にならないでしょう。(肩が上がってしまっていたり肘に力が入っていると、柔軟性がある人でも腕全体を回してしまうことになりかねませんからよく注意してください。)

この場合、手のひらを指板に平行にするために左手全体の柔軟性を失ってしまうことになりかねません。指の運動性能を上げるために必死になって手のひらを指板に平行にした挙げ句に肘や手首に無理がかかってしまっては、全く意味がないのです。

実際にレッスンをしてみると、2,3割の方は手のひらを平行にすることが厳しいように思います。肘の柔軟性を付けるためのトレーニングを別に行うか、左手と指板の関係を「身体に易しく」考えるかという解決策を採るべきだと思います。子どもならば自然に肘に柔軟性が付いてくるので、最初に少々の無理をしても結果があとからついてくることがありますが、大人の場合、無理をしたままで何年も苦しんでしまうことがあるのです。

親指の位置に関しても、かなり無理をされている方がいらっしゃいます。親指は余計な力が抜け、他の指と指板をやわらかく包むような形になることが「正しい」とされています。(表現法はいろいろあります。「手が卵を包むように」「親指と人差し指でわっかを作って」「親指に他の指を柔らかく載せて」等々)そして位置は「人差し指と中指の中間の反対側」「親指と人差し指の間」「いちばん楽に手の形を作れるところ」などと表現されています。この多くの表現の中から、先生は一つを選んで生徒に伝授するのが普通です。その時、大人はその指示をかたくなに守ろうとしてしまうことに問題が発生する原因があります。

子どもは、先生に指示された形を守ることより、身体に楽な方へ変化しやすいという特徴があります。そのことが、結果として身体にあった形に変化していく可能性を残すのですが、大人の場合、特に生徒が真面目であればあるほど、先生の指示を「無理をしてでも」守ろうとしてしまうのです。結果として、その人に合っていない形を指示されても、それを改良することができなくなってしまうことが頻繁に起こります。

親指の形・位置は、それぞれの人の親指の付け根の関節の状態によってかなり制限されます。親指が人差し指より外側(人差し指より中指よりではなく、反対側)にないと手に負担がかかる人すらいらっしゃいます。こういった人には、親指の位置を柔軟にとらえるか、関節を柔らかくするための別メニューを取り入れる必要があるのです。そのことを知らずにある形を強制すると、その形が目指す本来の「柔軟性・運動性能」をむしろ阻害してしまうことが少なくありません。

身体の正しい使いかができていなかったり、自分の身体にあった奏法をしていないと、多くの問題が発生して、限界に早く到達してしまいます。ここに取り上げたことはあくまで一例にすぎません。これ以外にも、身体に合っていない奏法を強いられて苦しんでいるアマチュアは多いのです。大人を教える先生に特に求めたいことは、「子どもなら獲得できる、成長の過程で自然に出来上がっていくことを大人に期待してレッスンをしないで欲しい」ということなのです

。取り上げた左手の問題で悩んでいる方は、述べてきたような点をチェックしてみてください。ただし、効率よく問題点を抽出するために、レッスンで先生に正しく判断していただくことが重要です。問題点を間違えてしまうと正しい処置ができないことは、藪医者にかかることと同じなのです。

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【コラム】アンサンブル・アプリコット

大人になってからヴァイオリン(弦楽器)を始める人たちの多くが憧れるのが、アンサンブルです。アンサンブルには様々な形態がありますが、ある程度弾けるようになってからでないと参加できないグループ・オーケストラがほとんどです。アンサンブルは個人が弾けていることが前提である以上、これは仕方のないことでもありますが、「どうしても合奏がしたい」という人たちが色々な工夫をして集まっている場もあちこちにあります。今回は、そんなグループの一つをご紹介します。

アンサンブル・アプリコットは、ヴァイオリンを始めて間もない森野さんが仲間を集って始めた弦楽合奏を愉しむ会です。ほぼ二月に一度の頻度で二年間、東京の南部にある施設でアンサンブルの会を続けてきました。楽器を始めたばかりの人たちでもアンサンブルを楽しめるように、難度の高くない曲を取り上げたり、有名な曲のやさしいところを取り上げたりと、いろいろな工夫をしています。ヴェテランのアマチュア奏者を先導役に、「初心者だってアンサンブルができる・やさしい曲だってアンサンブルを楽しめる」ことをコンセプトに、毎回15〜25程、主にレイトスターターが集まって合奏をしているのです。

お邪魔させていただいたときには、賛美歌やオンブラマイフ、フィンランディアのテーマなどを、五時間ほどかけて仕上げていきました。まだポジション移動もおぼつかない方でもそれなりに楽しめるように工夫されていて、最後は時間がたりなくなるほど熱が入っていました。二次会のビールを本当に美味しそうに飲まれている皆さんを見て、私も幸せな気分になりました。

こういった集まりはなかなか継続しにくいものです。無償(ないしごく安いトレーナー料)で指導してくださる熱心な方がなかなかいないこともその一因でしょうし、技量が上がり他の活躍場所が得られると参加しなくなる方も多いことも理由の一つです。また、どうしても合奏としての仕上がりに限界があり、物足りなく感じる人もいらっしゃるでしょう。しかし、「アンサンブルをしてみたい」と思っているレイトスターターはこれからも増えていくでしょう。こんなコンセプトの集まりは、そういった人たちにとってとても参加しやすい、かけがえのないものであり続けるに違いありません。

アンサンブル・アプリコットホームページ  http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/2152/

アンサンブル・アプリコットのHPは移転しています http://www.geocities.jp/ensembleapricot/(2009.11月現在)