柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > ストリング > 第2回〔身体の使い方 その1〕lesson2 余計な筋肉(や頭など)を使わないことの重要性とボウイング筋の話・右手編

「ボウイング筋」という言葉は、もちろん正式なものではありません。以前レッスンに付いたある先生に「ボウイング筋が落ちているからトレーニングしないとダメよ」と指摘されたことがあり、それ以来使わせていただいている言葉です。正確には、背中の左右、肩甲骨の内側にある「腕を持ち上げる」筋肉です。

この筋肉、日常生活やスポーツの色々な場面でつかわれる「はず」のものです。特に、テニスやボールを投げるタイプの運動では、頻繁に使われています。この筋肉を使わないでラケットを振ったりボールを投げたりすると、肩や肘を痛めることにもなりかねません。(同じ筋肉を使うからといって、こういったスポーツがヴァイオリンのために良いかどうかは別の問題があります。)実際には、この筋肉を使わないでヴァイオリンを弾いている人が驚くほど多いのです。実は「弓が速く動かない、大きな弓が使えない」という悩みを持っているレイトスターターのほとんどが当てはまるのではないか、とすら思っています。

まず、表題の「余計な筋肉(や頭)などを使わないことの重要性」について説明します。これは、ボウイングだけでなく全てのことに通じる原則であると考えていただきたいと思います。

話をわかりやすくするために、単純に考えてしまいましょう。基本的なボウイングで、背中の筋肉で腕を持ち上げて肘の屈伸だけを使い、手全体の中でその他の部分は使われていない人がいると仮定してください。(実際にはそんなことはありません。)この状態では、手首や指、またそれらを動かす筋肉は使われていません。仮にこの状態で基本的な運弓ができたとすると、使われていない他の部分は「リザーブ」されています。新しいボウイングテクニックが必要になったとき、この「使われていない」部分をフルに利用することができることになります。

反対に、単純に弓を動かすために、腕の全部の関節や筋肉を総動員していると考えてください。そのような状態では、例えば、「新しい手首の運動」を加えようとした時に、それまで使われていた部分を全て修正し、新たなバランスを作らなければならなくなります。つまり、「使われている部分が少ない方が付加価値を付けやすい」のです。

実際には、弓を動かすとき、腕や手首・指は実に複雑な運動をしています。ですから、話はこのように単純ではありません。しかし、「なるべく身体の各部分を節約して使う」ということは、特に大人になってからヴァイオリンを始めた人たちにとっては重要なポイントです。

頭の使い方も同様です。大人になってからヴァイオリンを始める人たちが比較的「こだわる」ことに、「指弓」があります。あちこちのウェブサイトでも、「指弓ができない」という悩みや、指弓の練習法などがたくさん書かれています。特に熱心な方の中に、指弓を滑らかに使って弓を返すことがボウイングの基本であると信じて、いちいち指弓を確認しながらボウイングの練習をしている人がかなりいらっしゃいます。そういった人たちから質問を受けると、私は「指弓は結果としてできることであって、意志でやろうとしてはダメです」と答えることにしています。指弓にばかり気を取られていて、もっと大きな部分ができなくなってしまうことがよくあるからです。(もちろん、指の柔軟性を確保するための訓練は必要です。その訓練法は、項を改めて書くことになると思います。ここでは、あくまで、弓を返すときにいちいち指弓を考えながら弾いてはいけない、と言っているにすぎません。)このことは、「頭と身体を目一杯使いっぱなし」にしている一つの例です。これでは、何か新しいことを取り入れようと思っても、思うようにいきません。

ボウイング筋を使うことは、まさにこの「腕をいろいろなことのために使える状態にしておく」ための根本になります。

弓が速く動かないという悩みを抱えている人たちの多くは、そもそも単純なボウイングをするときに、肩や肘、手首などをまさに「総動員して」います。そのために、弓を弦に垂直にまっすぐ当て続けることだけでも大変なのに速く動かすなどととてもできることではない、と感じるのです。特に、腕を持ち上げるときに「肩の変形」を使っていると、十分な音が出ない上に早く動かせない、という二重苦に陥ります。解決法としては、「弓を持って腕を上げる」ために正しく背中の筋肉が使えるようになることがスタートです。腕を保持することを、肩や腕の筋肉や肩の変形でおこなってはダメなのです。(このことは、前回述べた脱力とも深く関係していることはおわかり頂けると思います。)もちろん、これからヴァイオリンを始めようと思っていらっしゃる方は、初めからこのチェックをなさってください。

まず、写真1のように腕を上げたときに背中の筋肉が使われているかどうかを確認します。この段階で背中の筋肉が意識できれば、心配ありません。日常的に「腕を上げる」動作に、ボウイング筋を使えているはずです。残念ながら、多くのレイトスターターはこの段階では「え?背中に筋肉あるの?」という状態だろうと思います。その場合、手に何かを持って、手の上げ下げをしてみます。写真2のように、腕はなるべく柔らかく伸ばしている状態がよいでしょう。辞書程度の重さのものを持って、最初は横に、次は前に、腕を目の高さくらいまで上げてみます。(肩に力が入ったり「あがったり」肩を上げたりしないように十分注意してください。)肩甲骨の内側に筋肉の動きを感じましたか?感じればOK。もし何も感じないのであれば、重さを変えたり、腕を少し大きく回したりしてみます。写真のYさんは、この筋肉の存在を「捕虫網」を振り回したときに感じたそうですが、人により「感覚を掴む」掴み易さは異なります。この感覚を理解してボウイングに活かせると、嘘のように音が変化します。

どうしても理解できない場合、まず他の人の筋肉の動きを知ってみましょう。できれば「ボウイングの達人」が望ましいと思いますが、写真1の場所を手のひらで軽く触ってみます。腕を上げたときに、この場所の筋肉の収縮がはっきりわかるはずです。そして写真3のように、肩の両側の動きもチェックしてみます。ボウイング筋がきちんと使えていない場合、腕を上げるときに、肩の変形に伴って肩の周りの筋肉が激しく動くはずです。弓を自在に使える人は、この筋肉をさほど変化させずに、腕を持ち上げることができるのです。レイトスターターの多くが、肩を変形させることで腕を持ち上げています。すると、腕の重みが使えないだけでなく、運動性能も著しく落ちてしまいます。(写真4、5)

基本的なボウイングで、「遠くに意識を持って」とか「背中に意識を感じて」という腕の使い方の指導をなさる先生がいらっしゃるそうですが、理屈を言えばこのようなことになるのです。まず腕を持ち上げるためにこの筋肉が使え、必要なところ以外が脱力できると、ボウイングは劇的に変化します。このように、前回の「腕の脱力」と今回の「ボウイング筋」の話は、ワンセットのものだと考えてください。

さて、実際にこの筋肉の存在を感覚的に掴むことができたら、実際のボウイングに役立てます。まず、ゆっくり大きなボウイングをくり返し、ボウイング筋の存在を認識できるかどうか確認してください。初めは「ごくわずか」に感じる程度だと思います。それができたら、いわゆる「デタッシェ」奏法で、速い大きな弓を使って二通りの方法でボウイング筋を鍛えます。一つは、できる限り「ゆっくりとした」弓使いで開放弦を弾くことです。腕の重みを素直に使えるように、G線を使います。脱力を確認し腕の重みを利用して、大きな音が出るようにして下さい。毎回5分位でいいでしょう。ゆっくりとした弓使いができればできるほど、ボウイング筋をしっかりと使えるようになります。

もう一つは、いわゆる「デタッシェ」奏法(注)で、速い大きな弓を使うことです。(私が「ボウイング筋が落ちている」と言われたときは、クロイツェルの2番を「死ぬほど弾きなさい」と言われました。もちろん、カイザーの一番などもうってつけですね。)始めて間もない方なら、同じ音をくり返し弾くだけでもいいでしょう。ただしこの時、「まっすぐに弓を動かす」とか「きれいな音で」などということは「忘れて」下さい。少々弓がばらけても結構。目的は「ボウイング筋が使えるようにする」ことですから、それ以外に頭や体を使っては効果が半減します。今までの経験ですと、毎日10分ほどこういった練習をすることで、一ヶ月から三ヶ月くらいでボウイング筋をしっかりと認識できるようになると思います。(家で音を出すのは週末だけ、という環境にいらっしゃる方でも、このトレーニングは可能です。音を出す必要はありません消音器などを利用しても十分効果があります。)

脱力とボウイング筋を覚えると、音は劇的に変化します。まず「腕の重み」が自由に使えるようになり、楽器を鳴らすことが容易になります。それまで「力で押し込んで」楽器を鳴らそうとしていた方や、弦の上っ面を擦るように弾いていた方にとっては、「自分の楽器はこんなに大きな音が鳴るんだ」という発見になるはずです。また、ボウイング筋で腕を保持することを覚えると、「重みをかけたまま」速いボウイングができるようになります。速い弓で、弓自体が弾んだり「つつつっっ」と滑るようになってしまう症状が消えます。腕や肘、手首などが「腕を保持する以外のために」使えるようになるからです。

ボウイングは一人として同じものはありません。ですから、腕や手首・指などの使い方を「一様に」教えることは決してできるものではありません。しかし、この「脱力」と「ボウイング筋」は、どのようなボウイングシステムであっても、ある程度以上上達するためにはできなければならないことだと思います。

(注)デタシェ奏法・・・英語で言うとdetatchと同じで、もともとは「音と音とを分離する」という意味です。ただし現代では、むしろ音を分離せずに一音一音弓を返してはっきりと弾くことを指すようになりました。ここでもこの意味で使っています。

********  以下・写真の解説  *************

[写真1]
腕を上げるときに使われる筋肉はおよそこのあたりにあります。初めは認識しづらいかもしれませんが、どなたかにさわってもらうと動きを感じやすくなります。
[写真2]
腕だけや弓の重さでは不十分な場合、初めは少し重いもので試してみましょう。写 真のように腕を柔らかく伸ばし、腕を持ち上げてみます。
[写真3]
ボウイング筋が上手に使われていないと、腕を上げるとき肩の両側が激しく動きます。Yさんは初めはこの部分がかなり動いていましたが、今ではほとんど動かなくなりました。
[写真4・5]
多くのレイトスターターが、肩の変形で腕を持ち上げています。写 真4のような腕の上がり方をしている場合、要注意です。Yさんも当初の4から5のような状態に変わり、腕の重みを上手に使えるようになりました。

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【コラム】59歳でヴァイオリンを始めた「超」レイトスターター

写真の男性は、なんと59歳でヴァイオリンを始められたという、静岡県島田市にお住まいのMさん。「レイトスターター」といっても、多くの方は20代、30代で始められていますが、60になろうというお歳で始められる方はさすがに少ないのではないでしょうか。昨年念願のオーケストラにも入団し、ますます意気軒昂でいらっしゃいます。マンドリンを続けていらっしゃったという「アドバンテージ」はありますが、その努力には頭が下がる思いです。

身体に力が入って肩が上がってしまったり、ステージであがりあがってしまって「弓のヴィブラート」がかかってしまうといった悩みもお持ちですが、いずれも「このお歳だから」というものではなく、レイトスターターの多くが共通して感じていることのように思います。解決法を模索していらっしゃるところですから、そのうちに乗りこえられるのでしょう。

一番大きな悩みは、「左手でヴァイオリンをどうとらえるか」という点だそうです。初めてのレッスンで先生から鈴木メソッドのテキストに移っている左手の写真を否定されて「色々な考え方がある」ということを知り、大変驚かれたそうですが、現在も「左手を楽器にどう添えるか」ということは課題だとおっしゃっています。楽器の保持法とも密接に関係することですから、先生とよくご相談なさって、なるべく早く「ご自分のスタイル」を見つけられるといいですね。

意欲もあり悩みも抱えていると、一回30分のレッスンでは十分ではないと感じられることもあるそうです。これも多くのレイトスターター共通の問題ではないかと思いますが、レイトスターターのレッスンのあり方もそろそろ議論されてよい時期になっているのではないかと思います。 高齢化社会を迎え、まさに「中高年の星」とでも言うべきMさん、これからもお元気で御活躍して頂きたいと願っています。

MさんHP:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/3371/

MさんのHPは移転しています http://chukonenviolin.web.fc2.com/(2012.11月現在)