柏木真樹 音楽スタジオ

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柏木真樹のprofile画像02柏木真樹 KASHIWAGI Maki

 

(比較的詳しいプロフィール、ただし音楽関係のみ)

 

◎ 就学前 ◎

1959年大阪生まれ。ピアノ教師/教会のオルガニストの母、音楽愛好家の父の下で、音に囲まれて育つ。3歳の時のプレゼントは指揮棒。振れば音が出る魔法の棒と信じて、スピーカーに向かって指揮棒を振って遊ぶ。よく口ずさんでいたのは「たーた、たーた」だそうだ(何の曲だかわかります?)。この頃からピアノを習い始めるが、外で遊ぶ方が好き。恐らく、あまり良い生徒ではなかったはずである。

この頃はまっていた曲など

アイネ・クライネ・ナハトムジーク、胡桃割り人形、ドビュッシーのピアノ曲(母親が弾いていて子守歌代わりだったらしい)、「レミとピアノ」(ピアノの名曲集)など

◎ 小学校時代 ◎

三年生の時にヴァイオリンに転向。もちろん、自分で選んだわけではなく、母親の選択。母親としては、アンサンブルができる楽器の方がアマチュアとして楽しむなら良いだろうと思ったらしい。私はそのように説明を受けていたのだが、今から考えると、あまりに練習しない私のピアノのレッスンに見切りをつけたという面が強いのではないかと思う。

ところが、ヴァイオリンに変わっても、練習嫌い、レッスン嫌いは相変わらずで、母親が寄り道をしている私を「拾いに」来たこともしばしば。姿勢が悪いと、背中にものさしを突っ込まれたりした(爆)。

小学校3年の時に、音楽の成績で2を取ったのが、今でもトラウマになっている(苦笑)。なんでそんなことになってしまったかというと、音楽の先生に逆らったからなんですね・・・話の内容はよく覚えている。先生が「一度に複数の音を歌うことができる人手を挙げて」と言われて、私は喜び勇んで手を挙げたのだが・・・「それは、まちがい。声は楽器と違ってひとつの音しか出せません」と、先生。私は、頭の中で鳴っているオーケストラやピアノの音を一生懸命歌って、「ほら、たくさん音が鳴っています!」と涙を流して食い下がったのだが、「音楽がわからない言うことを聞かない生徒」というレッテルを貼られてしまった訳だった。それ以来、通知表には「先生の言うことに素直にしたがわない」と書かれたこと多数(汗)(ところが、4年生の担任の先生は「真樹くんはとっても素直ですね」と書いてくださいました。大人になってからお会いして確認するチャンスはなかったのですが、「obidient」ではなく「natural」という意味で使われたのだと思います。高校生になって意味を知った時に、とても感激したのを覚えています)。

通っていた小学校は鼓笛隊が有名で(大阪万博の「みどり館」での映画の冒頭にも登場しました。考えたら、みどり会とは昔からご縁があります)私も熱中した。本当はバトン(指揮者)をやりたかったのだが、「背が低くて見栄えが悪い」という理由で、イケメン系優等生に負けた。なにしろ、長身で格好いい、オール5、スポーツ万能、(本人の申告によれば)超有名ディーラー社長の親戚、という、まるで漫画にも恥ずかしくて出せないような典型的な優等生。低身長、格好悪い、先生の言うことを聞かない私がかなうわけがなかった(苦笑)。「他のものならなんでもいいよ」と先生に言われ、いちばん目立ちそうなシンバルを選んだが、読売ランドでの演奏中にシンバルの紐が切れてシンバルが坂道を転げ落ちる、というアクシデントに遭って号泣した。

5年生の頃、フルートにも手を出す。当時の私は「胡桃割り人形」が大好きで、「あしぶえの踊り」が吹きたかったのだ。「できるようになりますか?」と尋ねたところ、ヤマハ(ひょっとしたら、日管かもしれない)から派遣された先生が「一年もあれば吹けるようになるから、始めたら?」と言ったことが、フルートを始める決め手となった。もちろん、そんなもの吹けるわけはなく、挫折。

ヴァイオリンの手ほどきを受けた時の梶原マリ先生は国立音大の先生だったが、小野アンナ直系にあたり、完璧なロシアン。もちろん、当時はそれが唯一の弾き方だと思っていた。5年生の時に、NHKの子どもの「腕自慢」系番組に出て鐘をもらったことを覚えている。曲はなんだったかなぁ・・・アッコーライかな??

小学生時代に手を出した楽器

フルート、ハーモニカ、アコーディオン、小太鼓、大太鼓、シンバル、木琴などの打楽器。特に、木琴が大好きだった。子どもの「腕自慢」に同じ時に出ていた子どものハチャトリアンの道化師の演奏に一目惚れて、音楽室にこもって練習した。

小学生時代に行ったコンサート

覚えているのは、新星日本交響楽団(だったと思う)の音楽教室(4年生)が最初。当時は、小学生が演奏会に行くなんて、とっても珍しかった。演奏会の楽しさに目覚めたとは言いがたい(「トランペット吹きのララバイ」くらいしか覚えていない)が・・翌々年のマズア/ゲバントハウスは良く覚えている。マイスタージンガー、ティル、英雄というプログラムだった。これでハマッタといっても良いかもしれない。受験後、お祝いにN響の定期会員のチケットを買ってもらったのも、この経験があったからだと思う。

◎ 中学・高校時代 ◎

中高一貫の進学校に補欠で入学。勉強はせず、中学時代は水泳、高校時代は生徒会活動に夢中になる。
中学の頃から音楽やヴァイオリンの面白さに目覚め始めた。「デンスケ」を買ってもらって、エアチェックした演奏を聞きまくる。本とコンサートは基本的にお金を出してもらえた(というか、父親と一緒に聴きに行った)ので、N響の定期会員になり、海外オーケストラの来日公演やオペラにもときどき足を運んだ。生意気に、演奏会の批評ノートなぞをつけていた。今読むと赤面モノだが、なかなか良く見ているところもあって面白い。

ヴァイオリンのレッスンは、梶原先生がお怪我をされて先生を替わったのだが、レッスンや練習が面白いというより、きょうだい弟子たちとのアンサンブルや合宿が楽しかったから、せっせと通った。伴奏のピアノを弾かされたり、ヴィオラを弾かされたりということも、今から考えると貴重な経験になっている。ひどい話で、代稽古もかなりやらされた(受けさせられた子どもたち、ごめんなさい)。

レッスンは、ただ課題が次々と進むだけでヴァイオリンの奏法はさっぱり習わなかったので、大学に入るまでほとんどなんの区別もなく、ただ感性で弾いていた。音楽教室では、料理が好きで、おだてられて合宿の料理係などを拝命し、一緒に来ていた音大生のお姉さま方に料理を教えた(汗)。高校のとき、指揮者になりたいと言い出す。本当になりたかったのだが、ある指揮者に「才能がない」といわれ、簡単に諦める。かわりに、テレビで見たジュネスのコンサート(ワールドジュネスだったかもしれない)を見て、「格好良いなぁ」と、オーケストラのコンサートマスターに憧れる。

中学・高校時代にはまった音楽

クラシックだけでなく、ロックやフォークにもはまった。10センチもあるヒールとそのヒールを隠すほど裾の長いジーンズをはいて、肩まで髪を伸ばしていた時もある(文化祭で、その姿でたこ焼きを焼いていたのだが、私が客だったら絶対に買わないだろうと思う)。クラシックももちろん聴いた。というか、聴いた量は、この時期が一番多いだろう。

当時好きだった指揮者や演奏家

N響の定期に登場した指揮者では、マタチッチさん(第9や「火の鳥」がとってもよかった)やシュタインさんが好きだった。他にも楽しんだ指揮者、ソリストはたくさんいたが、飯守さんが登場したときのワグナーとラヴェルのプログラムや、ペルルミューテルさんのラベルの左手のコンチェルト、デムズさんとスコダさんのモーツァルトなどを特によく覚えている。来日した外来オーケストラもよく聴きに行った。カール・ベーム/ウィーン・フィルやバーンスタイン/ニューヨーク・フィルなどにも行った。カルテットも好きで、スメタナやSQやウィーンSQなどをよく覚えている。そのわりに、ヴァイオリンをあまり聴いていない。決してつまらなく思っていたわけではないが、オーケストラやアンサンブルの方により興味があったのだと思う。一応、当時来日したトップスターたち(シェリングやスターン、オイストラフなど)を一度は聴いているが、演奏会自体が楽しくて複数回通ったヴァイオリニストはパールマンくらいか。他の楽器では、ポリーニやリヒテルが好きだった。ポリーニのN響とのプロコフィエフの3番の協奏曲(指揮は、ショスタコーヴィッチの息子さんだった)は、演奏会を聞いてはまってしまい、放送されたものを長い間テープで聴いていた(裏には、当時ザルツブルグでポリーニが弾いたシューマンのピアノ協奏曲を入れていた)。

レコードやFMでは、比較的古いものをたくさん聴いていた。指揮者ではフルトヴェングラーやクレンペラー、ワルター、SQはバリリやコンツェルトハウス、ピアノのバックハウスなどが愛聴盤だった。しかし、一番好きだったのは、ミケランジェリのドビュッシー。ピアノのレッスンをやめてからは、好きなものを好きなように弾いていて、特にドビュッシーがお気に入り。もちろん、難しいものは弾けないので、「子どもの領分」「ピアノのために」「アラベスク」「ベルガマスク」などばかりを弾いて、ミケランジェリの演奏の真似をしようとしていた。今から考えると、耳を鍛えるためには役に立っていたかもしれない。ヴァイオリンは、シゲティにはまっていた時期が長い。オイストラフやグリュミオーもよく聴いた。あとは、ジネット・ヌヴーか。

◎ 大学時代から以後数年間 ◎

一浪して一応大学には入学したが、オーケストラを3年半続けた以外は、学生運動(死語だなぁ)に没頭。当然、卒業などできず。3年目にワールドジュネスに参加したことをきっかけに、どうしてもヴァイオリン弾きになりたくなり芸大受験を目指すが、腱鞘炎などで挫折。この時に受けた整体の施術がきっかけになって、整体術を学んだ。大学オーケストラやジュネスではコンサートマスターをやらせていただいた。ジュネスは、朝比奈先生の第九。本番の前日の練習で胃痙攣を起こしたのはお笑いだが、思い出に残っている演奏会。

ヴァイオリンはというと、大学入学直後にそれまでの先生を辞めて、それ以来実にたくさんの演奏家や先生のところに行った。大学オーケストラ時代は、大学に入ってからヴァイオリンを始めた人たちに「授業をサボって練習に来い」と命じてしごく。レイトスターターの女の子を泣かせたこと、数知れず(汗)。エキストラにも頻繁に行っていた。

大学一年目に、ヴァイオリンの手ほどきをしていただいた恩師の生徒(音大の副科)のレッスンをしたのが、ヴァイオリンのレッスンを自分の責任で初めてした経験。大学を辞めてからは、塾の講師や家庭教師で暮らしつつ、社会運動に手を出していた。司法試験を目指した時期もあったが、仕事とその他のことで全く勉強にならず、付いていた法律の先生からは見放されていた。この頃(24)、芸大卒業直後の指揮者大野和士氏と知り合い、自分がプロの指揮者にならなかったことを幸運だったと思えるようになった(だって、プロになったらこんな人と比べられてしまうんです)。爾来、氏とは親しくさせていただいているが、あちらはあんな「大物」になってしまわれました。

大学時代に主にお世話になった先生たち

指揮者では、大学オーケストラでお世話になった早川正昭先生、三石精一先生、ジュネスでは井上道義さんが最初で、その後、尾高忠明さん、朝比奈隆さん、セルジュ・ボドさん(ワールド・ジュネス)などの指揮で演奏した。当時副指揮者だった今村能さんにもとてもお世話になった(一緒に、ハチ公前の池で泳いだ仲です・・爆)。どの方からも、とてもたくさんのことを学ばせていただいた。ヴァイオリンの奏法に関しては、当時大学オーケストラのトレーナーだった、ヴィオリストの玉置勝彦先生にたくさんのアイデアをいただいた。それ以降、演奏家や先生に何人もお世話になったが、ここでは割愛させていただく(あんなやつ弟子じゃない、って言われるに違いない先生がたくさんいると思われるからです・・汗)。

◎ ヴァイオリン復活以降 ◎

数年間、全くヴァイオリンを弾かない時期があったが、20歳代後半でアマチュア・プレーヤーとして復活。それ以降、いくつかのアマチュア・オーケストラのコンサートマスターやトレーナーを務めた。同時に、居住地近くの音楽家との交流を通じて室内楽の演奏も再開。1991年に、所属していたアマチュア・オーケストラを方針の違いから退団。その後入会したニフティの音楽サークルで、レイトスターターのオーケストラのトレーナーを始めてから、人生が少しずつ音楽へ引き戻されていった。ヴァイオリンを教えることは、アマチュア・プレーヤーとして復活したころから少しずつ始めていた(そのあたりの経緯は、拙著「今から始めて上手くなる、楽器とオーケストラ入門」のあとがきに書かせていただいた)が、その後、面白がって少しずつ手を広げる。当時、故藤家桜子先生のお宅に入り浸って、ヴァイオリンの奏法や教授法について深夜までお話をさせていただいたことが大きな財産になっている。

◎ 音楽が本業になってから ◎

神戸の震災のとき、ヴォランティアで4ヶ月ほど神戸にいた後、人生が変わる。以前の仕事が次第にできなくなり、インターネット関係のライターなどを副業にしつつ、音楽に逃避する。二年ほど会社員なるものも経験。その後、ヴァイオリンを教えることが次第に本業になっていく。レイトスターターのレッスンの経験と、それまで教わってきたことなどをもとに音楽関係のウェブサイトを作ったことがきっかけで、ストリング誌の連載、単行本の出版などの幸運に恵まれた。結果として生徒さんが増え、レッスンプロとしてやっていけるようになった。

2000年頃から、自分の演奏もしたくなり、本格的にリハビリを開始して、演奏活動も少しずつ行なうようになった。2003~4年には、東京と大阪でレイトスターターのための公開講座を行ない、名古屋、松山などで講演会も行う。2004年から2010年まで東京グリーン交響楽団弦楽器トレーナーを務め、2011年にトレーニングに共感していただいた団員たちと新しいオーケストラ(オーケストラCONSONO)を結成。

現在は、東京にスタジオを構えて、ヴァイオリンや室内楽のレッスン、音楽理論講座等を行い、名古屋でも月に2回のレッスンを行なっている。演奏面では、室内楽やレクチャーコンサート、病院や老健施設、子どもの施設等でのボランティア・コンサートで演奏活動を続けている。現ストリングス・アズール指揮者(2001年から)、オーケストラCONSONO音楽監督(2011年から)。2012年11月には、それまでのレッスンや研究成果をまとめた「ヴァイオリンを弾くための/体の作り方、使い方/基礎編」を、せきれい社から出版した。