柏木真樹 音楽スタジオ

トップページ > Blog > ヴァイオリン > 音感について・・・絶対音感は邪魔になる!

 最近、いわゆる絶対音感について改めて「邪魔になる」例が二つでてきたので、ご報告します。

 音感とは何か、ということは、サイトでもストリング誌やサラサーテ誌にも何度も書いていますので、簡単に。詳しく読みたい方は、サイト内を検索していただければいくつかヒットします。これが簡単にまとまっているものです。

 音感とは、本来は音の性質(高さ、大きさ、種類など)を理解できる力ですが、一般的には「音の高さを判断する」意味で使われています。今回のレポートは、この「音の高さ」についてです。

 音高について判断する「音感」は、絶対音感と相対音感にわかれます。絶対音感とは、音の高さの絶対値(周波数)を判別する能力で、相対音感は複数の音の幅(周波数比)を判断する力です。言葉は変ですが、人間の耳(脳)には周波数測定器はついていないので、絶対的な絶対音感は存在しません。一般的に使われている「絶対音感がある人」とは、「記憶している周波数がたくさんあってその記憶を使って音の高さの判定ができる(ように見える)」人のことです。これ以上の詳しいことは、リンク先を参照してください。

 残念ながら、いまだに絶対音感信仰が根強く残っており、相変わらず「音感を小さなうちに鍛えることが音楽家への道」という誤った教育がはびこっています。今回は、絶対音感(私は「擬似絶対音感」と呼んでいます)がヴァイオリン(だけではなく全ての楽器ですが)が邪魔になるケースをふたつ、取り上げておきます。絶対音感がある程度身についている人は、それなりの音楽教育を受けている人が多いのですが、ひとつの例はそれに当てはまり、もうひとつの例は当てはまりません。「こんなこともあるんだ」というように受け止めていただきたいと思います。

 ひとつは、専門的な音楽教育をある程度受けた方の例です。

 幼少の頃に絶対音感を鍛える訓練をしてしまったり、ピアニストになるためにひたすらピアノを練習した人の中には、かなり正確な擬似絶対音感を持ってしまう人がいます。こうした人たちの共通点は、旋律音程や和音の音程が非常に取りにくくなることです。旋律音程では、全音は204セント(平均律なら200セント)半音は90セント(100セント)ですが、ピアノで音高を覚えてしまうと、全音が狭く、半音が広くなってしまいます。スケールのレッスンをするとすぐにわかりますが、半音が抵抗なく取れるようになるまでにはかなりの時間がかかってしまうのが普通です。今回のケースだと、スケールや分散和音はなんとか理解しつつあったのですが、シャープが増えてパニックになりました。Fis Durの導音(Eis)がどうしてもFになってしまうのです。こうしたケースでは、増度や減度なども平均律的にしか取れないことが多いのです。

 こうなってしまうのは、記憶に濃淡があるからだと思います。絶対音感といっても全ての音を(ある周波数を基準にして)均等に記憶されているのではないために、修正しやすい音としにくい音があるのではないかと考えます。例えば、E Durを弾いている時の導音であるDisは、基準になるEが開放弦にある上に、恐らく記憶がそれほど強くないのだと思われます。ですから、普通に「DisEを狭くとる」を繰り返していると、比較的簡単に修正できます。しかし、EisやHisは厄介です。邪魔になる記憶がFやCなので、「染みついている」のですね。

 また、和音の音程にもかなり苦労することになります。絶対音感教育では、基本的には音高をひとつずつ覚えさせるので、2音の協和/不協和の判断ができないことが多いのです。弦楽器の場合、これは致命的で、アンサンブルなどでハーモニーを合わせるのにとても苦労します。

 もうひとりの例を挙げておきましょう。

 どういう経緯かはよくわからないのですが、複数の音をかなり正確に「当てられる」レイトスターターがいます。音楽の専門教育どころか、特別に楽器をやっていたこともありません(ピアノすら!)。ただ、音楽を聴くことはとても好きで、クラシックだけでなく、ポップスもよく聴きますし、カラオケも大好きだそうです。この生徒が、重音の練習を始めて躓きました。協和音程が「聞こえない」ことがあるのです。正直、音をいくつか当てられると言っても、「どうせ、そのあたり、なんだろうな」と軽く考えていたのですが、「音がばらばらにしか聞こえません」という例がでてきて、「???」きちんと協和音程を判断できるところもあるのですが、全く手に負えないところもある。

 そこで、あれこれと試してみました。すると、幾つかの音の記憶が、とんでもなく正確なことが分かったのです。「音がばらばらに聞こえる」ところは、これらの音がらみでした。スケールや分散和音では、「音程が少し甘いね」という注意で「ほぼ」済んでいたのですが・・・「どうしても高く取れない音は違う音だと思って高くとっていました」・・・あれま、問題は気づかなかった私にも大いにありました・・・

 運動にしても音感にしても、記憶と戦うためには、十分な理解とはっきりした目標、相応しい戦術が必要です。今回は、音感でそのことを再確認しました。

[ 2016/12/14(水) 20:01 ] ヴァイオリン, 音楽的主張| コメント(0)
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